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2016年4月16日付聖教新聞 世界広布新時代第17回本部幹部会への池田SGI会長のメッセージより
「私が青年室長の任命を受けた、その時に心肝に染め、我ら青年の使命と定めてきた御金言を、後継の君たちに託し伝えたい。即ち、『結句は勝負を決せざらん外に此の災難止み難かるべし』(p998)と。わが創価の青年よ、勇敢に朗らかに粘り強く、戦い進め!正義の君たちが一つ一つ勝ち切って、民衆の幸福と平和の凱歌を、断固と轟かせてくれたまえ!」
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九州・熊本の地震に際しての、最新の先生の指導である。そもそも災難というのは、大体は仏法の内部の乱れから起こるものである。あるいは、神の祟りや、謗法、民の嘆きが原因で起こったものもあると、御書に書かれている。しかし、大聖人の時代の三十余年の三災・七難等の原因は、全く他の事ではなく、日本国一同が日蓮大聖人を怨み、上一人から下万民にいたるまで、前代未聞の大瞋恚を起こしている結果であると言われている。そして、「結句は勝負~」の御文につながるわけです。
結局は勝負を決する以外に、この災難を止めることは難しいとの日蓮大聖人の言葉は、一体何と勝負を決することを意味するのか。また、先生がこの言葉を託されたことには、甚深無量の意味があることでしょう。大地震という、とてつもない事態を目の前にし、より一層深い信心に入っていかなくてはならない。
宿坊の掲示板では、54年と決着をつけることを焦点にしている。これをもって「創価の正義」の証明と云えるのではなかろうか。そのために、54年体質を明らかにし、打ち破ろうとしている。なぜなら、その先にしか、真の勝利も広宣流布もないからだ。そして、青年が、古い時代の54年体質を転換し、新しい時代の、人間主義の創価学会を構築していくことこそが、眼目ではないか。その基盤の上にしか、立正安国はないであろう。
54年に向き合うということは、内部の悪(問題)に目を向けるということである。そこから目をそらし、外部の敵(としているもの)を責めても、厳しく言うならば、ごまかしでしかない。何事にも時があり、もはや、その段階ではないことを自覚しなければならない。内部の悪との対峙は、勇敢で賢明でなければ無理である。それができてこそ、真の後継ともいえる。
仏法上、大震災にはとてつもない意義がある。立正安国論を認める契機となったのも、正嘉の大地震という、未曽有の大災害であった。大地震は、大転換の瑞相であり、私は、人間主義の真の創価学会へと生まれ変わる前兆であると、とらえています。そのために、一体何ができるのか。それを真剣に祈り、考え、実行していくことが、「託された」ことになる。
54年体質と向き合う中に、創価の正義も存在する。逆に、54年から目を背けさせようとする人間がいたとしたら、それは悪である。人間主義が勝つか、54年体質が勝つか。壮絶な戦いが始まったのだ。
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