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最初に、前回分の訂正・・曹操ではなく、草創です。
・・開始・・
多宝会の総会に出席した全米のリンダ・ジョンソン婦人部長は、万感を込めて参加者に呼びかけた。
”アメリカの大英雄の皆様!” 私たち夫婦も、全く同じ真情である。病苦も経済苦も、非難中傷も勝ち越え、
慈折広布の大道を切り開いてこられた多宝会の友こそ、最も尊貴な魂の王者、女王である。
総会を終えると、皆、口々に誓いあったという。”人生最後の一瞬まで、広宣流布に戦い抜こうじゃないか!”
私は、その心意気が嬉しかった。誇りに思った。心から最敬礼して、合掌を捧げた。
あの大阪の戦いを始め、私と共に勝利の金字塔を打ち立てた歴戦の勇者も、今や七十代、八十代だ。
本年も元気に、見事に活躍してくださった。共に広布に戦った同志は、永遠に私の胸から離れない。
君も私も、人生のゴールデン・ステージを、常楽我浄の妙法と共に、朗らかに勝ち進んで行こう。
多宝とは法華経の宝塔品に説かれる多宝如来に由来する。釈尊が法華経を説く会座に、宝塔と共に出現し、
”皆これ真実なり”と宣言する法華経の大証明者であられる。
多宝会の皆様方は、経文の通りの悪口罵詈等をはね返して、仏道修行を貫き、
堂々と勝利の実証を打ち立てて来られた。その人生の黄金の足跡自体が、学会の正義の証明であると言って良い。
そして、不老長寿の生命を持って、妙法の偉大さを、次の世代に伝え行く・大切な令法久住の大使命を担い立っておられるのだ。
宝寿会(東京)錦宝会(関西)という名前にも、尊き宝の同志を讃える、あまりにも深き意義が込められている。
若い人に心を注げ
私がこれまで対談を重ねてきた皆様も、私より高齢の方々、学会でいう多宝会の世代が多かった。
皆、若々しい心の持ち主であられた。生きる喜びにあふれていた。それは、自らの使命を強く、深く
自覚されていたからに違いない。中でも忘れ得ぬ一人が、生涯を核兵器廃絶の推進に捧げられた、
バグウオッシュ会議名誉会長のロートブラット博士である。
”これまでの世界より、ずっと良い世界を築いていけるよう、若い人々を、私たちは持てるすべてをそそいで
育んでいかねばなりません”と博士は言われた。
このやむにやまれぬ大情熱から、博士は若い科学者の集まりである”スチューデント・ヤング・バグウオッシュ”
を結成された。博士を敬慕する彼らは、後の研究プロジェクトにロートブラット博士の名を冠することに決定した。
未来を語る博士の顔(かんばせ)は真剣であった。輝いていた。
未来は、青年に託す以外にない。青年を伸ばし、育てるのだ!ーこの信念と誓願に生きる最晩年の姿は、何物に増して
美しかった。
”師弟不二 親子一体 最高の人生勝ち抜く 広布城かな”
思えば、日蓮大聖人をお護りしたもんかの中核の一家は、信心の継承においても模範の存在であった。
破邪顕正の行動も、一家和楽が力となる。青年門下・南条時光の母である上野尼御前は、夫や最愛の
末子の死など幾多の悲しみに遭った。
だが、師匠である大聖人の励ましを希望の源泉とし、立派に妙法広布の母として生き抜いていったのである。
この母に続いて、時光も純真な信心を貫いた。蓮祖の御入滅に至るまで、母と共にお仕え申し上げた。
のみならず、不二の弟子・日興上人を真っ直ぐにお護り申し上げたのである。
”水のごとくと申すは・いつもたい(退)せず信ずるなり・此れはいかなる時も・つねにたいせずとわせ給えば
水のごとく信ぜさせ給えるか たうとし(尊) たうとし” P1544
・・引用終わり・・
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