芽細胞発癌説(fetal cell carcinogenesis)

芽細胞発癌説とは甲状腺癌の発癌メカニズムをより良く説明するために我々が提唱する発癌仮説で2000年の国際甲状腺学会で初めて報告しました。以下にその詳細を記します。芽細胞発癌説の詳細は元の論文も参照してください。

1. Takano T. Fetal cell carcinogenesis of the thyroid: Theory and practice. Semin Cancer Biol 17: 233, 2007

2. Fetal cell carcinogenesis of the thyroid:A modified theory based on recent evedinces. Endocr J 61:311-320.,2014
無料PDF: https://www.jstage.jst.go.jp/article/endocrj/61/4/61_EJ13-0517/_article

3. The basic theory of fetal cell carcinogenesis of the thyroid. J Basic Clin Med 3: 6-11, 2014.
無料 PDF: http://www.sspublications.org/index.php/JBCM/article/view/33

4. Molecular classification of thyroid tumor: A proposal based on fetal cell carcinogenesis hypothesis. J Basic Clin Med 4: 81-86, 2015.
無料PDF: http://www.sspublications.org/index.php/JBCM/article/view/57

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1.芽細胞発癌説の基本的な考え方
-癌は未分化な細胞の遺残から発生する

 癌は正常細胞が遺伝子(DNA)の変異を起こし、癌抑制遺伝子や癌遺伝子の活性に変化をきたすことで増殖能が増し、生体内でセレクションを受けることで転移能や浸潤能といった悪性形質を獲得して発生するというのが、現在常識的に考えられている癌発生のメカニズムであり、多段階発癌説(multi-step carcinogenesis)と呼ばれる。しかし、甲状腺癌での様々なエビデンスを検討すると、甲状腺癌が多段階発癌のメカニズムで発生するとするにはあまりに矛盾が多いことがわかる(後述)。これらの矛盾を解決し、しかも甲状腺癌の発生をきれいに説明するために高野らが提唱している理論が芽細胞発癌説である。 この理論の本質は「癌細胞の発生機序として、分化した正常細胞が増殖とセレクションを繰り返すうちに悪性形質を獲得するのではなく、元々転移・浸潤能を持った未分化な芽細胞が分化することなく増殖したものから発生する」(図1)としたことにある。この単純な発想の転換が後述のいくつもの矛盾点を解決するのである。

       

               図1 甲状腺癌の芽細胞発癌の概念

   Takano T and Amino N: Endocrine J 49, pp97-107, 2002

2.多段階発癌説の問題点

 多くの甲状腺の教科書には甲状腺腫瘍は正常甲状腺濾胞上皮細胞が分裂を繰り返すうちに増殖能を獲得して発生し、遺伝子異常に蓄積の結果悪性化して分化癌を経て未分化癌まで変化するする多段階発癌説が書かれている(図2)。しかし近年、下記のようにこのモデルに矛盾する臨床的・実験的エビデンスが数多く提示されるようになった。

          図2 甲状腺癌の多段階発癌説

1)濾胞上皮細胞は増殖能力がほとんどなく、一生のうち6-8回程度しか分裂しないとされる。このような少数回の分裂の間に腫瘍化・悪性化につながる変異を都合よく獲得するとは考えにくい。
2)遺伝子異常の蓄積で癌化が起きるなら、分化癌から発生する未分化癌は分化癌の遺伝子異常を引き継ぐはずであるが、甲状腺癌における遺伝子異常はおおむねそれぞれの癌の病理型に特異的で、たとえば分化癌特異的に高率に認める遺伝子異常であるPAX-8/PPARγ1RET/PTC は未分化癌では検出されない。
3)放射性ヨード治療などで成人の濾胞上皮細胞に放射線を照射しても甲状腺癌の発生率は全く上昇しない。
4)RET/PTC, 変異型BRAF遺伝子をマウスに導入すると、胎生期に導入した場合のみ正常甲状腺細胞が乳頭癌細胞に置き換わるが、大人のマウスでは発癌誘導ができない。また乳頭癌ができたマウスに癌遺伝子阻害剤を入れると、乳頭癌の細胞が正常甲状腺細胞に変化する。すなわち、ワンヒットで発癌し、そのヒットが修復されると正常に戻り、”遺伝子異常の蓄積で”癌化しているのではない。
5)未分化癌の多発遠隔転移巣で、各転移部で分化癌と未分化癌が共存している症例がある。未分化癌の細胞は非常に増殖が速いことが知られており、分化癌の細胞が未分化癌の細胞に転化したのだとすれば、これら多数の転移巣でまるで申し合わせたかのように“よーいドン!”で同時多発的に未分化転化を起こしたことになってしまう。

