ハンセン病患者の「特別法廷」 最高裁が異例の謝罪

ハンセン病患者の「特別法廷」 最高裁が異例の謝罪
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かつて裁判所がハンセン病の患者の裁判を隔離された療養所などで開いていた問題について、最高裁判所は「差別的に扱った疑いが強く、患者の人権と尊厳を傷つけた」とする報告書を公表し、異例の謝罪をしました。一方、有識者などから「憲法に違反していた」と指摘されていたことについては、認めませんでした。
昭和20年代から40年代にかけ、ハンセン病の患者の裁判のうち95件が隔離された療養所などの「特別法廷」で開かれていた問題について、最高裁判所は報告書を公表しました。
報告書では、遅くとも昭和35年以降、ハンセン病は確実に治るとされていたにもかかわらず、当時の最高裁が必要性を精査しないまま各地の裁判所からの申請を受けて、原則、特別法廷を認めていたことを問題点として挙げました。
そのうえで、「差別的に扱った疑いが強く、特別法廷の手続きを定めた裁判所法に違反していた。偏見や差別を助長し、患者の人権と尊厳を傷つけたことを深く反省し、おわび申し上げる」として、謝罪しました。最高裁が過去の対応について謝罪するのは異例です。
一方、最高裁と共に検証していた有識者の委員会や、検証を求めた元患者などから「平等の原則を定めた憲法に違反していた」と指摘されていたことについては、「当時の最高裁内部の検討が資料として残っていないので判断できない」として認めませんでした。
また、元患者などが「裁判の公開の原則に違反していた」と指摘していた点については、裏づける資料が確認できなかったとして「非公開だったとはいえない」としました。
最高裁判所の今崎幸彦事務総長は、特別法廷が最後に指定されてから40年以上たって検証を始めたことについて、「資料の散逸を招いたという批判は率直に受け止めなければならない。この教訓を真摯(しんし)に受け止めたい」と述べました。
また、最高裁と共に検証作業を行った、有識者委員会で座長を務めた金沢大学の井上英夫名誉教授は「最高裁は形式的には憲法違反と認めなかったものの、実質的には踏み込んだ内容になっており評価したい。今後も資料の発掘なども含めて調査を続けてほしい」と話していました。

「公開されず」「 遅すぎた」 元患者の証言

最高裁判所の検証について、ハンセン病の元患者からは「裁判は公開されていなかった」という疑問の声や、「検証を始めるのが遅すぎる」という指摘が出ています。
熊本県合志市のハンセン病の療養所「菊池恵楓園」では、近くに設けられた医療刑務所も含めて、全国で最も多い35件の特別法廷が開かれました。
10代で強制的に入所させられた元患者の長州次郎さん(88)は、およそ60年前に園内で開かれた刑事裁判の特別法廷を傍聴することができなかったといいます。この裁判はある患者が殺人未遂などの罪に問われたもので、自治会の事務所や公会堂などで審理が少なくとも3回行われたということですが、大人の背丈よりも高い布の幕で周りが覆われていたといいます。
長州さんは「当時は患者がいる場所を『有菌地帯』、職員がいる場所を『無菌地帯』として区分けしていたので、法廷に入ることもできなかった」と述べ、裁判の公開の原則に反していたのではないかと話しています。
また、元患者の杉野芳武さん(85)は実態を明らかにするには裁判所の検証が遅すぎたと感じています。杉野さんは特別法廷が開かれているのを、法廷の外から見かけたことがあるということですが、審理がどのように行われたか記憶があいまいになっているということです。
杉野さんは「半世紀以上もたったあとに検証して本当のことが分かるのか。裁判所は行動があまりにも遅すぎる」と指摘しています。