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不本意な選択
新年度が始まり、大学生や新社会人が新スタートを切った。「がんばれ、逃げる
な」と応援せざるをえない。しかし4月下旬から始まる5月の連休終わるまでに、
3割近くが不本意入学・不本意就職・不本意人生 不本意を抱える人が多い。期
待がハズレたと感じる人たちである。1年も踏ん張れずに方向転換、進路変更を
「自分自身」で選択するのである。不本意選択は、方向転換、進路変更等の転職
は「癖」となり、結果、非正規、契約、パート、アルバイトという雇用形態を選
択してしまう。なぜ、このようなことになるのか、本人もわからない人が多い。
「生きていく、生かされている」ということが基本的に自得されていないからで
ある。選択の仕方を自ら進んで修得していないのだ。このような現象は現代人に
とっては「未習学」となっている。「智慧」を学ぶことがなく、知識と思考の訓
練というスキルトレーニングが一般化しているからである。
知識と思考の中にいると、自然との軋轢が生じ、不合理・理不尽と言う「人間感
覚」としての不具合を感じるのである。選択の仕方が間違っているということで
ある。
「選択」を観察すると見た目は、思考や思いは時間の連続的な流れの中で、常に
「一つ」しか選択されないということがわかる。直線的運動である。
観察に慣れて来ると、その選択されたことが「正」「反」という相対的な現象を
含んでいることに気がつく。だから人は自ら選択したことに対して、常に迷うの
だ。
例⇒これでいいと思っても、これでよかったのか、あの時の選択ではなく、あっ
ちのほうがよかったのでは等と思う。
「不本意な選択」とは、その都度の「気づき」なのである。「気づく」から修正
しようと悩む、苦しむという現象化が起きるのである。選択の仕方を自得すると
、選択が、面白いほどできるようになる。
親父が職人の新人によく言っていたことである
「嫌な事とは、慣れていないから嫌だと感じるだけで、慣れると、次に進む、そ
して、また嫌だと感じる、この繰り返しで嫌な事が消えていく、プロの職人とは
、そういうものだ」
「仕事を覚えるのは嫌な事に慣れる事である。嫌な事を先にやれば、後でいい事
が待っている。人間は誰でも嫌な事を通して、新しい世界を学び成長していくも
のだ」と
「嫌な事」を「嫌だ」と放置していると、なんでもかんでも「嫌になる」、不思
議な事に周りから「嫌な奴」と見られてしまう人間になってしまう。こうしたこ
とも自分自身の選択なのだ。⇒「作用反作用」
一つの悩み、苦しみが解決すると、スグに新たな悩み、苦しみが出てくる。この
ことに慣れるのに3年はかかる。3年経つと、いろいろな現象が起きても惑わされ
ずに対応できるようになる。「石の上に3年」とはよくいったものである。生命
の法則なのだ。「1000日をもって初心となし、万日をもって極みとなす」まさ
にその通りである。
このようなことを「学ぶ」ことなく多くの人々は大人になっている。幼稚化する
大人たちの生活スタイルは、私の世代から見ると「ままごと」「ごっこ遊び」の
世界である。いつの時代もこのような事が語られ、世代に継承され、幼稚化が進
んでいる。親の介護がめんどうだ、お金がかかる等、理由をつけて、安い施設に
入所させ、それっきり、面会も年に2,3回、自分の子供の教育にお金もかかる、
とにかく「親孝行」という「感謝」が希薄な大人が多い。今述べた現象も「生命
現象」なのである。
こうした現代人の多くは「自分自身」の人生そのものが「不本意」にあるのかも
しれない。
例⇒結婚という現実の多くは「不本意」であることは、あまり知られていない。
どうでもいい事だが・・・
創価を取り巻く状況などは「不本意」な状況です。当然、執行部の方々も「不本
意」な状況にあります。「選択」の仕方が間違っているのです。ただ「気づかな
い」「気づけない」だけなのです。
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