3.芽細胞発癌説で見る甲状腺癌の発生メカニズム

 芽細胞発癌説の基本理論は非常にシンプルである。従来の多段階発癌説では転移能・浸潤能を持たない正常細胞が遺伝子異常の蓄積により脱分化して悪性形質を獲得して癌細胞に変化するとする。これに対して、芽細胞発癌説では幹細胞・前駆細胞をはじめとした元々移動能・浸潤能・増殖能を持つ発生途上の細胞が何らかの原因で分化を止めたものから「分化なき増殖」(proliferation without differentiation)で直接発生するとしている。すなわち、芽細胞発癌説では多段階発癌説とは逆に未分化な細胞から分化した細胞が発生することで腫瘍が形成されることになる。これは近年の癌幹細胞の研究で実際に観察されている事実である。また、幹細胞からの発生段階を含めて考えると、多段階発癌では細胞がいったん分化して再び脱分化するという長く複雑な経路で癌に変化するのに比べ、芽細胞発癌説では胎児性細胞からワンステップで癌が発生する非常に簡潔なモデルとなる。胎児期の甲状腺は咽頭部で発生し、発生が進むにつれてゆっくり大きくなりながら移動する。移動途中で甲状腺特異的遺伝子であるサイログロブリンを発現するようになり、引き続き濾胞を形成して最終的に前頚部に落ち着く。この移動過程には他の細胞間をすり抜ける能力、つまり転移能・浸潤能が必要である。すなわち胎児甲状腺細胞はサイログロブリンを発現し、転移・浸潤を起こしながらゆっくり増殖するというまさしく甲状腺分化癌にそっくりな細胞である。芽細胞発癌説では甲状腺において癌の発生母地として少なくとも3種類の細胞を推測している(図)。一つ目はサイログロブリンを発現せず、胎児性蛋白である癌胎児性フィブロネクチン(oncofetal fibronectinonfFN)を発現している未分化な細胞甲状腺幹細胞:thyroid stem cellであり、強力な移動能力を持ち、数が少なく滅多に分裂しないが、増殖サイクルに入るとより分化した細胞を発生させる能力がある。この細胞は未分化癌の発生母地であると考えられる。二つ目はサイログロブリンと癌胎児性フィブロネクチンの両者を発現する細胞(甲状腺芽細胞:thyroblast)である。この細胞は甲状腺特異的遺伝子をある程度発現しており、転移・浸潤能を有してゆっくりと増殖する。甲状腺芽細胞は乳頭癌・濾胞癌の発生母地である。三つ目は正常甲状腺濾胞上皮細胞と甲状腺芽細胞との中間段階にある細胞(前甲状腺細胞:prothyrocyte)で、濾胞を形成し、サイログロブリンを発現するが、もはや胎児性蛋白である癌胎児性フィブロネクチンを発現しない。このような細胞から濾胞腺腫が発生する。最近のヒト胎児組織の解析でこれら3つの細胞に類似した細胞が実際に存在することが確認されている。甲状腺芽細胞から正常甲状腺濾胞上皮細胞に変化する特定の段階で胎児性甲状腺細胞は癌細胞の転移能・浸潤能に相当する移動能を失うものと考えられる。従来甲状腺癌を発生させる癌遺伝子と考えられてきたBRAF, RET/PTC, PAX8/PPARγ1は胎児性甲状腺細胞の分化をブロックする働きがあることになる。従来謎とされてきた、甲状腺分化癌はなぜ早期に転移するのに予後が良いのか、女性に多いのかといった疑問は発生母地である甲状腺芽細胞が女性ホルモンが上昇する時期に発生し、増殖力は弱いが高い移動能を持つ(舌根部から前頸部に移動するため)細胞であることを反映しているためと説明できる。
 この考え方の重要な点はすべての細胞の変化の流れが未分化→分化である点であり、これは通常の臓器発生過程と同様である。多段階発癌説では癌細胞は通常の流れと逆行して分化した細胞が未分化なものに変化した異常な細胞となるが、芽細胞発癌では癌細胞は通常の分化過程にそのまま乗っている。すなわち、癌という疾患は広い意味での発生異常である。


                  図3 芽細胞発癌説(fetal cell carcinogenesis)

