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トキメキは輝き
「感動する」「喜び」「歓喜」は、全ての苦悩を消す。「感動」という生命現象
は「縁」に触れてもたらされる。泣いたり、笑ったり、喜怒哀楽、感情の働き作
用である。
「大感情を抱く」とは戸田先生の指導である。「法のため」「民衆救済のため」
という「大感情」は、個人的な悩み、苦しみを消失させる。つまり「大感情を抱
く」ことにより「個人的な喜怒哀楽」「幸・不幸」等は自然に克服されるという
ことである。(消去される)
創価でない2浪の受験生に「法のため」「民衆救済のため」にと自分に言い聞か
せると希望の大学に受かるよ、とアドバイスしたら見事志望校に合格した。(医
学部)「何のために」を明確化することを促したのだ。
後日、御両親がお礼に尋ねてこられ「私立を覚悟していたのですが、息子がアル
ベア様のおかげだと言ったものですから」と、受験生には、道端で1回きりのア
ドバイスだった。
「喜びは伝播する」まさにその通り。「縁」に触れることにより「道が開けた」
のだ。
「南無妙穂蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」ここを離れては、歓喜は思考レベル
である。生命現象としての働きが「南無妙穂蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」な
のだ。人間の見方、枠組みで見る限り「生命現象」は体感できない。普段から「
自分自身は生命現象なのだ」と意識すれば、人間の見方、枠組みを離れ自然に「
生命現象」として見ることができるようになる。この自分自身による視点の転換
が体感をもたらすのだ。
「意識機能」の使い方を身に付ける事により「体感覚知」はもたらされる。
思い込み・信じ込みは、人それぞれ、「意識機能」の操作は自分で体得するしか
ない。職人・武道家は日々の稽古・鍛錬により「意識機能」を操作している。現
代人の不幸は「意識機能」の操作方法がわからないところにある。
思い出して欲しい、自転車に乗れるようになると嬉しく、楽しかったことを、「
できないことが、できるようになる」「わからないことが、わかるようになる」
「嫌な事が、嫌でなくなる」全ては「学び」による「意識機能」の働き作用なの
だ。この繰り返しが稽古であり、鍛錬なのだ。
親父が言っていた「稽古、鍛錬は、嘘をつかない、言葉は嘘となる。言葉には歓
喜・感動はない、伝わるのは話し手の裏打ちされた稽古であり、鍛錬があるから
相手に歓喜を呼び起こし伝わるのだ。」と、
創価の信心で言うならば稽古・鍛錬は、朝晩の勤行・唱題である。しかし、稽古
・鍛錬にならない朝晩の勤行・唱題が目につく。創価信心の希薄化が起きている
のだ。残念ながら稽古・鍛錬なき方々がリーダーとなっている現状があるからだ
。思い込み・信じ込みの次元である。
日々の稽古・鍛錬は、いつしか自分自身が向上している体感を掴む、そして何よ
りも楽しい、自然にもたらされる歓喜であり、喜びである。
池田先生が「君よ、何のためにを忘れるな」とのことは「法のため」「民衆救済
のため」という「立正安国」に生きる事に絶対的幸福があることなのだ。「大感
情」があるところに歓喜があり、功徳が花咲き、その現証が伝播するのだ。そこ
には、トキメキがあり、輝きがある。その姿、振る舞いを見て、人々は「気づく
」のである。
感化する働き作用である。感化される人から、感化する人に、
「大感情」は意識機能を活性化させる。自分自身を本物の人材に誘ってくれる。
仏の智慧による働き作用だからだ。なぜならば「仏の人材だから」今、ここにあ
るからだ。
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