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日顕撲滅、共産党撲滅…
これ、何なんでしょうね。
以前に幹部にお伺いしたことがあります。
「相手に罰が落ちますようにと祈ることは、仏の教えではないように思うのですが」と。
すると
「相手に仏罰が出て、周りに動執生疑を起こさせる慈悲の戦いなのよ、これは仏の慈悲からくる戦いよ」
と説明されたことがあります。
選挙のたび、折伏のたびに相手を撲滅させる、落選させる、現罰よ出でよとの祈りへの違和感は消えずに過ごしてきました。
「まだ現罰出てないのか」「何故か元気なのが悔しいですね」「いや、実はこんな現証出てるみたいですよ」などの言葉を聞くたびに、相手を呪う祈祷が肯定されているのを感じ堪らなく嫌悪感がありました。
ここを見て納得しました。
私の違和感は間違っていなかったんですね。
人の不幸を祈る仏なんて聞いたことないです。
仏なら、政策に自信があるなら、
「公明党の素晴らしい公約が実を結びますように」
「御本尊直結の素晴らしい信心に目覚めますように」
と祈らないのでしょうか。
仏法は勝負、の御金言を勘違いした解釈をしているような気がします。
人の不幸を祈って功徳が出るわけない。
相手の動執生疑を祈る中で、相手に思い直すきっかけが出るなら仕方ない、しかしそれが正しい方向へ軌道修正できる方便になることを祈らなくてはいけないような気がします。
撲滅、て何なんでしょうか。
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