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熊本同志の奮い立つ闘いの様子は、1週間も経たない内に新聞の1面から無くなりました(随筆欄に小さな写真のみ)
【聖教新聞創刊原点の日】
聖教新聞の原点は、創刊の4月20日ではありません!
手作り紙芝居にも書いてあるように、前年の1950.8.24です!
今日の1面には簡単に旬刊*週刊*日刊の事を書いてありましたが、2面5000部からの始まりました。
でもなんですか!?原田会長の言葉!?
出だしから「…私が社長で君が副社長になれ…」怨嫉の汚れた生命が見え隠れしてます。
原田会長曰く「直弟子」である6代会長の言葉?
広布後継の子供達が見て学ぶ、手作り紙芝居で勉強して下さい!
【手作り紙芝居から抜粋】
1950.8.24→戸田先生の事業の危機で新聞記者がスクープ記事にしようと接近し、22歳の若き池田先生が矢面に立って渉外にあたり、戸田先生の実像を記者に語り抜いた。
この時、戸田先生は池田先生に
『新聞を持っているという事は実に凄い力を持つ事だ。学会もいつかなるべく早い時期に新聞を持たなければならない。
大作よく考えておいてくれ』
1950.12*新橋駅近くの質素な大衆食堂
戸田先生は池田先生に
『これからは言論の時代だ。断じて言論戦で広宣流布を切り拓こう』と思いを語られた。
翌年2月から何度も編集会議を重ね4月20日に創刊。
聖教新聞の原点は学会が最も大変な状況の中で、師弟一体の闘争によって創刊された新聞なんです!
なにが「社長や副社長」だ。
被災された沢山の会員の方々達の側に走り、同苦も心からの激励さえも出来ない会長が言う言葉じゃない。
みんな気付き始めてるよ。
本当は威厳も権威も失堕している「裸の王様」である事を。
都合の悪い話には一切聞く耳を持たず、活動停止や除名処分を連発。
判断力に欠けたyes-manのみをはべらかして、悦に入ってる原田会長の姿は滑稽に写ります。
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