「難しいカタカナ語」を多用した文章について。
読みづらい
多用する人はバンバン使う「難しいカタカナ語」、これで文章を書かれると「読み辛いなぁ」と感じることがある。世間一般で良く知られており、大多数に説明不要な言葉ならまだしも、最近出てきたようなカタカナ語を使われるたびにGoogle検索する必要に迫られる。
知らない自分が無知であることは前提なのだが、有り体に言えば「日本語で書けばいい部分をわざわざ難しくする必要はある?」とも思う。そこで嫌になって離脱し、読了しないことすらある。
そもそも、このような文章は他人に自分の意図を理解してもらう気があるか疑問。100人いて95人がつど用語検索し読み進めなければいけない文章というのは、残りの5%を意識して書いているのだろうか。「これくらいは読めなければ、私の文章は読めないぞ」という上から目線、嫌味すら感じることがある。
不快カタカナ語
〈「日本語で言えばいいのに…」と思うカタカナビジネス用語TOP10〉
(全28の項目のなかから上位3位まで選択。1位3pt、2位2pt、3位1ptとして集計)1位 コミットメント(約束、集中する) 149pt
2位 ユーザー(利用者、消費者) 125pt
3位 エビデンス(証拠、確証) 92pt
4位 スペック(能力、性能) 87pt
5位 アジェンダ(議題、課題) 67pt
6位 コンセンサス(合意) 58pt
7位 フィックス(決定) 53pt
8位 ジャストアイディア(思いつき) 42pt
9位 シェア(共有) 41pt
10位 ペンディング(保留、中止) 33pt
20~30代の社会人男性200人にアンケートで調査した結果を引用させていただいた(アイ・リサーチ調べ)
2位(ユーザー)、4位(スペック)、9位(シェア)あたりはネットにある程度親しみがあれば理解できるだろうし、使われても違和感は感じない。だけど、そのほかの語を見てみると微妙なものが多く、5位(アジェンダ)や10位(ペンディング)に至っては「?」状態。これらは全て日本語に言い換えても齟齬などの支障があるとは思えないのだが。
難解なカタカナ語を使う目的の精査を
誰かに意思を伝えるにしても、伝わりやすい方法を考え、実践することは重要。いちいち説明しなければいけないカタカナ語を使用し、相手に調べなければいけない手間をかけさせることは損失じゃないか?
よほど一般的な言葉で相手が理解できなければ、最低限の素養を求めることは致し方ないことであるが、「こんなことくらい知ってるでしょ」と言わんばかりに難解な言葉を羅列するのは、本当の意味で頭が良いとは思えない。皆が知っている言葉で、できるだけ多くの人に意思が伝わるような文章を書く人は実力があるのだと思う。
一般的ではないカタカナ語を使用するのであれば、目的をはっきりさせるべきだ。例えばエビデンスという言葉を用いる際に、(証拠、確証)という日本語では機微が伝わらない場合であるとか、専門的な世界の共通言語となっているような場合はカタカナ語を使う意味もあるのだろう。
このような使い分けをしているのであれば、いくらでも言葉を調べて文章の意味を読み解こうという気持ちは起きる。だが、自分の頭の良さを誇示する目的であるとか、その言葉の意味自体を良くわからずに多用していると察してしまう文章は、魅力がなく最後まで読みたいと思えない。
最低条件は「自分が使う言葉の意味を知っていること」だと思う。これはカタカナ語や日本語に関わらず守るべきルール。僕が自分に課していること。ここを守ったうえで「さて、このカタカナ語を使って文章の細かな部分を装飾するに足る理由はあるだろうか」という段階に移りたいものだ。
世間に浸透していない、一般的ではない難解な言葉というのは、いつの間にか自分の文章を意味もなく嫌味に難解にしている可能性がある。