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THE NEW GATE 作者:風波しのぎ

第八章『剣姫の目覚め』

25/51

【3】

 コツ、コツ、コツ。
 静まり返った教会内に、靴音が響く。
 フードをかぶった小柄な人物が、通路を歩いている。
 しばらくしてその人物が足を止めたのは、通路に並んだ扉の一つ、ハーミィの休んでいる部屋の前だった。
 部屋の扉は開いており、部屋の中から外に向かって騎士甲冑を着た男がうつぶせに倒れている。動かないのは意識を失っているからだ。

「おじゃましまーす」

 聞こえてきたのは少年の声にしては高く、少女の声にしては低い、性別の判断が難しい声だ。友人の部屋を訪れたような気安い言葉とともに、フードの人物は部屋に踏み入った。
 部屋の中では入り口の騎士と同じように人が倒れている。外傷はなく、呼吸も安定しているところから、眠っているだけのようだ。

「お休み中ですかー? お休み中ですねー? では失礼しまーす」

 中にいる者たちが眠っているのを確認して、その人物は部屋の奥へと進んだ。扉を開けると、中では1人の少女と2人の騎士が倒れている。

「お、発見」

 ベッドにもたれるように倒れている少女、ハーミィを見つけるとゆっくりと近づいていく。マントの中から伸ばした手がハーミィに触れかけた瞬間、風きり音が響いた。

「おっと」

 飛んできた短剣は、視線すら向けられずに指で挟んで止められる。

「これは驚き。まだ起きてられるんですか?」
「なに、ものだ……」

 起き上がったのは倒れていた騎士のうちの片方、ケーニッヒだ。
 ふらつく体に活を入れ、立ち上がる。口元から血が出ているのは、咬み切って意識を保とうとしたからだろう。

「あ、自己紹介がまだでしたね。どうもこんばんは。僕は蛇円の虚所属のミルトといいます。この度はこちらのハーミィさんをいただきに参上しました。抵抗は無駄ですので、おとなしくしていたほうが楽ですよ?」
「戯言を!!」

 ミルトの口上を聞いたケーニッヒが、抜刀と同時に斬りかかる。上級選定者であるケーニッヒの踏み込みは強く、甲冑を着ているとは思えない速度だ。
 しかし、ミルトの速度はそれを上回る。ミルトの体がゆらりと傾いたかと思うと、するりとケーニッヒの繰り出した一撃を回避する。狭い空間で巧みに繰り出される斬撃。だが、まるで水中でものを掴もうとした時のように、ミルトにはかすりもしない。

「さすがは上級選定者。すごい攻撃だ」

 斬撃をかわしながらミルトは軽口をたたく。上級選定者であるケーニッヒを前にしても、焦りを微塵も感じさせない。

「くっ」

 原因不明の脱力感と眠気に耐えて剣を振るうケーニッヒと、何の影響もうけていないミルト。
 勝敗の行方は、誰が見てもわかるものだった。

「でも残念。その程度じゃ食指が動かないんですよ。あんまり時間もかけられないので、そろそろお暇しますね」

 言葉と同時にミルトの姿が掻き消える。懐に潜り込んだミルトの一撃に、体の動きが鈍ったケーニッヒは反応できなかった。
 ミルトの掌底突きがケーニッヒの鎧に叩きつけられ、衝撃が体内で炸裂する。

「が、は……」

 鎧を突き抜けてきた衝撃に、ケーニッヒの息が詰まる。崩れ落ちたケーニッヒは二度と立ち上がることはなかった。
 本来なら耐えられただろう一撃も、状態異常に蝕まれた体では耐えきれない。

「さて、邪魔者がいなくなったところでお仕事お仕事っと」

 ケーニッヒが動かなくなったことを確認して、ミルトは眠ったままのハーミィを担ぐ。
 ある処置をしてから部屋を出たミルトは、そのままパルミラックの入口へと向かった。
 物音一つしない通路を歩きながら、ミルトは独り言を口にする。

「やっぱりゆるいなぁ。ここが復活したってことは六天の誰かが戻ってきたってことなのに、このゆるさはなんなのさ」

 忍び込む側からしてみれば、警戒がゆるいのは好都合。だというのに、ミルトの口から出てくるのは不満だけだった。

「デスゲームに巻き込まれたのはシンさんだけのはずだけど、あの人ならこんな風に無関係の人間を入れたままになんかしないはずだし。でも他の人が来てるって方がおかしい。というかこっちにシンさんが来てるってことは死んだってことだし、あの人が誰かに殺されるっていうのは納得いかないなぁ」

 内心を吐露しながらミルトは歩く。
 現在のパルミラックは教会内の人々を慮って制限が甘くなっていた。ゆえに、わざわざミルトが警戒するまでもなく、油断していても何の問題もなかった。
 ミルトは忍び込んだのではない。正面の入口から、堂々と入ってきたのだ。

「ああ、シンさんに会いたいなぁ。あの人がいれば、こんなことに手を貸さなくても僕は満たされるのに」

 恋する乙女のようにも、ヒーローに憧れる少年のようにも感じられるミルトの言葉。だが、そんな印象とは裏腹に、その響きは聞く者に強い執着を感じさせる。
 正面の入口から出ていくミルト。
 遠くで響く爆音を聞きながら、暗闇の中に消えていった。



 ◆◆◆



 最初に気づいたのは、近くにいたシュバイドだった。
 ジグルスに向かっていたアンデッドモンスターを殲滅した後、周囲の気配を探った際にヴィルヘルムの反応がないことに気付いたのだ。
 シンやシュニーよりも狭い範囲とはいえ、シュバイドの感知範囲も一般の選定者をはるかにしのぐ。だというのに、どれだけ気配を探っても全く反応がない。シュバイドが記憶に残っている範囲でヴィルヘルムのいた場所に向かうが、手掛かりらしいものは発見できなかった。
 ヴィルヘルムが伝言の一つも残さずにどこかへ行くような何かがあった。そうシュバイドが考えるのは、時間の問題だった。

「(こっちはけりがついた。そっちはどうだ?)」
「(モンスターは殲滅した。だが、妙なことになっている)」

 タイミング良くかかってきた心話で、シュバイドはシンにヴィルヘルムの姿が見えないことを話す。
 武器の性能が上がったこともあり、ヴィルヘルムの力はシンたちと出会ったころよりも上昇している。本人も多くの修羅場を乗り越えた経験があるだけに、いなくなったのには相応の理由があるのは明白だ。
 後始末を済ませたシンたちもシュバイドに合流して周囲を捜索する。
 ヴィルヘルムの反応をさがして意識を集中するシンとシュニーだったが、感知範囲内には反応はなかった。一応シュバイドも調べた場所に向かうが、やはり手掛かりといえるようなものは発見できない。

