自分は周囲に対して自分の思い通りになれと思っていない。これは普通に社会生活を送る人間にとっては当たり前のことだろう。
だけども自分の場合、自分のイメージ通りの姿で捉えてもらえないときに不条理を感じてしまっている。
つまり自分という存在には著作権というべきオリジナルな意識があり、それが間違って捉えられると葛藤が発生するのだ。
主客を転倒させて相手が自分という著作物を見たときにどう感じられるかと言えば、
相手のオリジナルな観点において自分というものを捉えようとしてしまうだろう。
これはカントのア・プリオリ的な考え方だともいえるし、欲求としては保存欲求の一種なのだろうと感じる。
自分という著作物はこう解釈してください、という面白みのない感覚はたぶん他の人を疲弊させるし、
俺って面白がられてるんだなあ、と思える人は本当に面白い人になってゆくようにも思える。
ちなみに自分にオリジナルが存在するか否か、という話は別命題なのでとりあえず放置で。
余談で言えばまじめな話、鯖さんなんかは面白がられる自分を許してるから息苦しくないんだろうね。