目次
- サツマイモが最初に根づいた土地「青木昆陽甘薯試作地」
- 地下道の隣に「青木昆陽甘薯試作地」があるのを知らなかった
- 「奉納 千葉澱粉共同組合」のプレート
- 「昆陽先生甘藷試作之地」と刻まれた記念碑
- 秋葉神社と昆陽神社
- 秋葉神社の鳥居越しに幕張のビルが見える
- 偉人を神として祀る文化
- おまけ
サツマイモが最初に根づいた土地「青木昆陽甘薯試作地」
「千葉市の歴史スポット ラストエンペラーの弟・愛新覚羅溥傑夫妻が新婚時代に住んだ家」を書こうと調べているうちに「青木昆陽甘薯試作地」があるのを知りました。
青木昆陽は中学の歴史に登場する偉人です。飢饉が続く江戸時代、将軍・徳川吉宗に「サツマイモを作って飢えないようにしよう」と進言し、栽培を成功させたと習いました。そのサツマイモが最初に根づいた畑が幕張だったのです。ですから、そこには記念碑が立っていて、近くには「昆陽神社 - Wikipedia」もあるというのです。
さて、「青木昆陽甘薯試作地」はどこなのでしょう?
県指定史跡サイトにある住所をグーグルマップで検索すると京成幕張駅の近くにありました。その西には秋葉神社と昆陽神社の二つの神社があります。
地下道の隣に「青木昆陽甘薯試作地」があるのを知らなかった
私が生まれそだったのが福島なものですから、幕張に「青木昆陽甘薯試作地」があるのを知りませんでした。
2つあった踏切のうち、幕張駅寄りの第2木下街道踏切は、2004年7月の通称「幕張昆陽地下道」の開通に伴い廃止された。
(「wikipedia:幕張駅」より)
この地下道が出来たのと、花見川に瑞穂橋が架かったことから、海浜幕張に行くにはこの地下道を通るようになりました。以前は検見川神社の前から旧道を通ってたのです。
この地下道は総武線と京成線とくぐるため坂道になっています。そのため車のスピードが出やすいことから、何年か前に妻が何年か前にスピード違反のキップを切られた場所でもあります。
「青木昆陽甘薯試作地」も「昆陽神社」も地下道の上、良く通っていてもあるのを知りませんでした。そして、この地下道の名前が「幕張昆陽地下道」というのも初めて知りました。地下道入り口に掲示してあるんですが、気にして読んだことがありませんでした。
「奉納 千葉澱粉共同組合」のプレート
ブロック塀と門の扉を奉納したのでしょうか。思わすほっこりとしてしまいました。
「昆陽先生甘藷試作之地」と刻まれた記念碑
ブロック塀に囲まれた一角に記念碑が建っています。昔、ここに青木昆陽がサツマイモを栽培した。
秋葉神社と昆陽神社
由緒を記載した看板によりますと、もともとは秋葉神社があって、そこに青木昆陽の偉業を記念して祀ったことが記載されていました。
右が昆陽神社、左が秋葉神社です。
道路工事のために社殿は取り壊され、一時的に子守神社に移転した。2006年11月に新しく作られた現在の社殿に戻った。
(「wikipedia:青木昆陽/昆陽神社」より)
地下道の上に出来たばかりですから、砂利が敷いてあるだけで何もありません。周りは住宅。神社は杜の中にあることが多いのですが、ちょっと違ったイメージです。
秋葉神社の鳥居越しに幕張のビルが見える
東側には昆陽神社の鳥居があり、南側には秋葉神社の鳥居があります。秋葉神社の鳥居越しにアパホテル(旧プリンス)、ニューオータニ幕張、WBG、MTGが見えます。ここから海浜幕張駅まで2キロ、幕張の浜まで3キロくらいです。
鳥居の柱にも灯篭にも「平成18年」と刻まれています。立てられてまだ10年、新しいのです。
偉人を神として祀る文化
日本には偉人を神として祀る文化がありました。日光東照宮、天満宮、明治神宮、象山神社、松陰神社、東郷神社、乃木神社など・・・。これは一神教の国では考えられないことです。
- 神社.com|歴史に触れてみる
・歌人や貴族、思想家など偉人が神さまになっている
・信長も秀吉も家康も神さまになっている
・全国各地の藩でも殿さまを神さまとして祀る
日本国憲法は、信教の自由と政教分離原則が規定されています。そうすると国や地方自治体としては、偉人を神道の神として祀った神社を特別扱いできませんから、いろいろ困ったことが起きます。
今回、地下道の名前が「幕張昆陽地下道」であることを知りました。これからは偉人を神として祀るのは不都合が多いですから、地名や施設名として残すのが良い方法ですね。
おまけ
幕張ベイタウンに「バレンタイン通り」という通りがあります。これは2005年の千葉ロッテマリーンズが優勝し、ベイタウンでのパレードを記念したものです。