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同感です
年金生活者等は多部購読分を引いて財務しています
職員の給料は財務からで充分です
聖職者の職員たるもの少欲知足でお願いします
創価学会の草創期
今のように同時放送もない、新聞も隔週
会員はドンドン増えていく
どういう人がリーダーとして必要だったか?
先生の御指導を正しく伝えることが出来る人
伝達者
先生の意図まで、くめなくても、いい
下手に先生の意図を間違って、くんで伝えるのはかえって迷惑
(長谷川理事長のような人はちょっと)
とにかく忠実に正確に伝える人が必要だった
原田さんはそんな時代のニーズにあっていたのだと思う
だから秘書長だったのでしょう
しかし、同時放送の時代は、その役目の人は必要なくなった
何故なら、先生の御指導を全員、一斉に聞くことができる
新聞も日刊、先生の本もたくさん出版される
もはや、伝達者は不要になった
オシャカである
同時放送前の幹部は先生の話を伝えることを
学会活動と思っていた
自ら折伏に挑戦している人は殆ど聞かなかった
部員さんにやらせることを学会活動としていた
原田執行部世代のやりかたは同時放送前のやり方
同時放送の時代に、自ら戦っていない人の話は不要
頑張っている人の話を掻き集めて、人の話をするのではなく、自分が頑張った話をしましょう
自分の体験を話すことが大切な時代
また、同時放送の時代に必要なリーダーとは?
先生の御指導を実践し、難に遭った人
信者でなく、行者
先生の御指導を実践すると、必ず難に遭う
殆どが権威主義の幹部の嫉妬から起きる難
そこを経験し、乗り越えた人が大切
そして、今は?
先生が意見が割れる問題に一切コメントされていない
安保問題、教義問題等
もし、一言でも、執行部サイドに有利なコメントがあるならば、鬼の首をとったように騒ぐはず
しかし、一言もない
先生が反対のコメントをされていないから、了承されているという論法でしか言えない状況
決定打に欠けている
同時放送も同時ではなく、過去の映像を流している
この時代に必要とされるリーダー像は?
「誠実」「勇気」
たくさんある先生の御指導に誠実に、そして勇気をもって実践できる人ではないか?
執行部の打ち出しに、いいなりになる人では難が来ない
難を経験しないと先生の御指導が分からない
先生の御指導を身読した人こそ、誠実に勇気を持って実践できる人なのではないか?
そして、そういう人がたくさんいるのが、この板の猛者のみなさん
いつまでも、伝達者の旧世代の執行部に
自分達に都合の悪い御指導はカットー
学会版C作戦をさせておく訳にはいかない
会長を絶対化し、無謬と思っている人達
最高の善知識は会長とでも思っているのだろうか?
最高の善知識が会長の訳がない
4代、先生を辞任させ、会長室までとりあげた
5代、先生を裏切り続け、スキャンダルを捏造した
6代、先生が断罪した5代を呼び戻した
この人達が善知識の訳がない
先生の講義を引用して教学部長は
最高の善知識は学会と何度も叫んでいた
これは一見、先生の御指導に誠実のようで、実は誠実ではない
先生が御自身を
「私が最高の善知識」とは言われない
ほかのことでも、先生は「学会」と言われているけど、弟子としての正しい読み方は「先生」と置き換えて読むべきことがいっぱいある
文上、文底
教学部長の仕事は先生の講義をそのまま伝えることだろうか?
伝達者でいいのだろうか?
それでは、文上で終わる
大聖人の仏法は文底で読むのが真髄だったはず
大聖人は開目抄で人本尊であることを宣言された
その後、身延入山
身延の庵に御本尊を安置してお題目を上げていたのだろうか?
違うのではないかと思っている
(推測です。詳しい人、教えてください)
御書を読むと釈迦仏を安置していたように思う
だから、多くの弟子は大聖人がされたことを真似て御本尊ではなく、釈迦仏を拝んだのではないだろうか?
御本尊は大聖人の魂そのもの
自分で自分を拝むことになる
大聖人は御本尊ではなく、釈迦仏をご安置していたのではないか?
文底を知っていた日興上人が、大聖人亡き後、御本尊を安置し、拝むようにしたのではないだろうか?
他の弟子達は、大聖人の本意が分からず、大聖人がされた通りしていたのではないか?
教学部長の最高の善知識は学会という講義は、大聖人の本意が分からず、釈迦仏を拝んだ弟子達と似ているように思う
開目抄の心が分かっていない
大聖人も、先生も本当のことを言わなければ迷うだろうと思われて、本当のことを話されます
しかし、毎回、そういっていると慢心していると誤解され、却ってみなが理解できないと思って謙遜しすぎるほど、謙遜されているように思う
草創期、座談会で講義される方が何度も
「本当は○○なんです
でも大聖人は謙遜されて、こういう風に言われています」
と言っていた
子供だったので、なんで謙遜するんだろう
分かりにくいなぁーと思ったり
本当にそうなの?
この人が勝手に謙遜しているとか言って、話作ってるのでは?
と思ったりしながら聞いていた
最近の講義、大白の講義を読んでも、大聖人は謙遜してこう言われたという話がない
学会はいつから文上しか読まなくなったのだろう
大聖人も先生も驚くほど、謙虚で謙遜される
だから、弟子が文底で読み、真実を、叫ばなければいけないと思う
非会員様
谷川さんが先生に似ている?
御冗談を!
髪型を真似しているだけ
自分には孔雀の羽を付けた烏の話が浮かびました
新報で谷川さんが本山での僧侶の態度を批判した記事がありました
会員の中には、社長や博士もいるのに、ぞんざいな扱いをしていると怒っていました
え?
広宣流布を推進している、折伏に挑戦している人ではなく、社長?博士?
肩書き?
他の人はぞんざいに扱われていいの?と思いながら、記事を読みました
その頃、
谷川さんは会長になる為に商社を辞めたと言われていました
この記事読んで、この人の会長はない!と思いました
学会で一番大事な人は社長でも博士でもありません
広宣流布の為折伏、会員の幸福の為、祈り尽くしている人です
その人を誰よりも大事に思う人が学会の会長に相応しい
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