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池田大作 行動と軌跡 前原政之著 から引用。
創価学会と公明党の歴史の中で大きな転換点となったのが、昭和四十五年一月に表面化した言論出版妨害事件である。
これは、昭和四十四年秋、政治評論家の藤原弘達著『創価学会を斬る』の出版に際し、創価学会と公明党が圧力を加え、その出版を妨害したとされる事件である。事件の表面化によって創価学会は世論の激しい指弾を受け、国会でも、社会党、民社党、共産党がこの問題を取り上げて創価学会と公明党を攻撃した。
問題となったのは、公明党委員長の竹入義勝が、藤原と親しかった自民党幹事長の田中角栄に、出版を取りやめるよう説得して欲しい、と依頼したことだった。一宗教団体に対する批判なのに、公明党がなぜ政権与党の実力者を動かそうとするのか。そのような政治力を、特定の宗教団体のために行使するのは、憲法で保障された政教分離の原則に抵触するのではないか、といった「政教一致」批判が巻き起こったのである。
国会での質疑の模様はマスコミをにぎわし、二月二十八には民社党の塚本三郎が池田の証人喚問を要求するまでに発展した。しかし、藤原の『創価学会を斬る』の出版から、ここに至るまでの事態の進展に、政治的なきな臭さを感じ、鋭い警告を発していた人々もいた。
(中略)
当時の雰囲気に乗じて、創価学会や池田に対する罵詈雑言の類を声高に浴びせる者もいた。しかし、池田は事件に対する一切の責任を負うと決め、昭和四十五年五月三日に開催された創価学会の第三十三回本部総会で次のように語った。
「今回の問題は、学会を正しく理解してほしいという動機から発したものであり、言論妨害などという陰険な意図はまったくなかった。とはいえ、あまりにも配慮が足らず、結果として関係者に迷惑をかけた。今後は、二度と同じ轍を踏んではならぬと、猛省したい」
この講演を聴いた戸川猪佐武は、こう書いた。
「私が池田会長の講演のなかで、とくに注目したことは、言論・出版問題以来約半年、さんざんに叩かれてきながらも、いっこうに動じない寛容さと自信とである。詫びるべきことはきちんと詫び、あきらかにすべき疑問ははっきりとさせ、攻撃・批判を加えてきた共産党、マスコミに対して、反駁やいいわけをしていないのである。実に寛容である。だが、寛容ということは、自信がなければとれる態度ではない」(週刊実話、昭和四十五年五月十八日号)
平成七年、ジャーナリストの田原総一朗から受けたインタビュー(「中央公論」平成七年四月号)でも、池田は、言論問題について「大失敗です」「学会も当時はあまりにも若かった」と率直な反省の言葉を述べている。
著者は学会員ではありませんが、ジャーナリストとして冷静な分析をされているいい本です。一読お勧めです。
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