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 投稿者:通行します  投稿日:2016年 4月10日(日)21時59分56秒
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  「教主釈尊の御宝前に」と言われているのは、大聖人が所持されていた釈尊像が安置されていたとも推測される。だが、その意義は大聖人己心の釈尊であり、久遠元初の自受用身如来をあらわしていた。

日蓮大聖人御書講義第十七巻(聖教新聞社刊)

>>忘持経事によると

室内に入り教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し五体を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を排し歓喜身に余り心の苦しみ忽ち息む

と認められている
だから自分は大聖人は身延では釈迦仏を安置して拝んでいたのだと推察しました

文底は勿論、御本尊を拝んでいる<<
 
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