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続編です・・
悪鬼をも広布の味方に
1944年11月18日、朝6時過ぎ。創価の父は”不惜身命”の大精神を貫き、
巣鴨の拘置所の東京拘置所で崇高な生涯を閉じられた。
直弟子の戸田先生は、身を焼いて供養した薬王菩薩になぞらえて、”牧口先生の死こそ、
薬王菩薩の供養でなくて、なんの供養でありましょう”と叫ばれている。
”日本は、この正義の大偉人を殺した!私は必ず仇を討つ! 一歩も退かず、大折伏をして、
牧口先生の仇を討っていくのだ”
~これが戸田先生の誓願であられた。そして、また不二の弟子たる私の誓願でもある。
戸田先生を守って、私の右に出る者はいなかった。先生のそばには、信用できない者もいた。
私に対して”信じられるのはお前だけだ”と言われる時もあった。
私は、師である戸田先生を誰よりも尊敬し、社会から尊敬される存在へと宣揚していった。
約束したことは絶対に成し遂げるのが、私の信条である。
法華経には”魔及び魔民ありと雖も、皆仏法を護らん”とある。
たとえ悪鬼、まみんであろうとも、広宣流布の味方にして、生かしきっていくのが
創価の指導者だ。私はこの決心で半世紀以上、闘ってきた。皆さんは、心を魔に食い破られてはいけない。
師の後を継いで
私は、戸田先生の後を継いだ者である。この人生すべてを、創価学会に尽くしてきた。
広宣流布という、世界一の尊い仕事を長として、この人生を歩んできた。
かけがえのない同志とともに、汗水流して働いてきた。
いわば”師弟の真髄”を生きてきた人間であると自負している。
とともに、数え切れないほどの世界の指導者たちと、真剣に対話を重ねてきた。
人間と社会の実装を知っているつもりである。
インチキな人間なのか、格好だけなのか、慈愛の心か、軽蔑の心か。
一つの言葉、一つの振る舞いから、その人のことがわかる。透徹した信心の眼は、
骨の髄まで、腹の底の底まで見抜くことができるものだ。
また、そうでなければ、これだけの堂々たる学会をつくることはできなかっただろう。
真実の師弟が築いた学会である。この真実を、責任のある広布のリーダーは
軽んじてはいけない。これは、決して自賛して 言っているのではない。
将来の学会を護る人々のために、真実を、正直に言っておきたいのである。
人間の世界は恐ろしものだ。
戸田先生が苦境に陥り、学会の理事長をやめた時にも、信じられる人間は、あまりにも
少なかった。
一人だけでもいい。私は”本当の弟子”と言える人間を育てておきたいのである。
”真実の学会”は”我が心の中に”
私は、他の誰よりも強く、広布の同志を守ろうとした。それゆえに、御聖訓の通り、
誰よりも多く迫害を受けてきた。
謂れなき非難中傷を浴びせられ続ける苦しみは、実際に体験したものでなければ、わからない
ものなのかもしれない。
なかには、大幹部でありながら、そうした状況に慣れてしまい。
私が矢面に立つことが当然だと思い始める者も出た。
同志への慈愛も、魅力もなく、ただ、威張るだけで自分のことしか
考えない卑劣な輩もいた。そうした忘恩の人間が皆、惨めな人生を辿っていることは、
皆様がよくご存知である。
しかし、今から思えば、全て意味のあることであった。
そうした動きが生じることによって、広宣流布の進むべき道が、いよいよはっきりと見えるようになったからだ。
ともあれ、”真実の創価学会”は師弟に生き抜いた”我が心の中”にある。
師弟の”本流”を諸君には知っていただきたい。
そして、ますます勢いよく、さらに素晴らしい学会を、共々に作っていきたい。
薬王菩薩が、自身の生命を燃焼させた光明は、1200年にわたって輝きつずけ、
世界を照らしたと説かれている。
学会は78周年を勝利で迎えた。
創価の師弟の不惜身命の魂が継承されていく限り、学会は永遠に
光輝いていくことができると申し上げておきたい・
続く・・・
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