「大きな戦闘の跡はない。となると、何かと戦って連れ去られたってことはないと考えていいのか?」
「相手が頂の派閥の関係者なら、人質をとって抵抗できなくさせたということも考えられます。もしくは、精神系の魔術でも可能です」

 情報が少ない現状では、推測をたてるにも限界がある。そこへ、感知がシンたちほどではないので足で手掛かりを探していたティエラとカゲロウが戻ってきた。

「何かわかった?」
「いや、やっぱり周囲に反応はないな。そっちは?」
「……これってものは見つからなかったけど、そうね。気になった場所ならあるわ」
「気になった場所?」

 シンの問いかけに一瞬沈黙したティエラ。小さく息を吐いてから、問いかけに答えた。

「案内するからついてきて」

 それだけ言って、ティエラはカゲロウに指示を出す。現在のメンバーでは一番足の遅いシュバイドに合わせながらカゲロウが向かった先は、これといった特徴のない林だった。
 シンの目には周囲との違いは感じられない。それはシュニーやシュバイドも同じようで、その瞳には困惑の色が混じっていた。

「こっちよ」

 カゲロウから降り、ティエラが林の中に向かって歩き出す。カゲロウは小さくなってティエラの足元を歩いている。
 ティエラとカゲロウに数歩遅れる形で、シンたちも林の中へと足を踏み入れた。歩いて数分もしないうちに開けた場所に出る。そこに踏み入る一歩手前で、ティエラは足を止めていた。

「気になった場所っていうのは、ここか?」
「ええ、信じてもらえないかもしれないけど、ここには少し前まですごく強い瘴魔(デーモン)がいたはずよ」
瘴魔(デーモン)が?」

 ティエラの言葉にシンは表情を険しくする。シュニーとシュバイドも同じで、最も近くで戦っていたシュバイドはとくに表情が険しい。
 ただ、シンやシュニーと違い、いくらレベルとステータスが高いとはいえ、近接戦闘職であるシュバイドに2人ほどの広範囲策敵能力はない。相手が隠蔽などのスキルを使っていたとしたら、発見できなくてもおかしくはなかった。

「このタイミングでってことは、ヴィルヘルムに何かしたのは瘴魔(デーモン)か?」
「そうなると、かなり高位の個体でしょう。名持ちの可能性もありますね」
「うむ、それなら隠密行動も可能だろう」

 高位の爵位をもつ瘴魔(デーモン)には、シュニーやシュバイドに匹敵する力をもった個体もいる。それを考慮すれば、ヴィルヘルムが抵抗せずに、もしくはできずに連れていかれたとしてもおかしくはなかった。

「えっと、疑ってないの?」

 疑う素振りも見せないシンたちに、ティエラの口からついそんな言葉が漏れた。

「ん? なんで疑うんだよ。ティエラはこの状況で嘘や冗談を言うような奴じゃないだろ」
「でも、ただの感覚だし。……証拠だってないし」
「そりゃそうだけどさ、少なくとも俺たちはティエラを信用してる。だから、そこに証拠なんてなくても信じるのは当然だろ」

 消え入りそうなティエラの言葉に、それが当たり前だとシンは何の疑いもなく返す。
 そもそも、この世界は魔力やらスキルやら説明が難しい力が複数存在しているのだ。瘴気や瘴魔(デーモン)を何らかの形で感知できたとしても、何の不思議もない。
 さらにいうなら、エルフやピクシーは五感に加えて第六感。いわゆる勘と呼ばれるものが鋭い。対象は人それぞれだが、ティエラはその生い立ちゆえに悪意や害意に敏感である可能性は十分あった。

「俺はわずかだけど瘴気の名残みたいなものを感じる。皆はどうだ?」
「我は何も感じぬな」
「私は瘴気ではないものを感じます。悪いものではないように思いますが」

 ここまで接近したことで、わずかではあるがシンとシュニーはこの場に残された気配を感じていた。

「シンとシュニーで感じているものが違うようだが」
「俺が感じてるのは、たぶんティエラと似たようなものだと思う。シュニーが感じてるのは、なんだろうな」

 瘴気に触れる機会はあったので、シンもそれは理解できた。しかし、シュニーの言う、瘴気ではないものの気配というのは理解できなかった。

「少なくとも、瘴気ではないですね。アイテム類も変わったものは持っていなかったはずですし。……そういえば、シンはヴィルヘルムの持っていた槍を強化していましたよね。それはどうですか?」
「たしかにヴィルヘルムの武器はベイノートに変化したが、あれにそんな効果があったか?」

 シンは記憶の中からベイノートの性能を引っ張り出して考える。聖槍の名を持つだけに、アンデッドに対する効果は高い。瘴魔にも多少は効果があるが、あくまでおまけという程度だ。
 今回のように、瘴気の気配の濃い場所ですら感じられるほどの強い何かを持っているわけではない。

「しいて言うなら、等級が変わってたな」
「等級が?」
「ああ、神話級から古代級に一段階上がってた。それが関係してるのかもしれない。詳しいことはわからないけどな」

 仮にそうだったとしても、現状では手掛かりにはなりそうになかった。
 手分けして周囲を捜索するが、これといったものは見つけられず、時間だけが過ぎていく。

「……これだけ探しても、なにもないか」
「こっちは何も見つからなかったわ」
「我もだ」
「私もです。戦闘をした様子もないですし、やはり操られたか人質をとられたのでしょう」

 散らばって調べていた面々が結果を報告する。
 結局のところ、わかったのは手がかりはないということだけだった。

「仕方ない、一旦戻ろう。これ以上ここにいても進展はなさそうだし、なんだか嫌な予感がする」

 ミリーの誘拐からずっと後手に回っている。だからだろう、シンにはこれで終わりとは思えなかった。


 ◆


「これは……!」
「え、なに?」

 突然声を上げたシンに、ティエラが驚く。
 調査を切り上げてパルミラックに戻ってきた矢先、シンは異変を察知したのだ。

「睡眠薬ですね。気化させて施設全体に効果を及ぼしているようです」
「くそ、やっぱりこっちもか」

 シュニーが異変の正体を看破するも、もはや手遅れであった。
 シンがパルミラックの機能を使って検索するも、やはりというべきか、ハーミィの姿がない。

「こっちの情報が漏れてたのか?」
「わかりません。私たちの知る限り、操られていたような者はいなかったはずですが」

 真っ先にシンたちの頭に浮かんだのは、ハーミィたちを操っていた首輪だ。
 しかし、使者を待っている間に確認した際には、他に誰も首輪をつけていなかった。状態異常についても同様で内部の誰かが操られて、という可能性は高くない。
 ただ、自分の意志で動いている場合は首輪のあるなしなど関係ないので、内部に頂の派閥の関係者がいないとは断言できないのだが。

