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中略
”菩薩行には魔が起こる”
日蓮大聖人は、文永8年(1271年)の11月、法華経に説かれる通りの流罪の何を受け、
佐渡の地にあられた。
この月、大聖人は、”命限りあり惜しむべからず遂に願うべきは仏国也”御書全集955P
と仰せである。
そして、このまさに600年後、佐渡を擁する新潟で生誕されたのが、初代会長の
牧口先生である。
1942年(昭和17年)11月、創価教育学会の総会で、牧口先生は言われた。
”信じるだけでも御願いをすれば御利益はあるに相違ないが、ただ、それだけでは
菩薩行にはならない。自分ばかり御利益を得て、他人に施さぬような個人主義(利己主義)
の仏はないはずである。菩薩行をせぬば仏にはなれぬのである”
”自分一個のために信仰している小善生活の人には決して魔は起こらない。これに反して
菩薩行という大善生活をやれば必ず魔が起こる。起こることを持って行者と知るべきである”
日蓮仏法の真髄をそのまま、寸部違わず実践されたのが、牧口先生であった。
牧口先生、戸田先生のお二人は投獄され、牧口先生は獄死された。
私もまた不当逮捕された。
師の為に戦った、創価の歴史である。
学会から、この崇高なる師弟がなくなったら、もはや学会ではない。
あまりにも明らかな道理だ。
”本物の信心”に立てば、分かることである。
”本物”の人間かどうかは、心で決まる。頭の良し悪しなどではない。
うわべを繕い、策を弄する人間、増上慢の人間が、”師弟”を破壊する。
広布の団結を破壊する。それこそ、大聖人が厳しく戒められた”城者として城を破る”
御書1337P者に他ならない。
続く・・・
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