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本日も4.24の事が載りませんでした。
「あまりにも 悔しき この日を 忘れまじ」 先生が悔しかったのは、御自身が会長を退く事ではなく、「共戦」の弟子が居なかったからではないのですか? もう「共戦」の弟子は必要ありませんか? 先生亡き後の学会を守る今の未来部にこの真実の歴史は、知る必要のない事ですか?
我が子に 人生で一番悔しかった日 と伝えたいとの思いは間違っていますか? 資料はいくらでもあるはずです。 あと足りないのはなんですか?
現場のリーダーの声ですか?
青年部の声ですか?
先生と共に生きてきた多宝の先輩たちの声ですか?
何人の会員が叫べば 聖教に載せてもらえますか?
原田会長。
「5.3」は弟子が立ち上がる日。
では、「4.24」は何の日なのでしょうか?
アタイデ氏はインタビューのなかで、こう語っておられたという。
「安直な日常の状態では、人間の力は育成されない。民衆を圧迫する権力との戦いを経験する以外に、人間自身が、真に強くなる方法はない。
その苦境のなかで、いかに自分自身を磨いていくか。そこに、権力との闘争に打ち勝つ、人間としての力が培(つちか)われていく」
「権力との戦いは、黙っていては、勝つことはできない。黙っていれば、民衆は、いつしか権力者の側にだまされ、いいように利用されるだけである。人権も、人間の尊厳も、黙っていては権力に屈服してしまう。
ゆえに、叫ばねばならない。権力に対する民主の勢力は、絶対に黙っていてはならない。真の自由と幸福を得るためには、力を尽くして戦うことだ。権力との戦いは、ある意味で永遠である。どこまでもどこまでも戦い抜かねばならない」と。
権力の魔手は、黒い策謀と悪意。民衆の武器は「声」と「言葉」である。自由を守るための戦いに、何を遠慮する必要があろうか。
叫ばねば戦いではない。戦わねば幸福にはなれない。立つべき時に立ち、叫び切ることが、人間としての証なのである。
また、こうも述べておられたという。
「何より、民衆に『事実』を知らせることが大切だ。それは民衆の権利である。我々は、事実を訴え抜いていかねばならない。事実、実態をわかってこそ、正邪を見極めることができるからだ」
その通りだと、私も思う。
真実を真実として、事実を事実として言える世界。学会員一人一人が、魂の自由を謳歌できる世界──。その幸福の時代をつくるために、私は時を待った。時をつくった。
しゃべるなと言われても、書くことができる。書くなと言われれば、音楽を弾(ひ)いてでも激励できる。また、あらゆる角度からのスピーチで、正邪を見わける力を皆に与えることもできる。どんな立場になろうと、私は私である。どんな圧迫があろうとも、私は愛する学会員のために働き続ける。それが、この十数年間の私の決意であり、戦いであった。
1991.12.14婦人部幹部会、江戸川、葛飾、足立 文化音楽祭
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