「毒じゃなかっただけましと思うしかないか。仕方ない、とりあえず薬を散らそう」

 風術系スキルを使って、空中に漂っている薬品を吹き散らす。肉体に負荷をかけるようなものではなかったので、影響を受けた人々はただ眠っているだけだ。
 夜というもともと人が眠りにつく時間帯だったこともあって、大きな混乱は起こっていない。しいて言うなら、通路や床で眠ってしまったものが風邪を引くかもしれないということくらいだ。

「セキュリティを甘くしてたのが裏目に出たな」
「しかし、そうでもしないと教会内にこれだけの人をとどめておくことはできません」

 ガリガリと頭をかくシンに、シュニーが仕方なしと言葉をかける。
 実際問題としてギルドメンバーでもない教会の人間を、表層だけとはいえ大量に受け入れたままではパルミラックの防衛機構を100%機能させることはできないのだ。機能させたいのなら一部の人間をゲストとして一時的に排除対象からはずすか、全員に出て行ってもらうしかない。
 教会内にいる人間は教皇から見習いまで含めれば軽く100人以上。さすがに全員をゲストにはできない。

「ケーニッヒまでやられたのか。いや、剣を抜いてるな」

 何か手がかりでもないかとシンたちはハーミィの部屋にやってきた。内部の状況を見たシンは、倒れている者の中でケーニッヒだけが剣を抜いていることに気がつく。

「こっちは俺が見る。シュニーたちはリリシラたちのほうを頼む」
「わかりました。目を覚ましたらつれてきます」

 シュニーがリリシラの部屋に向かう。
 シュバイドやティエラにも状態異常の解除をするように頼み、シンはケーニッヒに向き直った。

「おい、起きろ! 何があった!」

 睡眠の状態異常を解除し、シンはケーニッヒを揺さぶる。選定者ゆえの抵抗力か、状態異常が解除されるとケーニッヒはすぐに目を覚ました。

「シン、殿? は、ハーミィ様は!?」

 意識が覚醒するとすぐに飛び起きて周囲を確認するケーニッヒ。目の前にいるのがシンだとわかると、ハーミィがどうなったかを問うてきた。

「悪いが、俺たちも今来たところなんだ。使者もモンスターで、情報らしい情報は得られなかった」
「使者は囮だったと。くっ、私がついていながら……」

 己のふがいなさを悔やむように、ケーニッヒは拳を握り締めた。

「このマークは、蛇円の虚か」

 ハーミィの部屋に残されていたマークを見て、シンは犯人の目星をつける。地下に残されていたマークと同じものだった。

「間違いない。ハーミィ様をさらいに来た本人もそう言っていたからな」
「犯人を見たのか?」

 ケーニッヒの発言に何か手がかりにならないかとシンが食いつく。

「体に異変を感じてからしばらくして、部屋にフードをかぶった人物がやってきた。マントとフードのせいで顔も性別もわからんが、本人はミルトと名乗っていた」

 ケーニッヒは自身が覚えている限りの情報をシンたちに伝えた。
 かなり小柄であること。声音からも男女の判断はつかなかったこと。不調だったとはいえ、自分の攻撃を余裕を持って回避していたことなどを列挙していく。

「私が覚えているのは、このくらいだ」
「いや、十分だ。たぶんだが、俺はそいつを知ってる」
「なに?」

 シンの言葉に今度はケーニッヒが食いついた。蛇円の虚は組織としては有名だが、その構成員は謎が多いのだ。

「思い出したんだ。小柄で性別のわからない声、上級選定者をものともしない戦闘力。ついでに今回使われてた薬にミルトって名前までそろえば間違いない」

 シンが思い出したのは偶々だ。シンの斬ってきたPKは大部分がシンに憎しみや恨みのこもった顔を向けるか、もしくは現実を見ていないような歪んだ笑顔を向けてきた。
 そんな中で、妙に楽しげな笑顔を浮かべていたのがミルトだ。
 THE NEW GATEがゲームだったころから有名でもあったので、辛うじて印象に残っていた。
 命の削りあいが楽しくてたまらない。ぎりぎりの死線でこそ生を感じるといったタイプで、強い相手なら人だろうがモンスターだろうがどっちでもいいと公言していたという。
 THE NEW GATEがデスゲームとなってからもそれは変わらず。そのプレイスタイルと独特の考え方から、疎まれつつも最前線のボス攻略には必ずといっていいほど乱入する異端者だった。積極的に弱い者を狩るようなことはなく。戦っているときはいたって真面目に攻略組に協力していた。戦闘が終わると即座に逃げるのは一部では有名な話だったが。
 使えるものは何でも使う主義。戦闘と逃走のどちらにも使えるということで、毒物の扱いが非常にうまかった印象がある。
 それが、シンの知っているミルトだ。

(誘拐に手を貸すようなやつだったか?)

 ミルトのことを思い出してシンが一番最初に感じたのは、違和感だ。
 その行動の異常さゆえに、ミルトの立ち位置は少々複雑だ。PKといえばそうなのだが、PKたちの多くが行っていたプレイヤーへの強襲や強盗行為、快楽殺人などには参加しなかった。シンが知らないところで参加していたのかもしれないが、少なくともシンがミルトを斬るまでそんな情報は届いていない。
 PKらしからぬPK。そんなミルトが誘拐に手を貸している。それがシンに違和感を感じさせていた。

「教えてくれ。奴は一体」
「……所謂戦闘狂だ。人を切ることは躊躇しないが、俺が知る限り、人さらいなんて面倒なことをするタイプじゃないんだが」

 シンも自分の知っているミルトの情報を、PKなどの用語をぼかしながらケーニッヒに伝える。
 本人のステータスは少なくともSTRとAGIが700を超える。極振りとはいかないが、かなり偏った能力値だ。

「シン殿の言うことが正しいのなら、そのミルトという人物が蛇円の虚に所属しているのは理解できる。あの組織なら国の依頼で強大なモンスターや、凶悪犯の討伐といったものも多いはずだ。頂の派閥に関しても、強くなった相手と戦うことが目的だろう」
「そりゃ、たしかに」