*癌形質を規定する発生分化の軸(縦)とそこから増殖する過程の二次的変化の軸(横)で最終的な癌の性質が決定される。


4.芽細胞発癌説を支持するエビデンス

 いくつかのエビデンスがこの仮説を支持する。ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故において成人には発癌作用がない放射性ヨードが、5歳までの幼児に甲状腺癌を発生させた。この事実は若年者の甲状腺内には成人とは異なる細胞があり、それを発生母地として甲状腺癌が発生することを示唆する。また乳頭癌でよく観察されるRET/PTC遺伝子をマウスに導入した実験で、この遺伝子をヘテロに導入した場合は、乳頭癌が正常甲状腺の中に発生する。ところが、両方のアレルにホモで導入すると、乳頭癌を発生するが正常甲状腺は消失し甲状腺機能低下症となる。前述のようにRET/PTCに甲状腺芽細胞が正常濾胞上皮細胞に分化するのを阻害する作用があると考えれば、この実験結果はよく理解できる。すなわち、RET/PTCがヘテロに導入された場合は分化阻害の程度が弱く、一部の芽細胞は分化して正常濾胞上皮細胞を形成するが、ホモで導入された場合は完全に分化がブロックされ、正常甲状腺が発生しないのである。さらに、近年報告された甲状腺腫瘍の遺伝子発現プロフィールではほとんどの遺伝子は発現レベルが正常甲状腺組織、濾胞腺腫、濾胞癌、乳頭癌、未分化癌の並びで変化し、例外を見つけるのは困難である。この並びが芽細胞発癌説で示された胎児甲状腺細胞の発生段階に対応していると考えると非常に理解しやすい。


5.芽細胞発癌で見た未分化癌

は、未分化癌はどのようにして発生するのであろうか。未分化癌の発生母地については 1)サイレントな静止状態で何十年も生存できる、2)より分化した細胞(肉眼的に見えるようになると分化癌として認識される)を発生しうる、という性質があると考えられ、いずれも幹細胞を想起させる。未分化癌の発生機序については次のように考えられる。まず、甲状腺発生初期に存在する甲状腺幹細胞が何らかの原因で消滅せずに遺残する。この細胞はサイレントな状態でそのまま長期間存在するか、あるいは時折分裂してより分化した細胞を産生し、これらの細胞が増殖すると分化癌として見えるようになる。このような状態で数十年経過し、幹細胞が一定回数以上分裂するともはやサイレントな性質を維持できなくなり、自身が未分化な腫瘍として増殖を開始し、臨床的な未分化癌に変化する。芽細胞発癌説ではこの現象を幹細胞危機(stem cell crisisと定義している。最近、この現象を実験的に再現したデータが報告された。間葉系幹細胞を長期間培養しつづけると、一定回数以上の分裂を経過すると、染色体に異常をきたして大部分が死滅する(cell crisis)。ところが、ごく一部の細胞は生き残り、未分化癌と同様な染色体に広汎な異常をきたした癌細胞として突如増殖を開始するのである。すなわち、幹細胞はその性質を永遠に維持できるわけではなく、いつかは死滅するか、癌化するか、いずれかの状態に陥るのである。

 

6.根の浅い癌との根の深い癌

甲状腺癌は2種類に分類される。ある程度分化した胎児性細胞である甲状腺芽細胞に由来する根の浅い癌(mature cancer)ときわめて低分化な甲状腺幹細胞に由来する根の深い癌(immature cancer)である(図4)。前者は癌死を引き起こさないタイプの分化癌(乳頭癌・濾胞癌)であり、後者は癌死を引き起こす分化癌と未分化癌である。両者とも最初のinitiationは5歳までに起こっている。根の浅い癌は腫瘍化すると直ちに増殖を開始し場合によっては転移もするが、その増殖能に限りがあるので中年以降増えなくなり従って癌死を引き起こさない。これに対して、根の深い癌は腫瘍化しても直ちに増殖はせず、数十年間サイレントで経過する。この理由は不明であるが、前述のようにおそらく幹細胞としての性質であろうと思われる。しかし、いったん増殖過程に入ると際限なく増殖するため癌死を引き起こす。甲状腺癌幹細胞が自分より分化した細胞を産生しつつ増殖する場合は予後の悪い分化癌として見え、甲状腺幹細胞自身が増殖すると未分化癌として見える。
 分化癌の場合、この両者の生物学的性質は全く異なっているにもかかわらず鑑別は非常に困難である。なぜなら両者の違いは組織中に混在する少数の低分化な細胞成分の有無だけであるからである。今まで甲状腺分化癌の予後についていろいろ謎が多かったのはこの両者を同じ分化癌として同一視してしまっていたからだと考えられる。鑑別診断をするためには組織を塊として解析したのではだめであり、FACS-mQ等の組織を細胞レベルまで分散して細胞1個々々の性質を解析する技術の開発が必要である。



