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「なるように、なっていく」 考えるB長 様
真摯なご質問感謝いたします。
「なるように、なっていく」と言う達観したような見方は「政治を心して監視せよ」のようなご
指導とどう折り合うのか
回答⇒「なるように、なっていく」ということは「生命現象」を言います。私たちにの意識や思
考が及ばない領域です。「生命活動」そのものも同じです。全て「なるように、なっている」と
いうのが現実の姿です。
「政治を心して監視せよ」との戸田先生の指導は「人間のやること」つまり「自我機能」による
働き作用を言うものです。平和を願う者、仏法者としての姿勢を言うものです。
「核兵器使用の容認」は政治家の愚考です。なかんずく人間の愚考です。絶対平和主義という
「人間観」から見ると「悪」です。声を上げる事は当然です。「やるべきことは、やる」のが先
生の指導です。
残念ながら声を上げても「気づかない」鈍感な人間が身の回りにいる現実がヤバイのです。
ケリー長官が広島訪問のおり芳名録に記した言葉「核兵器の使用は最終的なものではなくてはな
らない」と、彼の中には核兵器使用が既にあるのです。アメリカ型資本主義の危険思想が露呈し
たものです。こうした「核兵器信仰」の根絶は仏法者としては当然ですが、誰もこの記述に関心
を示しませんでした。少なくともメディアはこの記述を報道しても反対を示しませんでした。こ
れが今日の「核兵器感覚」です。
戦後70年のパワーバランスという「核兵器感覚」がもたらせている現実です。沖縄返還の核の
三原則は国民向けであり、密約があったことは知られる事実となっています。このことは核使用
の容認を意味するものです。いくら国会で論議しても既にあるのです。閣議決定以前にあること
なのです。それが日米安全保障条約であり「核の傘」なのです。
吉田、岸・池田・佐藤という政治的指導者の臆病さがもたらせた現実です。「核」への恐怖心が
容認させたという「作用反作用」があるのです。このような歴史的な流れの中での戸田先生の
「原水爆禁止宣言」池田先生の「第三次世界大戦は絶対起こさせない」との決意があるのです。
人類の宿命を転換させる運動(民衆救済)と同時進行としての身近な活動が「核」の抑止から廃
絶に繋がるのです。こうした創価の平和活動は生命の法則に合致するがゆえに「なるように、
なっていく、から大丈夫」ということでもあるのです。このような理解はなかなかできないのが
当り前です。思考が先立つからです。
考えるB長様のご質問はよくわかります。私も「なるように、なっていくから大丈夫」との戸田
先生の話を父から聞いた時、「ふざけんな」と怒りすら覚えたものです。しかし、ここ20年で
やっとわかってきたのです。
考えるB長様にも了解する時がもたらされます。今のままご自分の思う通りに闘っていくことで
わかってきます。
ご質問有難うございました。感謝いたします。
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