 ケーニッヒのいうことはもっともだ。善悪問わず強者と戦う機会があるというのなら、ミルトが参加していてもおかしくはない。

「とりあえずそれはおいとこう。どちらにしろハーミィを取り返しに行けば戦うことになるんだろうし。今はミルトがどこに行ったかだ」

 違和感を棚上げし、シンは話題を変える。
 一連の騒動が偶然でなければ、ヴィルヘルムも同じ場所にいるだろう。

「頂の派閥の拠点に向かったと見て、間違いないでしょう」
「早かったですね……大丈夫ですか?」

 シンはリリシラの言葉に振り向き、若干足取りが不安定なことに気づいて声をかけた。

「強制的に眠らされていたので多少ふらつきますが、問題ありません。それで行き先の件ですが、我々のほうでも一応の目星はつけてあります」

 ブルクたちのことを調べる過程で、儀式に使えそうな瘴気の溜まりやすい場所をピックアップしていたらしい。

「教えてもらっても?」
「もちろんお見せします。一旦テーブルのほうへ移動しましょう」

 シンたちのいる場所には小さなテーブルしかないので、隣の部屋へ移動する。リリシラは懐から一枚のアイテムカードを取り出し、テーブルの上で具現化させた。
 出現したのは一枚の地図で、描かれているのはジグルスを中心とした地図だ。範囲こそそれほど広くないが、その詳細は以前シンがベイルリヒトで買った地図とは天と地ほどの差がある。

「我々が儀式に使えそうだと考えている場所は3ヶ所です」

 そう言って、リリシラは地図の上に黒い石を2つ置いた。ジグルスを中心に北東にある山の中腹あたりに1つ、南西の森林地帯に1つだ。

「もう1ヶ所は、この地図のさらに先、ジグルスの南東にある海辺の洞窟です。どの場所も、地下へと続く洞窟があることが確認されています」
「瘴気が溜まっていると考えたのはなぜです?」

 洞窟ならば他にもありそうだと、シンは疑問を口にした。

「今挙げた3ヶ所は、かつて大規模な戦闘が起こり、多くの犠牲者が出た場所です。加えて、地脈の集まる場所でもあるとの情報があがっています。その両方を利用して、何かを企んでいるのではないかと我々は予想しています」
「なるほど、ユキやシュバイドはこれを見て何か思うことはあるか?」

 長年さまざまな場所を渡り歩いた2人に、シンは意見を求めた。同時に、心話でユズハにも心当たりがないか聞く。

「リリシラさんの言うとおり、この3ヶ所はかなり犠牲者を出した戦闘があった場所ですね。とくに南東の海岸と南西の森は強力なアンデッドが出現したことがあったはずです。北東の山のほうはあまりくわしい話を聞いたことがありませんね」
「ふむ、我は海岸については同意見だが、森のほうはあまり聞いた覚えがないな。山間部のほうは以前ドラゴン・アラードが出現して討伐に行ったことがある。たしか、体の一部が変質していたな。あれは瘴気の影響だったのかもしれん」

 どちらも海岸については知っているようだ。話を統合すると、どの場所も瘴気が溜まりやすいのは間違いない。
 シュバイドの言ったドラゴン・アラードも、言ってみればアンデッドドラゴンの一種だ。

(くぅ、ユズハよくわかんない)
(まあ、ユズハは知らなくても仕方ないな。教会から飛んでったやつにつけた追跡術はどうなってる?)
(あっちにいるよ)

 ほとんど神社から動けなかったユズハは、リリシラの言った3ヶ所についての情報を持っていなかった。
 しかし、それとは別に行動の指標にできる情報を持っている。
 心話で話すのと同時に、右前足を前方に突き出した。

「(シュニー、ユズハの指した方角ってどっちかわかるか?)」
「(……おおよそですが、南東方面ですね)」

 漠然とした方角ではあるが、その先にリリシラの示したポイントの1つがある。手がかりの少ない現状では、もっとも有力なポイントといえるだろう。

「2人とも知っている海岸に向かおう。奴らは転移を使ったり飛行モンスターをテイムしたりしてるから、多少距離が離れていても関係ないだろうし」

 ユズハの意見もあって、行き先を南東の海岸に決める。
 バラけるということも考えたが、瘴魔の中にはシュニーやシュバイドだけでは対応できないような強力なものもいる。
 加えて元プレイヤーのミルトも所属している蛇円の虚の存在もあり、戦力の分散はしない方針に決まった。

「すぐ出発といきたいが、一応全員が起きるのを確認しないとな」
「そうですね。広域散布しても効果を発揮するような薬です。別の症状が出ている人もいるかもしれません」

 元プレイヤーの使う薬品は現在流通しているものより強力だ。死にはしないまでも、眠り続ける者がでる可能性は否定できない。
 とはいえ、さすがに全員を叩き起こして回るわけにもいかないので、一行は朝まで待つことにした。長距離移動に際して食料の買い出しも必要だし、海岸の洞窟までの詳しいルートの確認も行わなければならない。

「(くぅ……ねむい……)」
「さすがにユズハは限界か」
「時間も時間ですから。残りは明日の朝にして、我々も休んだ方がいいでしょう」

 ウトウトし始めたユズハを見て、シュニーが提案した。能力が高かろうと疲労はする。満足な睡眠をとれるだけの時間はないが、無理に起きていてもそうやることがあるわけでもない。

「そうだな。リリシラさんたちも一旦休みましょう。今の状態で頭を使っても、いい案は出ないでしょうし」
「そう、ですね。正直に言わせていただくと、少し辛いものがあります」

 ルートの確認はそれほど時間はかからない。リリシラの不調やケーニッヒのダメージもあり、休むことにした。
 シンたちも空いている部屋に入る。シンはユズハをベッドに寝かせると、自分もよこになった。

「ミルトか……」

 かつて、互いに殺し合った相手の名前を口にして、シンは目を閉じる。思い出すのは妙に人懐っこい笑顔と、別人のような口元のつり上がった獰猛な笑顔の2つ。
 もし蛇円の虚から戦闘員として頂の派閥に派遣されているなら、ほぼ確実に殺し合いになるだろう。
 そうなれば、シンは同じ相手を2度殺すことになる。

「そういう縁は、いらないな……」

 そうつぶやいて、シンは眠りに落ちた。


 ◆


 翌朝。シンたちは薬の影響を受けた者たちが全員目覚めたのを確認して移動の準備を始めた。
 食料の買い足しと移動ルートの再確認を終えると、一行は馬車に乗りこむ。
 海岸の洞窟へと向かうのはシン、シュニー、シュバイド、ティエラ、カゲロウ、ユズハ、ケーニッヒの5人と2匹だ。
 リリシラも行きたいと言ってきたが、カゲロウのいるティエラや上級選定者のケーニッヒのように一定以上の戦闘力がないのでパルミラックに残ることになった。
 戦闘力という点ではシンたちと比べてケーニッヒも見劣りするが、残していくと勝手についてきそうだったので一緒に移動することに決まった。