                              図4 根の浅い癌と根の深い癌

7.リバースアプローチと甲状腺癌診療の将来像

芽細胞発癌説の考察を進めると、甲状腺癌の克服という点に限っていえば非常に明るい将来像が見えてくる。芽細胞発癌説では腫瘍の生体内での振る舞いは発生母地である胎児性細胞の性質をよく反映していると考えられ、逆に言うと甲状腺腫瘍を調べることでまだ未知の部分の多い発生初期の甲状腺胎児性細胞の性質を推測することができる。この手法をリバースアプローチ(reverse approach)という。チェルノブイリ原発事故において、放射性ヨードが5歳以下の乳幼児にほぼ限定的に甲状腺乳頭癌を発生させたことから、乳頭癌の発生母地である甲状腺芽細胞は5歳までで消失するものと推測できる。それならば、芽細胞の前段階である幹細胞はさらに早い段階で消失しているだろう。このことを考えると、少なくとも成人では甲状腺幹細胞が残存して甲状腺の機能維持になんらかの貢献をしていることは考にくく、残存している場合は、将来的に癌死をきたすような未分化、低分化癌の発生母地となりえる。仮にin vivoで甲状腺幹細胞の遺残の有無を検出する検査法が開発されれば、甲状腺の場合は経皮エタノール注入等で簡単に消滅させることができ、これが究極の予防治療となって甲状腺癌で癌死することはなくなるであろう。

8.芽細胞発癌を支持する最近の臨床的エビデンスー福島原発事故後の小児甲状腺癌の解釈も含めて

2014年に甲状腺癌に関する3つの重要なデータが報告された。韓国において2000年より甲状腺癌の手術例が急増し、現在では女性の癌の堂々たる1位である。原因は甲状腺超音波検診の導入で今まで見つからなかった小さな甲状腺癌が数多く見つかったからである。韓国の外科医はこれらを将来的に悪性化するものとみなし、見つかったものはすべて予防的に切除していた。ところが、その後15年経過したがいまだに甲状腺癌の死亡率の低下は認められない。つまり2000年以降余分に行われた手術は無駄だった(過剰診療)ということになる。なぜこんなことが起こってしまったのか。このデータは、超音波でしか見つからないような癌、すなわち1.5cm以下でかつ明らかなリンパ節転移・遠隔転移を有さない甲状腺癌は癌死を引き起こさないということを意味する。この結果からこれらの癌は前癌病態なのだと解釈している研究者もいるがそれは誤りである。なぜなら微小乳頭癌の手術例の検討では30%以上に顕微鏡的な頸部リンパ節転移が見つかっており、これらの癌も既に転移能を有していると考えられるからである。すなわち、癌としての性質を備えながらその増殖能に限界があるために成長を止めてしまう癌が甲状腺癌においては少なからぬ数で存在することを証明したのである。
 福島原発災害の後福島県民健康調査が開始され、18歳までの未成年全例に甲状腺超音波検査が施行された。この検査が始まるまでは子供の甲状腺癌は数十万人に1人の極めて希な疾患であると信じられていたが、30万人の解析で100人以上の子供に癌が見つかった。これらの癌が今回の原発事故とは無関係であることは、事故直後に既に見つかっていることと、放射線量の分布と患者の分布が一致していないことより明らかであり、一般人口において超音波検査で発見されるレベルの未成年の小さな甲状腺癌は非常に高頻度であることが証明された。これは甲状腺癌の最初の発生は5歳までであり、そこからただちに増殖を始めるself-limitingな癌(根の浅い癌)が甲状腺癌の大部分を占めるとする芽細胞発癌説の理論に合致する。
 これらの考察を別の観点から証明したのが神戸の隈病院から出されたデータである(Ito Y, Thyroid 24 27-34, 2014)。甲状腺の1cm以下の微小乳頭癌1235例の長年に渡る経過観察のデータが報告されているが、10年間観察しても有意な増大を認めるのは8%に過ぎなかった。すなわち、甲状腺微小癌は10年単位でしか増大せず、従来考えられていたように中年以降に濾胞上皮細胞が化けて癌化したのでは40-50歳代での発症に間に合わないのである。甲状腺癌のinitiationは少なくとも10歳以下、おそらくは5歳以下である。さらに驚くべきことに、年齢と増殖率との関係を比較すると、きれいな逆相関、すなわち若年者ほど増殖が速い。またこの経過観察中に癌死した例は皆無である。すなわち、これらの癌はかなり若年で増殖を開始し、若いうちはそれなりのペースで増殖するが60歳を超えると増殖を止めて患者を癌死させることはない。40歳以下の症例で癌死例がほとんどないことを考慮に加えると、患者を癌死させる癌は40歳以上で突然急速に増大し、最初に見つかった時点で微小乳頭癌に分類されないもの、すなわち1cm以上であるかまたは既に明らかなリンパ節転移や遠隔転移があるもの、ということになり韓国のデータで得られた結論と同じになる。この癌は芽細胞発癌説では甲状腺幹細胞から発生する根の深い癌に相当する。根の深い癌と浅い癌は全く別物であり、根の浅い癌が根の深い癌にプログレッションして癌死を引き起こすことはない。もしそうであるならば微小乳頭癌で経過観察に入った患者の中から多少なりとも死亡例が出るはずであるからである。40歳以下の若年者の癌は芽細胞発癌説では甲状腺芽細胞を発生母地とするself-limitingな根の浅い癌である。現在福島で観察されている未成年の癌は根の浅い癌の成長過程の超早期を見ているのである。
 甲状腺癌の発生機序を芽細胞発癌説と考えるか、多段階発癌説と考えるかで、福島県民健康調査の今後の見込みが大きく変わってくる(図5)。多段階発癌説では甲状腺癌は中年以降濾胞上皮細胞が悪性化して発生するとしている。従って1巡目の検診で検出された甲状腺癌は極めて例外的に未成年で発生していた小さな癌を精密検査をしたためにスクリーニング効果で拾ってしまったものであるとの解釈になり、中年になるまでは癌の新たな発生は起こらないので2巡目以降は検診で見つかる癌の症例数は激減すると予想される。これに対して、芽細胞発癌説では甲状腺癌は5歳ではすでに発生しており、その大部分を占める根の浅い癌は直ちに増殖を開始し若年のうちは急速に増大して中年以降サイズは変わらなくなる。従って、年齢が上がるにつれ検出可能な癌の症例数は増加し、子供たちが30歳になるころまでは見つかる癌の症例数は検診を繰り返す度にコンスタントに増え続ける。将来において韓国と同様の過剰診療の問題の発生を防ぐためには検診の縮小か手術症例の大幅な絞り込みが必要である。


