2016-04-24

自分という著作権を破棄すること

自分は周囲に対して自分の思い通りになれと思っていない。これは普通社会生活を送る人間にとっては当たり前のことだろう。

だけども自分場合自分イメージ通りの姿で捉えてもらえないとき不条理を感じてしまっている。

まり自分という存在には著作権というべきオリジナル意識があり、それが間違って捉えられると葛藤が発生するのだ。

主客を転倒させて相手自分という著作物を見たときにどう感じられるかと言えば、

相手オリジナル観点において自分というものを捉えようとしてしまうだろう。

これはカントア・プリオリ的な考え方だともいえるし、欲求としては保存欲求の一種なのだろうと感じる。

自分という著作物はこう解釈してください、という面白みのない感覚はたぶん他の人を疲弊させるし、

俺って面白がられてるんだなあ、と思える人は本当に面白い人になってゆくようにも思える。

ちなみに自分オリジナル存在するか否か、という話は別命題なのでとりあえず放置で。

余談で言えばまじめな話、鯖さんなんかは面白がられる自分を許してるから息苦しくないんだろうね。

自己イメージを誤った形で捉える他人を許すことが案外と徹底されている。

もちろんこれは字句通りのストイックさはないものだけど。

俺ってこう解釈されてるの? おもしろいなあ、なんて思えたら、ようやくそとき年齢に関係なく大人になれるのかも知れない。

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