「それにしても……」
「ん? どうしました?」

 神妙な顔で外を見るケーニッヒに、何か気になることでもあるのかとシンが声をかける。

「いや、この馬車なのだが……どうなっているのだ? この速さでこの振動のなさ。長距離移動となれば、馬車の振動による消耗も覚悟していたのだが」
「ああ、なるほど」

 この世界の馬車の揺れを抑える技術は拙く、速度を出せば出すほど揺れはひどいものとなる。長時間そういった揺れにさらされ続けるというのは、シンが考えている以上に体力を奪っていくのだと聞かされ納得した。
 以前ベイルーンへの護衛依頼を受けた際も、ナックは馬車の揺れが少なくなるように改造したうえで揺れが大きくならない範囲で速度を出していたことを思い出す。

「これはちょっと特別なんです。知り合いに改造をしてもらいまして、そのおかげなんですよ」
「そうであったか。これはうれしい誤算だ。このペースなら想定しているよりも早く着ける」

 早く助けにいきたいという気持ちがあるのだろう。ケーニッヒは進行方向をじっと見据えていた。

「焦らないでくださいよ」
「わかっている。信用はないかもしれないが、飛ぶように過ぎていくこの景色を見たおかげで少しは落ち着いてきた。普通の馬車の速度なら走り出していたかもしれんが」

 神獣であるカゲロウが引くだけあって、ケーニッヒが走るよりも馬車のほうが速い。焦りがないわけではないが、目に見えるほどのものではなくなっていた。

「この先にいるのはおそらくケーニッヒさんと同等か、それ以上の敵です。気休めかもしれませんが、用意しておいた装備があるので、使ってください」

 そう言って、シンはアイテムカードをケーニッヒに差し出した。
 具現化されたのはアミュレットタイプのアクセサリで、付与された効果は状態異常への抵抗性の上昇と即死ダメージを1度だけ無効にするというものだ。

「いいのか? 貴重なものだろう?」

 見ただけではアミュレットの効果が分からないケーニッヒだが、放たれる魔力の気配を感じてそう口にした。
 シンたちの装備は鑑定スキルを持っていないケーニッヒにすら尋常な代物ではないと理解できる。そんなシンがこれから行く場所のことを考えて取り出したものが、ただのアミュレットであるわけがないと考えるのは自然なことだった。

「そこまで高価なものじゃないので気にしないでください。いざというときの為の保険みたいなものです」

 シンが効果の内容を説明してケーニッヒが驚くのもまた、自然なことだ。
 その効果はこの世界では国宝指定されてもおかしくないのだから。

「只者ではないのはわかっていたが、君たちは一体……」
「ただの冒険者ですよ。ダンジョンの宝箱からマジックアイテムが出ることはご存知ですよね。俺たちはダンジョンにはよく潜っていたので、こういうものを手に入れる機会が多かったんですよ」
「このレベルのアイテムが出るようなダンジョンに潜れる時点で、一般人レベルを超えているのだがな。やはり、選定者なのか」
「ま、そんなとこです」

 曖昧に返答して、シンは苦笑いする。
 強力な効果を持つアイテムは、当然だが低レベルのダンジョンでは手に入らない。選定者クラスが満足するようなアイテムが欲しいなら、相応の難易度があるダンジョンに潜らなければならないのだ。
 当然、潜る者にも実力が求められる。少なくともただレベルを上げただけの一般人では、超えられないほどの実力が。
 金を出せば手に入る、というレベルを超えたアイテムを無造作に渡すシンを、ケーニッヒがつい警戒してしまってもおかしくはない。

「そんなわけで、ケーニッヒさんの武器をちょっと拝借」
「む! いつのまに」

 シンが何気なく持ち上げたのは、ケーニッヒの腰にあったはずのハウファーだ。武器を奪われたことに気づけなかったケーニッヒを落ち着かせて、シンはスキルを行使する。
 回数制限ありのステータス上昇と魔術スキルを付与して、ケーニッヒに渡した。

「……剣が光っていたが、何をしたんだ?」
「さすがにこの場でパワーアップはできないんで、使い捨ての付与を少し。ケーニッヒさんが意識すれば、身体強化と魔術スキルが放てるようにしてあります」
「…………それは、アイテムでも使った、のか?」
「力がある分には、困らないでしょう?」

 質問に質問で返して、シンは回答をはぐらかす。
 あわただしく出発したので本格的に強化する時間がなかったのだ。移動中に襲われることを警戒しての、急場しのぎだ。
 シンの手持ちの中にはハウファーより強力な武器はある。ただ、要求ステータスが高すぎて、扱えるものが少なかった。下手に得物を変えて太刀筋が鈍っては本末転倒なので、本格的に休む夜まではそのままである。

「夜になったらもう少しましにするんで、それまではそれで我慢してください」
「むぅ、まるでその場しのぎのような言い方だが、剣から感じる魔力が明らかに増えているのだが……」

 妙な凄みを醸し出す愛剣を見て、ケーニッヒは困惑した表情を浮かべていた。

「相手は手練をそろえていそうですからね。こっちもいろいろと仕込みをしておかないと」

 後でいろいろと聞かれるだろうと思いながらも、シンは自重することなくスキルを使った。ケーニッヒを死なせないためというのももちろんあるが、何よりハーミィ救出の成功率をあげることを優先したのだ。出し惜しみをしていて助けられませんでしたでは、笑い話にもならない。
 シンたちは強い。だが、如何せん数が少ない。数を補うスキルもあるにはあるが、補うだけで仕事を完璧にこなせるかといわれれば疑問が残る。相手の規模もわからない状態で大規模な索敵から戦闘、救出まで同時にこなすことは、可能と言えば可能だ。だが、可能なだけでどこで綻びが出るかわからない。
 ケーニッヒを同行させたのにはそういった面をカバーしてもらうという側面もあるのだ。

「向こうに着いてからはどう動く?」

 野営の準備を終え、食事をとっているときにケーニッヒがそう口にした。
 移動中は出している速度もあって御者が話し合いに参加できなかったのだ。

「敵に見つからずに潜入したいところです。儀式を潰すのも大事ですが、それよりも生け贄を解放する方を優先します。まずは交戦を避ける方向で行こうかと」
「たしかに、生け贄がいなければ儀式もすすまないだろうな」