               図5 芽細胞発癌説と多段階発癌説で見た甲状腺癌の年齢別頻度


9. 最後に:多段階発癌の功罪

 私は、少なくとも甲状腺癌においては多段階発癌説はあり得ないと常に明言してきました。これは、現在芽細胞発癌説を御理解していただいている多くの研究者も同様の意見だと思います。いったん芽細胞発癌説で癌を考えてしまうと、従来の多段階発癌説における視点の明らかな欠陥が見えてくるからです。どんな細胞も必ず幹細胞・芽細胞から発生します。そして分化過程を経て目に見える臓器を形成します。そして幹細胞・芽細胞は増殖能・移動能等において癌細胞に極めて近い性質を持っています。多段階発癌説を信じている研究者は分化した細胞が悪性化して癌細胞に変化するとしていますが、この考え方の最大の欠点は最短経路である胎児性細胞から直接癌ができるという過程を最初から無視してしまってわざわざいったん分化して再び脱分化するといった手間暇をかけてしまっていることです。多段階発癌説ではどんな臓器にも存在する発生初期の胎児性細胞の存在が無視され、分化・成熟した細胞からしか癌が発生しないとする科学的になんら根拠のない仮定が大前提になっているのです。
 韓国の甲状腺癌の過剰診断の例をはじめとして、多段階発癌を信じて診療した結果、大きな社会問題が引き起こされるケースが今後も出てくると考えられます。教書的な記述をうのみにするのではなく、自分の頭で考えて癌という病気を理解していくことが必要です。癌の性質はその発生母地で規定され、転移・浸潤能を持っていても患者を殺さない癌は多数存在するのです。これらからの癌の診療は、早期発見・早期治療をひたすら追い求める多段階発癌の時代から、治療の必要がないものを選び出す芽細胞発癌の時代に移っていきます。


大阪大学医学系研究科甲状腺腫瘍研究チーム:ホームへ戻る