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■正義を満天下に
民衆の前進を阻もうとする権力の圧迫に対して、私は敢然と立ち向かい、すべてに打ち勝ってきた。
不当逮捕された「大阪事件」は、無罪で全面勝利。
判決の前、担当の弁護士は、まったくの無実と知りながら、敗北を覚悟するよう言い出すありさまであった。
しかし私は、「断じて無罪を勝ち取ってみせます!」と言い切った。法廷で、検察側の巧妙な主張も、次々と打ち破っていった。
そして判決の日、昭和37年の1月25日。
裁判長は「無罪」を宣言したのである。
その後、公判を担当した一人の検察官が「これで、当然です」と語りかけてきたことも忘れがたい。
この裁判の行方を、恩師・戸田先生は最後まで心配されていた。関西婦人部をはじめ多くの同志が祈り続けてくれた。
あの勝利の日――先生は、すでに逝去されていた。報告を聞かれたら、どれほどお喜びくださったことか。
ともあれ、我らの正義と真実は、司法の場においても、厳然と立証されてきた。
戸田先生は言われた。
「仏法のうえから論じ、国法のうえから論じ、世法のうえから論じて、堂々たる行動を行うのだから、創価学会は、なにびとたりとも恐れない会である」
この確信でいこう!
■創立80周年へ、連戦連勝で進もう!
ファシズムに反対したドイツの文豪トーマス・マンは
「最後に勝利が確定するまで油断は禁物です」(森川俊夫ほか訳『トーマス・マン 日記 1044―1946一紀伊国屋書店)と叫んだ。
油断は大敵である。慢心を許してはいけない。特に幹部は心していかねばならない。策や要領ではなく、真実の仏法に生きるのだ。
今こそ、万代に崩れざる創価城を、晴れ晴れと築いてまいりたい(大拍手)。
ゲーテは『ファウスト』に次のように記している。
「功労と幸福とは一つにつながる」(相良守峰訳『ファウスト』岩波文庫)
仏法に通じる、味わい深い言葉である。
広宣流布の労苦――特に陰の努力と功績にこそ、不滅の福徳が光る。
戸田先生は婦人部に強く言われた。
「信心を貫いていけば、功徳は厳然と現れる。その功徳とは、中途半端なものではないよ。目に見える絶大な功徳なのだ」
戦後間もないころ、戸田先生は事業に失敗され、莫大な借金を抱えられた。
私は、ただ一人、すべてをなげうって、先生をお護りした。
給料は何カ月も遅配。真冬でもオーバーもなかった。靴が買えず、足駄(高下駄)を履いたこともある。
「カランコロン」と音を鳴らして歩いていると、かつて勤めていた会社の上司と、ばったり出くわした。
昔はよく、雨の日、道が悪いので、足駄を履いたものだ。しかし、その日は晴れていた(笑い)。
「池田君、きょうは天気なのに、何で足駄を履いているの?」
私は朗らかに、背が高くなるよう足駄を……」と答えた(大笑い)。
その上司が、「池田君は、必ず将来、偉くなるよ」と期待を寄せてくださったことも、懐かしい。
思い出深き、わが青春の一㌻である。
私の人生は、恩師に捧げた人生である。
恩師ありて、今の自分がある。本当に幸せだ。
この師弟の道を、まっすぐに走り抜いてきたゆえに、すべての労苦は今、世界一の栄誉となって、満開の桜のごとく花開いている。
■宝は目分の中に
ゲーテは、こうも絶っている。
「私の中には、高貴な宝が豊富にある。それは、人のためになる宝なのです」
この宝を引き出す究極の力が、「信心」であり、「師弟」なのである。
さらに、私が青春時代から好きだったゲーテの言葉を贈りたい。
「生きているあいだは、いきいきとしていなさい」(手塚富雄著『いきいきと生きよ――ゲーテに学ぶ』講談社現代新書)
いい言葉だ。簡単なようで深い哲学が込められている。
いくら健康であっても、何の目標もなく、張り合いもない。挑戦もなければ、喜びもない。ただ漫然と、むなしい日々を送るだけ。そんな〝生ける屍〟になってはいけない。
「生き生きと」進むのだ!
たとえ病気になっても、心は生き生きと!――絶対に負けてはいけない。戦う心まで病魔に食い破られてはならない。
勝っても負けても、生き生きと!――人生の勝敗は、途中では決まらない。最後に勝つ人が、真の勝利者なのである。
■強く! 強く!
折伏精神で!「広宣流布の戦は断じて勝つことだ。
勝ってこそ正義である。自身のため、一家のため、わが愛する地域のために、勝ちまくっていただきたい。
戸田先生は呼びかけられた。
「しっかりと信心で立ち上がることだ。
いかなる戦いも、折伏精神を大いに盛り上げて断じて勝つことだ」
「引っ込み思案は大きな欠点である。
強く強く前に出なさい!」
折伏精神で、強き信心で進もう!
きょうは長時間、ご苦労さま!
ありがとう!
どうか風邪をひかれませんように。皆、元気で活躍していただきたい。
勝利の名指揮を頼みます!(大拍手)
(2009・4・14)
~聖教新聞より全文転用~
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