 相手の妨害をするにはそれが一番簡単で、一番早い。

「内部構造が分かればいいんですけどね。天然の洞窟じゃ見取図なんてないでしょうし、何より相手の戦力が未知数だ」
「私とシンで偵察に出ますか?」
「その方がいいだろうな。時間をかけたくないってのが本音だけど、焦ってしくじるのも怖い。もどかしいな」

 シュニーの言葉にうなずくシン。どちらをとっても懸念が残る。成功率が高いのはどちらか、判断はつかない。

「私たちは待機してるしかなさそうね」
「そうだな。我らではシンやユキの足手まといにしかならん」

 カゲロウがいるとはいえステータスの低いティエラや前衛職であるシュバイドに隠密行動をさせるというのは無理がある。本人たちもそれはわかっているようで、おとなしく待つことにしたようだ。

「いたしかたあるまい」

 ケーニッヒも悔しげにしながらも待つことに決めていた。
 その後も話し合いを続け、ある程度行動方針を決めるとシンは武器の強化にうつる。

「さて、やりますか」

 携帯用簡易炉をアイテムカードから具現化し、魔力を通す。炉の中心にゆらりと紫色の炎が灯った。

「色が変わってるな。そういえば、あのときも変わってたような」

 ゲームだったころは赤かったはずの炎。思い返せば、月の祠で剣を打った時も炎の色が若干紫がかっていたような気がした。
 あの時は気のせいともいえるような変化だったので、ゲームでなくなった影響かと気にも留めていなかった。

「シン? どうかしましたか?」
「ああいや、なんでもない」

 集中してみても、色以外の変化は感じない。
 念のため適当な剣を炎にかざしてみるが、特別なことは何も起こらなかった。剣に伝わる魔力もシンの手によく馴染んだものだ。違和感は何もない。
 色以外の変化はないのを確認し、ケーニッヒから預かったハウファーを突っ込む。
 紫炎に熱せられたハウファーが、ものの数秒で赤熱化する。
 本来、簡易炉程度の火力では伝説(レジェンド)級に手を加えることなどできない。しかし、シンの魔力と特別製の簡易炉のおかげで打ち直すまではいかずとも、強化するくらいはできた。

「まさか、伝説(レジェンド)級の武器に干渉できるのか? 腕利きのドワーフでも難しいと聞くが」
「選定者は常識にはとらわれませんからね。一応言っときますけど、できるのは強化だけですよ?」

 あくまで手を加えられるだけであって、伝説(レジェンド)級自体を打つことはできないと釘を刺すのは忘れない。
 リオンの持つ同じ伝説(レジェンド)級のムスぺリムが、この世界で凄まじい貴重品だということはすでにシンも知っている。ケーニッヒの性格をかんがみれば、おいそれとシンのことを他人に話すとは思えない。だが、与える情報は制限するべきだとシンは判断した。

「ただでさえ強力な伝説(レジェンド)級を強化できるというだけでも、十分貴重な能力だと思うが」
「もとになる物がないと何の役にも立ちませんから」

 事実、シンの言った通りの能力なら希少(レア)特殊(ユニーク)ですら貴重なこの世界では、ほとんど使う機会はない。
 宝の持ち腐れ以外の何物でもないのだ。

「さ、これでいいですよ。強化の度合いとしては、強度と切れ味が上がっています。あとは持ち主にかけられた魔術の効果を増幅する効果を足しておきました。使い捨ての付与と合わせれば、ちょっとした切り札になるはずです。一応、違和感がないか確認してください」

 そういってシンは強化したハウファーをケーニッヒに差し出す。銀色に輝く刀身の中心に二筋、鮮やかなエメラルドグリーンのラインが加わっていた。

「……見事なものだ」

 強化されたハウファーを見て、ケーニッヒはつぶやいた。
 次いで柄をしっかりと握り、シンたちから距離をとってハウファーを軽く振る。ヒュッという音とともに、ハウファーが空中に銀色の軌跡を残す。
 ケーニッヒはその様を見て一つうなずくと、あらためて構えをとりハウファーを連続して振るった。何かの流派の動きだろう。流れるように振るわれるハウファーに合わせて、暗闇の中に次々と銀色の軌跡が描かれる。

「さすがだ。まったく違和感がない」

 一通りの型を終えたケーニッヒが、感心した様子でシンに告げた。

「そりゃよかった。じゃあ次は鎧です。さ、脱いで脱いで」

 実戦を想定してハウファーを振っていたので、ケーニッヒは鎧を着たままだ。シンの言葉にうなずくケーニッヒ。次の瞬間、鎧が光ると同時に徐々に実体を失い、カードに変化する。
 その様は、ゲーム時のメニューを使ったものとは違う。もし同じなら変化など一瞬だ。
 以前バルクスと戦ったときにもみられた現象によく似ていた。

「ちょっと聞きたいんですけど、その鎧って何か特殊な処理がされてるんですか? そんなふうにカード化するのは初めて見るんですけど」
「そうなのか? これは『栄華の落日』以前に使われていた、一瞬で装備を換えるという技術を復活させようとした者たちが開発したものと聞いている。たしか、黒と赤の派閥の技術者が協力したことで実用化した技術だったはずだ」

 武具関連の技術なので、鍛冶と錬金術に強い派閥が知恵を絞ったようだ。

「なるほど、完全じゃないから若干のタイムロスがあるんですね」
「そうだな。だが、いちいち着脱する必要がないので重宝している。ただ、この処理をできる鍛冶師や錬金術師、魔導士は少ないという話だ。私のこれも、教会に所属している高位の錬金術師が苦労して付与してくれたものだからな」

 ケーニッヒの話を聞きながら、シンはカードを再度具現化した。こちらは炉に突っ込まずに、鎧に手を添えて魔力を通す。
 鎧の強化をしながら鑑定をかけてみるが、ゲームにはない技術だからか詳細まではわからなかった。

(これもアーツみたいなものなのかね)

 シンはまだアーツについて知識がほとんどない。ジラートとの戦いの後ベイルリヒトに戻り、バルメル防衛に参加し、さらにはミリーの誘拐だ。
 ゆっくりとシュニーやシュバイドに教えを請うている時間はなかった。

「……これで、完成です」

 強度の強化とわずかではあるがステータス上昇の効果を付与した後、カード化してケーニッヒにかえした。
 ケーニッヒは再度装着して着心地を確かめる。サイズは変わっていないので、どの程度身体能力が強化されたか軽く動いて確かめていた。

