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長文失礼します。
<今の学会中央や聖教・公明は、納得できません>
池田先生は、青春対話で、
「歴史は意をつくさない。書かれた文字を、うのみにしてはならない」
と、おっしゃっています。
歴史もそうですが、情報は、自分が納得できるかどうかだと思います。口頭、文章、音声、映像のほか、自分の目を通してさえ。
大聖人の御書だって、「本物だと証明して」と言われても、難しいです。戸田先生や、学者の堀日亨上人のお墨付きはあるといっても。
でも、内容は納得していけます。たとえば「道理証文よりも現証には過ぎず」です。
大聖人は、立正安国論で、正嘉の大地震などの「現証」と、経文の「道理証文」に照らし、二難を予言されました。
この書状を、幕府は受け入れず、大聖人を迫害しました。
蒙古からの使者に応じなかったので、文永の役で、民衆が犠牲になりました(御書だと、一谷入道御書などに描写があります)。
幕府は、その後にきた使者一行を、処刑しました。そして弘安の役です。このときは嵐が強く、軍は去りました。
ところが、「ご恩と奉公」の恩賞がない一方で、その後も増え続ける防衛費に、武家の不満がたまり、幕府は滅亡に向かいました。
ちなみに、あの平頼綱は、1293年の関東大地震の混乱の中、執権・北条貞時の追っ手にかかり、息子と共に処刑されてしまいました。
また、池田先生は、この掲示板でも何度か紹介された、2001年の毎日新聞のインタビューで、次のように答えています。
「(憲法について)論議は結構だ。9条は変えてはいけない。」
「(独裁ではないかと聞かれ)どう見られても、私は構いません。全部、自由ですから。」
「独裁であれば、人は育ちません。世界にも開けません。独裁は臆病です。必ず滅びます。」
安部政権は、災害が続くなか、「平和のため。国民はいつかわかる」と軍事路線を進みます。まるで独裁です。
武器で脅して、戦争を起こさせない、平和を維持するというのは、一方的で、臆病なアイデアだと思います。
現に、政府は、「北朝鮮が、中国が、テロリストが」と、恐怖、国民の臆病な心に訴えかけています。
この強引さを見る限り、安保法の「明白な」の3文字は、歯止めにならないと感じます。
池田先生が、はっきり訴えてきた「非武装・非暴力による」平和と、逆です。
しかし、先生のはっきりした意見が、聖教新聞でさえ、出ない。
池田先生が「政教分離」による批判を、ご自身のために、また会員のために控えているなどと考えても、無理があります。
それが根拠なのか、学会中央も公明も、反対しない。それにならったのか、幹部の、学園生の、会員の多数も、反対しない。
これは、まさに臆病、(先生以外の誰かの)独裁ではないでしょうか。思い切って反対と言う人は少数ですし、いても遠ざけられます。
(核廃絶は引き続きです。しかしそれは、戸田先生の原水爆禁止宣言にある「原爆の奥にある牙」、つまり権力悪・武装全般との対決を意味するはずですが)
私は納得できません。
とはいえ、新しく「新・学会」を立ち上げるなど、結果として分裂してしまえば、誰かの思うつぼになりそうです。
池田先生の以下のご指導が、いいと感じます。前にも紹介されてるかもしれませんが。
青年がやる以外にない。「日本の歴史は、民衆のあきらめと泣き寝入りの歴史である」(丸山真男)と言われる。これを絶対に変えなければいけない。
そのためには、何が「うそ」で、何が「真実」なのかを見破る英知がなければならない。そして何があっても真実を叫ぶ「精神的勇気」がなければいけない。
フランスの名ジャーナリスト、ロベール・ギラン氏は、私もお会いしたことがあります。氏は戦争中も日本にいて身近で日本人を観察していた。
その一つの結論として、なぜ戦争が止められなかったのか、それは日本人に「肉体的勇気」はあっても「精神的勇気」が欠けていたからだ、と。
また「真理を尊重する」重要な徳が欠けていた、と。だから、ずるずると皆が悪の力に引きずられていったと言うのです。
諸君は新しい時代の新しいリーダーです。これからの「地球時代」に、まったく新しい「人類一体の歴史」をつづっていかなければならない。
一人の力は小さく思えるかもしれない。しかし「時を得た思想ほど強いものはない」(トマス・ペイン)
歴史はヒューマニズムの拡大に向かって進む。紆余曲折を経ながらも、大局的には、必ず、その方向に向かうと私は信じている。
ゆえに、人類が求める人間主義の哲学をもった諸君こそが、歴史を切り拓く「最先端」にいるのです。
(青春対話)
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ところで、(余計な話で恐縮ですが)白馬様の投稿の出典は、おそらく「全国高額納税者名簿」ではないかと思います。
国会図書館のHPなどで、所蔵している図書館がわかります。機会があれば読みたいです。
ただ、1983年(昭和58年)から、公示制度の廃止まで、「申告所得額」ではなく「納税額」の公示に変わっていたらしいです(※)。
それはともかく、そんな名簿に載ったのでしたら、彼らの所得は大きいでしょう。
そして、池田先生のことも、載っているかもしれません。
このことに納得できるかどうかは、使い道しだいだと思います。
しかし、使い道は、伝え聞いた話など、どれがどこまで本当かわからず、納得しにくいです。
その上で、私は、池田先生については、スピーチの時の姿や、行動を見るかぎり、悪いことはしないと信じます。
ただ、その他の人については、上に書いたような現状もありますし、なんともいえません。
お金について、納得できない中で、なにか、できるでしょうか。
所得のもとは主に財務だと思います。それを、銀行振り込みでやり、不透明な「基金箱」や封筒手渡しはやめる。
また、金額は、見栄や強制、「励行」でなく、納得できる額でいい。そのくらいでしょうか。
※
http://www.zeikei-news.co.jp/kobore_bn/kobore_080214_1.html
「税と経営」 2007年11月11日号 の転載
http://www.cao.go.jp/zeicho/siryou/pdf/kiso22h.pdf
「税務調査会 説明資料 平14.10.22 基礎小22-8」p.1
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