さあそこでリフォームの現実を見ていこう。呆れるほど克明に見ていこう。
『リフォームの爆発』より
六本木のカフェで町田康さんと待ち合わせたわたしたちは、落ち合うとまず「ではお飲み物などを……」と一同、メニューに目を落とした。
熟考していると、町田さんが一番に注文の口火を切った。
「ラテン……、やっぱりラテンやね」
コーヒー専門店だったので、モカ、キリマンジャロなどなど、たくさんの種類があるなか、おすすめとして挙げられていたのが「ラテンブレンド」なるものだったのだ。
ほんのすこし力を込めて、町田さんが「ラテン」とつぶやいたとたん、みなが一斉に破顔した。注文を決めただけだというのに。そのひとことが、何やら妙におかしい。
ああ、このおかしみは、町田さんの生み出す作品とどこか通ずるものがある。そう感じた。
いや、わざとおもしろく言ってやろうなんてしていませんよ、もちろん。でもそういうのは、なんでしょうね。言い方とかリズムとか、そこに込めた気持ちみたいなものですかね。
メニューを見て、さらっと「じゃあラテンで」といえばそのまま流れるけど、そこで世の中にとってのラテンというのはどんなイメージだろうとか、あれこれ考えてひとこと言うとずいぶん響きが違ってきちゃう。おもしろさってそういうことですよね。
ラテンという言葉自体がおもしろいというよりは、言い方とか、そこに込める意味や思いの問題。だからやっぱり、ライブで生まれてくるもののほうが、おもしろいということなんじゃないですか。
言葉や文章のおもしろさは、その言葉が指し示す表面的な内容よりも、そこに含まれているものの豊かさで決まってくるのかもしれない。では豊かなものが含まれている言葉とはどんなものかといえば、ひとつの目印としては、快い語り口かどうか。
町田さんが発する「やっぱりラテンやね」というひとことには、そこはかとなく漂い出る味わいと絶妙なタイミングのよさがあって、同じように言葉を発することはなかなかできない。きっと、町田さんの文章も、同じようなしくみでできあがっているんじゃないか。
そんな町田流文章の味わいが、新刊『リフォームの爆発』にも、ぎっしり詰まっている。何しろ本書のテーマは、リフォームである。リビング雑誌の特集ならまだしも、文学者がそれを真正面から扱うとは、あまり聞いたことがない。でも。だからこそ、「何を書いても文章はおもしろくなり得る」ということを、はっきりと示す一冊になっているのだ。
それにしても、なぜまたリフォームに目をつけたのか。
これの前に『餓鬼道巡行』という本を書いておりまして。グルメガイド本という設定になっていて、あちこちの名店を巡っていく。それを書くきっかけというのが、我が家のキッチンのリフォームだったんです。キッチンが使えない期間があって、そのときいったいどうしていたんやということを書こうと考え、やっているうちにグルメガイドに発展しました。
リフォームのみならず、グルメガイドまで扱っていたわけだ。これも、なんでも文学になり得るのだ、という自信の表れか。
まあなんでもいいかどうかはわかりませんが、グルメは食だし、リフォームは住にかかわることでしょう。衣食住って、だれにとっても切実な問題なのです。とくに住まいについては、意外に人間の精神に影響を与えているなと思うことも多い。どんな家に住んでいるにしても、みんなそれなりに問題があったりするでしょう? それが人にいろんな影響を及ぼすんですよ、きっと。
これはもともとPR誌『ポンツーン』で連載していたんですけど、そのときのタイトルは『文学的以前・以降』といいました。魂の問題とか、人を好きになること、親子の関係……。人間としての、または文学上の問題はいろいろありますが、それらはけっこうリフォームによって解決できるんじゃないかとの予想にもとづいて書いたものです。
つらいことがあっても、とにかく何か食べると少し気持ちが収まったりするのはたしかだ。日々の衣食住の営みには、そういう効果があるのかもしれないということだろうか。
そうですね。着るものによってテンションが変わったりとかもしますしね。衣食住はやっぱり精神にジワジワ効くものなんでしょう。人間が生活している場には、あきれるほどたくさんのどうでもいい問題が横たわっているじゃないですか。それが、くだらんほど切実だったりもする。そこに目を向けなければ、なかなか文学だって成立しない、というようなことを考えていたんです。
実際には、キッチンのみならず、うちをリフォームし始めてみたところ、あきれるほどいろんな問題が湧いて出てきて、それに自分でも心底あきれて書き始めたというところはあるのですが。リフォームと絡めていくといくらでも考えるべき点はあって、今回は一冊分でおさまりましたけど、仏教とリフォーム、最新物理学とリフォームなどまだいくらでも書くことはあります。全12巻くらいのライフワークにしようとも思ったけれど(笑)、連載もいいかげんこれくらいにしておきましょうと言われたので、いけるところまでいったというのがこの本です。
そう、『リフォームの爆発』は「文学的リフォーム論」を標榜しているものの、ベースには町田さん自身のリフォーム体験がある。熱海の一軒家に長らく暮らしていたのだが、飼い犬、飼い猫の居場所の確保。あまりに細長く、寒さと暗さも気になるダイニングキッチンの改善。これらを満たしたく、自宅リフォームへと踏み切った。
その過程を踏まえての文章なのだから、リアルかつ切実だ。たとえば工務店との付き合い方。発注主と施工側で、なるほどさまざまな駆け引きがあるものと知れる。町田家のリフォーム担当者は、なかなかの曲者であり、屋根裏にまで上って家の構造をチェックする。
あの彼にはモデルがいて、屋根裏に上ったりしたのも実際にあったことです。実情に基づいて書いています。そこまでする人は、ほとんどいないでしょうけど。古い建築は図面が残っていないことが多くて、どこに柱が通っているかなどが外から眺めるだけではわからないことも多いみたいですね。
事実に基づいているとはいえ、そこはもともと「文学的ビフォー・アフター」と名付けられていただけあって、記述にはフィクション的要素も融合されていく。冒頭、リフォームとは何かを定義せんとする際には、不具合の生じた家に住む「岡崎真一さん」なる架空の人物を設定して話が進む。このように何かを深く追求せんとするとき、思考を展開させるのに有効な術として、フィクションが生まれ出て、ストーリーが動き出すのだと得心する。
そうですね、文学的にリフォームを語ろうと考えたので、岡崎さんのストーリーも入れておこうと。あそこからひとつの話を転がしていくことも、やろうと思えばできるでしょうね。
次回「パンクの精神で文章も書いたら、自然といまのようなものになりました」は5/2月、更新予定
町田康(まちだ・こう)
1962年大阪府生れ。町田町蔵の名で歌手活動を始め、1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな』でレコードデビュー。俳優としても活躍する。1996年、初の小説「くっすん大黒」を発表、同作は翌1997年Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞した。以降、2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。他の著書に『夫婦茶碗』『猫にかまけて』『浄土』『スピンク日記』『スピンク合財帖』『猫とあほんだら』『餓鬼道巡行』など多数。
聞き手・構成:山内宏泰 撮影:黑田菜月