「さて、明日も早くから移動だ。さっさと寝よう」
「見張りはどうするのだ?」
「神獣の警戒をくぐり抜けてくるモンスターなんてそうそういませんよ」

 下手な警戒アイテムよりユズハとカゲロウの危機察知能力は高い。奇襲を受けることはほぼないと言っていいだろう。
 加えて言うなら、馬車には簡易拠点として使用できるように出発前にいろいろと改造済みだ。中で誰かが休んでいるときは、フィールドボスでもなければ突破できないような障壁(ウォール)防壁(バリア)が展開される。
 さらに、寝ていてもシンやシュニーの警戒網はほとんど緩まない。奇襲などあり得ないと言っていい状態なのだ。

「たしかに、な。モンスターが逆に逃げていくくらいだ。寝ていても恐れて近づこうとすらしないだろうな」

 シンの言葉にケーニッヒも納得した様子を見せる。
 夕食を取った後、一行は馬車で休むことにした。



 ◆◆◆



 暗い部屋の中に、仄かな光が満ちていた。
 20m四方の部屋の中心には、直径15mの魔術陣とそれを囲むように結界が展開されている。陣の上には、子供から大人まで20人ほどの男女の姿があった。

「くそおっ!! だせ! ここからだせええ!!」

 誰のものとも知れぬ叫びが、部屋の中に響く。魔術陣の中で動ける者は、一様に必死の形相で結界を叩いている。その多くは男性で、腕の中に子どもや女性を抱えている者もいる。
 その手には武器らしい武器はなく、服装も戦いを生業にしている者の服装ではなかった。
 そう、魔術陣の中にいるのは、すべて一般人だ。

「おいおい、またやってんのか? あんたも好きだねぇ」

 必死の叫びに交じって、呆れたような声が響く。
 魔術陣から発せられる光に照らされて、闇の中で声の主の姿が浮かび上がる。
 その顔はエイラインと呼ばれた人間の姿をしていた。

「おやその気配は、アダラ君か。久しいね」

 答える声は、エイラインの顔をした人物をアダラと呼んだ。それが彼本来の名前だった。

「こんなんで足しになるのか?」
「塵も積もればという言葉が人にはあるらしいよ。まあこれは僕の趣味みたいなものだし、何かあればもうけものといったところかな。やはり愛する者を助けるために必死に動く様は、見ているだけで心を打たれる」
「どうせその後の絶望を引き立てる、とか言うんだろ? スコルアスも変わらんな」

 部屋の上部。観覧席のようになっている場所でアダラは目の前で笑みを浮かべる人物、スコルアスに言った。
 スコルアスと呼ばれた男は、貴公子然とした容姿を持つ人物だ。部屋を照らす光に照らされた白い髪と赤い目が、見る者の目を引く。社交界にでも出席すれば、貴族のご令嬢たちの注目の的になることは疑うべくもない。
 階下で響く声を聞いて愉悦の表情を浮かべるような性格を知られなければ、の話だが。

「主は違えど瘴王に仕える者同士、共感してもらえると思うんだけどね」
「俺は寄生型、あんたは発生型。生まれの元が違うから嗜好も違うんじゃねぇのか? 変異型のやつらはあれ見たらとっとと食っちまうと思うぞ?」

 すべての瘴魔(デーモン)は、最上位の階位である大公(グランドデューク)級の中でも最強たる三柱、瘴王と呼ばれる個体の配下だ。
 瘴魔(デーモン)たちは、人の絶望や悲鳴を糧として瘴王を復活させることをこの世界に生まれた瞬間から自覚し、行動する。
 ただ、あまりにも個性の強い個体は、その縛りすらも歪ませる。
 アダラとスコルアスもまた、その強すぎる個性によって瘴魔(デーモン)としての頸木を引きちぎった者たちだった。

「その考えはわかるけどね。僕としてはもう少し協調性がほしいところだよ。部下はまだ目覚めていないし、マグヌムク君は消されてしまったようだしね」

 やれやれと肩をすくめながら、スコルアスは言う。その様子からは、仲間が消されたことへの憤りを一欠けらも感じさせない。

「ん? あれはたしか、どっかの国に潜ってたんじゃなかったか?」
「君の連れている、そこの彼がいた国だよ」

 言いながらスコルアスはアダラの背後に視線を向ける。そこには無表情のまま立っているヴィルヘルムの姿があった。
 右手には獄槍ヴァキラが握られている。

「確か、ベイルリヒトだったか。あれは一応その辺の有象無象に倒されるようなレベルじゃなかったと思うが」
「近接の方の王女はいなかったらしいけどね。どうやら、僕らの知らない実力者がいたみたいだね。騒ぎにさえさせずに彼を封殺できるようなレベルの、ね」

 障害が増えたというのに、スコルアスの表情は晴れやかだ。なんだかんだ言ったところで、スコルアスもまた、歯ごたえのある相手がいなくて退屈していたのだから。

「さて、こっちはそろそろ終わりかな」

 スコルアスは視線を階下に向け直す。魔術陣の中では一つの変化が起こっていた。
 結界を叩いているような体力のある者以外の、ぐったりとしていた者たちの体が光り出したのだ。

「あ、ああ、俺の、俺の子が!!」

 赤子を抱えていた男の声が一際大きく響く。意識がなく、すでにかろうじて息をしている状態だった赤ん坊。その体が光の粒になって消えてしまったのだ。
 男の腕の中には、赤ん坊が着ていた小さな衣服だけが残っている。

「っ!?」

 その様子を見ていた他の者たちは、より一層結界を叩く手に力を込める。
 力を入れすぎて拳から血がにじんでも、彼らは腕を休めることはしなかった。

「そ、んな……」
「ちくしょう!! 消えるな、消えるなよおおおお!!」

 しかし、彼らがいくら力を込めても、結界は微塵も揺るがない。そもそもヴィルヘルムクラスの力がなければ突破できない結界だ。何の力もない一般人に、どうこうできる代物ではない。

「あ、あああああああああああああああああ!!」

 1人、また1人と慟哭とともに地面に膝をつく。
 その手の中には、彼らが命に代えても守りたかったものの、残骸だけが残っていた。

「ンビューーーーティフォオオオオオオオオオオオ!! 希望が消える瞬間の表情、ああ、これこそまさに芸術! そして、この慟哭、この絶望! 美ィ味! 実に美ィ味ィ!!」

 両手を広げて、スコルアスは喝采を上げる。
 まるで最高のパフォーマンスでも見たかのようなスタンディングオベーション。
 しかし、その顔が向けられているのは涙と嗚咽と血に濡れた、生気の抜けた者たちの末路だ。
 彼らもまた、愛しい者たちと同じように光となって消えていく。彼らが消え去ると、光っていた魔術陣の極一部が赤く染まった。気のせいだと言われればそれまでのような、あってないような変化だった。

