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思い込み・信じ込みの「愚」
本日の聖教7ページ黒川清氏の記事での「グループシンクの愚」にいわゆる「官僚
的愚考」の発生メカニズムが紹介されている。創価官僚の発生メカニズムにも該
当する現象である。
このような現象は「信仰」「信心」には関係なく、社会的適応の中で獲得形成さ
れた学習パターンなのである。自分自身を取り巻く先輩・後輩・仕事への対処行
動等を見聞きする中で立ち位置を定めていくという学習・愚行パターンを言うの
である。多くの人々の適応パターンである。
こうした組織、対人的環境の中では「金の動き」が業務の流れや業務の意思決定
等を左右する。汚職・口利き等の背景にあるのは「マネー優先」の「愚」なのだ
。現代文明のベースである「マネーカルチャー」という現象なのである。
このような現象を「個別的欲望」による「集団化現象」と呼ぶことができる。野
球・相撲・ゴルフ・テニス等々、スポーツやコンサート等のイベントは、全て「
マネースパイラル」というエネルギー現象としてもたらされている。「現代資本
主義」という愚行の根元はマネーゲームなのである。例⇒パナマ文書
極端な話「正義」という道徳的徳目ですら「マネースパイラル」に取り込まれて
いる。相対的現象・現実で見られているエネルギー現象である。
思い込み・信じ込みの背景には常に「マネーゲーム」というエネルギーが関与し
ているということだ。「震災の復興」という名目は地域、関連企業の「マネーゲ
ーム」のかっこうの餌食(えじき)となっている。政治的「正義」「良心」は「
マネーゲーム」に反転された現象があるだけなのだ。復興格差現象があるのはこ
のようなマネーゲームの差でもあるのだ。
「マネーエネルギー」をコントロールするのは、どこまでも「個人」(個)の「
自我機能」による快感原則という反応なのである。
人間の構築したあらゆる組織の背景には「マネーゲーム」があることを知らなけ
れば、見かけの、表面的な現象はそのまま経過していくだけである。期待と依存
をもたらすだけである。
「田中角栄は金権政治」との批判があるが、「マネーエネルギー」を心得た政治
戦略だったと言える。「金権政治」とは象徴的な現象である。アメリカの予備選
も「金権政治」である。国連の活動も「金権政治」である。「金権政治」という
言葉が不快ならば「マネーゲーム」ということである。
現代文明の欠点は「マネーゲーム」のかじ取りができる人間がいないということ
である。経済学者がいても、分析と仮説と解釈である。このような状況が19世
紀20世紀に「マルクス的な人物」「ヒットラー」を出現させたのである。
日本の各政党には「思惑」という「マネーゲーム」があるのである。どんな高尚
な美辞麗句を並べても「マネーゲーム」なのである。国際問題・外交問題・戦争
等も「マネーゲーム」という「魔物」の現象なのである。
創価の組織のマネージメントも「マネーゲーム」なのである。人間が生きている
、生きていくこと自体も「マネーゲーム」であることを忘れてはならない。
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