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アルベア 様
いつも素晴らしい論理の展開には敬服し、大きな参考にもさせて頂いています。
ところで、
「なるように、なっていく」は、「調和」という表現では如何なのでしょう。
誰も「生命」の動き方はわからない。どこに向き、どのような働きをし、どこに落ち着くのかは、まさに「仏のみぞ知る」です。
よく、学生時代に考えたものです。
コーヒーカップにフレッシュ(その当時はミルク)をたらして、そのフレッシュがどのような散らばり方をするかは、だれも予測がつかない。「なるようになる」です。ただし、この時、フレッシュの温度がコーヒーの温度に近いことが条件です。冷たいと、ドボンと底に落ちてしまいます。
物理学的にみると、流体力学とかがあって、回転、落とす力、そして温度と、一定の予測は可能なようですが、それとても確実ではない。正確には見定められないのです。天気予報も、地震の起こる確率もまさに「妙」(不可思議)の世界で、人知ではおおよそ確定予測がほぼ永久にできない、というのが、どうも実際のようです。
しかし、コーヒーもフレッシュも、はたまた、空気も水蒸気も素粒子とまではいかないまでも粒子で、必ずその流体の規則があって、その規則に沿う動きさえ見定めれば、向き先も、落ち着き先も分かるはずです。人知では、いまだわからないから「なるようになる」、つまり「落ち着きように落ち着く」ことになります。この「なるようになる」「落ち着きように落ち着く」ことを「調和」と表現してはいかがということです。
実はこの「調和」に、重大な生命の秘密が隠されているとにらんでいるのですが……。
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