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本日の聖教新聞にも4.24の記載がありませんでした。 パクリ笑
池田先生が7年前 「共戦」の大書を私たちに初披露されて 2年後の5月 随筆で 今度は「共戦」の意味を教えて下さいました。
魔の働きと戦うことが共戦なのだと。
昭和54年の5月3日、私は八王子市の創価大学から、海の見える神奈川文化会館に走った。その晩、私は無量の思いを筆に託し、一気呵成に揮毫した。
「共戦」──。
脇書には「生涯にわたりわれ広布を 不動の心にて決意あり 真実の同志あるを信じつつ 合掌」と。
この「共戦」は法華経第5の巻に見える言葉でもある(安楽行品第14)。
──仏の弟子たる賢聖の諸将が煩悩魔や死魔などあらゆる魔に立ち向かって共戦し、大功勲《くくん》を挙げた。その弟子たちの英雄的な戦いを見た仏は、大いに歓喜されて、法華経を、今こそ説かれるのである──と。
ここでは、魔の働きに対して戦うことを「共戦」と記されている。
「共」の字の意味は深い。
御義口伝には、「共《ぐ》の一字は日蓮に共《ぐ》する時は宝処に至る可し不共《ふぐ》ならば阿鼻大城に堕つ可し」と仰せである。
「共」とは師弟不二であり、師弟勝利の大道なのだ。師匠と弟子が心を一つにして戦う「共戦」があるか否か。師弟の生命が共戦ならば、そこに「万人成仏」の法華経の魂が脈々と流れ通うということだ。
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