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「残酷な迫害は最高の名誉」
一、サンタンデル将軍はその大功績にもかかわらず、周囲の策謀に巻き込まれ、
四年にわたって「追放」される。
(1828年、一度は「死刑」の宣告を受けるが、財産・地位を奪われたうえで「追放」に減刑される。
以後、32年迄、ヨーロッパで流刑生活を送った)
しかし将軍は「残酷な迫害は、最高の名誉の称号」と、常に毅然たる態度であった。
彼は平然と言い放つ。
「憎悪と復習心が私を卑劣な中傷で狙い続けてやまない。(中略)
その汚名は決して私に屈辱を与えない。
なぜならば、敵には面と向かって名乗り出てくるほどの強さもないし、
合法的に私を迫害するのに必要な正当性にも欠けるからである」
堂々と会おうともしない臆病者が何を言おうと関係ないというのである(大拍手)
将軍は「追放」などものともせず、
「{民衆の団結}こそが、{自由}のみが座れる席から{横暴}を追放する」と達観していた。」
やがて迫害や策謀を乗り越え、1932年、コロンビア共和国(当時のヌエバ・グラナダ共和国)の初代大統領に就任。
「自由」と「民主」の確立に、「教育」の興隆に、不朽の足跡を残したのである。
___彼は振り返る。「自由がいつも私の心を燃やした。
私は、自由のために多大な私財も投げ出した。自由は、不幸の渦中にある私を慰めてくれた
(1831年11月25日、ニューヨークにて、祖国の同胞たちへ)と。
自身の心の「自由」。
民衆が幸福になる「自由」。
その「自由」のために戦い、「自由」を勝ち取り、
そして「自由」を守り抜いていく
___これほど清々しい痛快な人生はないであろう。
現在、私どもが進める「創価ルネサンス」の大改革こそ、
真実の「人間の自由」「生命本源の自由」を勝ち取るための大運動である。
民衆の「団結」の力が、
正義の声が、
権威の「横暴」を追放することは間違いない。
ゆえに、私どもは堂々と胸を張り、スクラムを組んで、
朗らかに進みましょう!
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