「やれやれ」

 愉悦に顔を歪ませるスコルアスを見ながら、アダラは肩をすくめた。
 アダラもスコルアスのやっていることが理解できないわけではない。ただ、本人はそれを無駄だと思っていた。
 もっと質のいい相手を見つけてきた方が効率的。それがアダラの考えであり、だからこそのハーミィ誘拐でもあったのだから。

「ん? ……ほほう。これは連れてきたかいがあったか?」

 背後で気配が変化したのを感じたアダラが振り向くと、そこには相変わらず立ったままのヴィルヘルムがいる。そして、ヴァキラを握る手が、ギリギリと音をたてて握りこまれていた。体にまとわりつく靄も、所々で赤く発光して消えてはまた靄に覆われるのを繰り返している。その様はまるで靄を焼きつくそうとしているようだった。
 操られ、意識がないにもかかわらず、目の前で繰り広げられる凶演に反応しているのだ。
 それは、ヴィルヘルムがアダラの支配に反抗している確かな証だった。

「いいねぇ。そうこなくちゃな。後何人死ねばその槍を俺に向けてくる?」

 支配が解かれる可能性があるにもかかわらず、アダラの顔に浮かぶのはスコルアスと同じ愉悦に歪んだ表情。己が好むものの為なら、人など何人死のうがどうでもいいという部分は共通しているのだ。
 嗜好が違うとはいってもどちらも瘴魔、やはり2人は同類だった。
 そもそも、頸木から解き放たれたからといっても最優先目標が消えるわけではない。目標へ向けての過程にこそ、明確な差が出るのだ。
 それはアダラの瘴王復活という目的すら二の次にするような強敵との戦いに対する執着であったり、スコルアスの無駄ともいえるような絶望の演出や同胞に対する差別意識であったりと様々な形をとる。
 現に、スコルアスは同じ大公(グランドデューク)級か公爵(デューク)級でなければ、同じ瘴魔としてすらその存在を認識していない。マグヌムクなどただの駒扱いだ。

「おや、それは君の支配に抵抗しているのかい? なかなか活きがいいじゃないか」

 魔術陣の中に、先ほどと同程度の人が黒いローブを着た者たちによって投入される。
 その光景から視線を切って、スコルアスはヴィルヘルムに顔を向けた。

「いつも言ってるだろ。こういうのは質が大事なんだ。横取りすんなよ?」
「そんな無粋なまねはしないさ。ただ、彼の絶望の味には興味があるけどね」

 べろりと舌なめずりするスコルアス。生き物の持つ負の感情をエネルギーにする瘴魔(デーモン)の中でも、スコルアスは飛び切りの大喰らいだ。感情のエネルギーは食べ物のように明確な量というのがわかりにくいものだが、それでも無限に吸収し続けられるものではない。同じ瘴魔でもレベルや階位、他にも個体に応じて吸収貯蓄しておけるエネルギー量には差があるのだ。
 スコルアスは大公級の中でもとくに貯蔵できるエネルギー量が多い個体だった。

「彼を見て思い出したけど、ジグルスに行ったグールはどうなったんだい? 見てきたんだろう?」

 今まで忘れていたという表情で、スコルアスは言う。
 ハーミィの誘拐を援護したわけではないが、モンスターをジグルスに向かわせたのはスコルアスなのだ。

「ああ、とくに何ができたって感じじゃないな。協力してた司祭に化けてたやつに潰されてたぜ」

 味方がやられたにもかかわらず、アダラの口調は軽い。そもそも、仲間意識というものが存在しているのかも怪しかった。

「一緒に行かせたメグラデには細工をしてあったはずだけど、それごとかい?」

 瘴気によるモンスターの強化は、瘴魔にとっては当たり前のことだ。より従順に、より強靭に、モンスターを変化させる。
 メグラデの戦闘力と生命力は高く、並みの選定者では相手にならないことをスコルアスは知っている。パルミラックは破壊できずとも、都市を半壊させるくらいはしてくるだろうというのがスコルアスの見立てだった。

「強化された状態でだ。最後まで見てると気づかれそうだったんでさっさと戻ってきたが、あれはやばいな。神獣を従えてやがった。俺やお前と同格か、それ以上とみて間違いない」

 そう口にするアダラはヴィルヘルムのことを話していたとき以上に顔を歪ませていた。その場で戦いを仕掛けなかったのが不思議なくらいに。

「ああそうだ。一緒にいた奴らもヤバかったが、一人だけ知ってる奴がいたぞ」
「へぇ、それは興味深いね。それで知ってる奴っていうのは?」
「シュニー・ライザーだ。おまえも聞いたことがあるだろ? ハイヒューマンの配下だった奴だ」
「彼女が? そういえば、月の祠が消えたんだっけ。消されたのかと思ってたよ。瘴魔(デーモン)の中には彼女だけじゃ対応できない物騒な奴もいるし。恨み買ってるだろうしね」
「お前も人のこと言えねぇだろうに」

 アダラはニヤニヤとした笑みを崩さずに言った。
 アダラとスコルアスは現状ではとくに敵対していないが、瘴魔(デーモン)は基本的に仕える瘴王が同じ者同士で徒党を組む。
 そして、別の瘴王の配下とはあまり仲が良くないのだ。
 事実として、すでにスコルアスはアダラの仕える瘴王とは別の王の侯爵(マークウィス)級や伯爵(カウント)瘴魔(デーモン)を少なくない数殺している。
 モンスターは瘴気の影響を受けた際に、稀に瘴魔へ至ることがある。ゲーム時代からそのタイプの瘴魔は変化型と呼ばれていた。
 スコルアスが殺したのは、まさにその変化型と呼ばれるタイプの瘴王の配下たちだ。
 当然、そんなことをしていれば変化型の瘴魔に恨みを買う。スコルアスが狙われたことも1度や2度ではない。

「僕としては君にだけは言われたくないね。他の大公(グランドデューク)級も似たようなものだろう? 僕や君のような、個性を持った個体は気になんかしてないよ。してるのはただ本能のままに従ってるつまらない奴だけさ」
「それもそうだな。まあ、もしかするとシュニー・ライザーやらその連れやらがこっちに来るかもしれんってことだけ頭に入れといてくれや」
「了解だよ。ふふ、シュニー・ライザーの絶望はどんな味がするのかな」
「ぶれねぇな、お前も。俺は部屋に戻るから、何かあったら連絡くれや」

 涎でもたらしそうなスコルアスを尻目に、アダラは踵を返して自らにあてがわれた部屋へ向かった。その後ろを無言でヴィルヘルムがついてくる。
 しばらくして、洞窟の中に再び人々の慟哭が響き渡った。
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