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男子部の部幹部様・・スマートなソフトパワー光ります。
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さて、本日は2008年以降の先生指導ではなく。とても大事だと思った指導がありますところの、
昭和62年の関西記念総会からの抜粋をカキコ・・・
”師弟の道を踏み外した三位房”
途中から・・
さて、先日、第二回中部総会で、三位房について少々ふれた。
その際、彼については、後日詳しくお話ししたいと申し上げたので、早速約束を
果たさせていただくことにしたい(拍手)
言うまでもなく、三位房は日蓮大聖人御在世の優秀な弟子の一人であった。
しかし、最後は仏法の”師弟の道”を踏み外し、退転・反逆してしまった。
中略
三位房は下総の国の出身とされる。
生い立ちなどについては、確かなことはわかっていない。
ただ、才知に溢れ、弁舌にも優れた人物であったことは間違いない。
若くして比叡山にも遊学している。分かりやすく現在で言えば、東大、京大
などの有名大学を卒業したエリートで、社会的知名度が高く、人気のある存在であったと言ってよい。
しかも、滝の口の法難の折には、自らも首を跳ねられる覚悟で、刑場まで大聖人にお伴した一人である。
さらに、大聖人の佐渡御流罪中も、鎌倉にあって、門下の中心として留守を守った。
大聖人が身延に入山されてからは、大聖人のもとで修学に励むとともに、安房、鎌倉、松野(静岡)
賀島・かじま(静岡)など各地を転教し、折伏・弘教に励んでいる。
問答に優れた三位房を、大聖人は諸宗との法論対決の代表に選んでさえおられる。
(そ~そ~、そういえば矢野との対決に選ばれた、うちの二人いましたね・・)
いわば教学担当の主任であり、問答部長(爆笑)である。
それほど大聖人の期待は大きく、慈愛を持って大切に育成しておられた。
先日、申し上げた通り、桑が谷問答では、天台僧とされる竜象房を完璧に論破している。
(うちの上の二人はちょっと、この三位房に比べ、力不足? それとも、なにか弱みが・・)
竜象房は当時”釈尊の再来”とまで仰がれた人物である。
その有名人を公衆の面前で見事に破折したのだから、三位房の名声も鎌倉中に広まったのは
当然である。まことに華々しい活躍の姿であった。
この様に三位房は、大聖人門下の俊英であり、時とともに一門の重鎮として重きをなすに至った。
現在で言えば、副会長級の最高幹部の存在である。
しかし、桑が谷問答の翌年、弘安元年(1278)より始まった熱原の法難の頃、退転し、
大聖人に師敵対してしまった。
門下の人々にとって、まことに衝撃的な事件だったよ言えよう。
事情のわからない人たちは、”あの様な立派な指導者、また、功労者が、なぜ退転し、反逆
してしまったのか”と驚き、不思議に思ったに違いない。
しかし、三位房のことを実際深く知っている人は、少しも驚かなかった。
むしろ、”ああ、やっぱり、彼が、とうとう本性を現したな”と納得した。
その一人が四条金吾である。
中略
彼の生命の悪しき傾向性を、もっとも深く見抜き、だれよりも憂慮しておられたのは、いうまでもなく
師の大聖人であられた。
大聖人は、なんとか彼の優れた才能や学識を生かし、大成させてあげたいと願っておられた。
また、使命の道を全うさせたいと念じておられた。その御心からであろう、三位房に対し、
早くから繰り返し厳愛のご指導をされている。
続く・・・
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