「ノイジーマイノリティ(声が大きいだけの少数派)」について、よく分かってらっしゃらない方が多いようです。
なので、先日の公式チャンネルでも少しお話ししましたが「ノイジーマイノリティ」ってなんだ?というお話をします。
まず、百聞は一見に如かずと言いますから、私は前々回のコラムで、あえて下記のように記し、私のコラムのコメント欄にも、いわゆる「ノイジーマイノリティ」が来るように刺激させていただきました。
「本州の遠くから、テレビを見ながらマスコミ批判をしていれば満足する下品なノイジーマイノリティに言いたい」(「本気論・本音論」~MBS山中アナはそこまで非難されるほどなのだろうかより~)
彼ら(ノイジーマイノリティ)はバカにされることがとても嫌いです。なのであえて「下品な」という言葉を付け加えて挑発しておきました。
普段は、私のコラムを読みに来る方々はすでに「かなりのリテラシー」を持ってくる方がほとんどになっています。好意的な意見もありますが、少なくとも批判であっても私のコラム読者は『論理的に』反論・批判される方が大半です。
しかし、そのままだと実際に見ていただけないので少し挑発したわけですね。結果はご覧いただければわかる通りで…
あっという間に、こんな程度の低いコメント欄に早変わりです。これらの声の多数は「単に騒げればいいだけ」の連中です。なので前回のコラムで記した通りで私はこのバカたちを「キライ」です。
さて、では「ノイジーマイノリティ」ってなんだって話を書きますね。
■■■■■■■■■
矢口さんを起用したCMで私は下記コラムを書きました。
■日清はノイジーマイノリティの声を真に受けるバカ会社だということが証明された件
このコラムに対して
「長谷川は、「マイノリティ(少数派)」と言うが、オマエは何の調査を行ったんだ?何をもって「少数派」と決めつけるのだ?矢口に対してはみんな怒ってるんだ!」
というコメントを頂戴したのです。
おおぉ・・これはなかなか…と、結構勉強になりました。なるほど、そんな意見もあるのかって。何にも知らないと、こういう発想になるんだな~って。
解説します。
「ノイジーマイノリティ」って言葉は、そもそもアメリカで生まれました。
日本人には理解できないかも知れないけれど、アメリカや世界中では、ほんの100年前まで、本当に「白人は誰よりも美しく、優秀で、白人以外は人間じゃあない、ただのサルと奴隷だ」という価値観が『普通』でした。
いや、現代の日本人が知らないのは分かります。全くふざけた価値観ですよね。でも、本当にそうだったんです。アメリカの農場では、アフリカから引きずってこられた黒人の奴隷たちが懸命に働かされて、アジアのイエローモンキーなんて、電車でも同じ車両になんて乗ることは許されなかった。
本当にそうだったんです。
現地民だったインディアンを駆逐した白人たちは、世界中でイエローモンキーやブラックたちを奴隷にして、女はレイプして性のはけ口にし、男は首と足に重りをつけ、本国に「輸送」して奴隷として「売って」いました。それがこの世界の、本当にあった「歪んだ歴史」なのです。
結果…アメリカでは「白人社会」が形成されていました。
白人以外の…ブラックやイエローモンキーなどは「少数派=マイノリティ」でした。
しかし、かの有名なキング牧師をはじめとした「差別をなくそう!」という運動が起き始めました。どれだけ迫害されても、どれだけの人間が殺されても、負けずに「マイノリティ(少数民族)」は戦いました。
しかし、多くの人々の理解を得始め、差別はやはりよくないのではないか?という意見がアメリカ国内に認められ始めると、今度は…その
「正論=差別をなくそう」
を「利用する輩(やから)」が生まれ始めたのです。
キング牧師をはじめとした「差別をなくそう」という運動の基盤は「ちゃんと正しいことを言おう」「くじけずに差別的な表現をなくすように提言していこう」というものだったのですが(こういう運動と動きを「ポリティカルコレクトネス」と言います)、それらの運動を「利用」して、自分たちの思い通りにならないことを「口うるさく」批判する人間たちが出始めたのです。
自分が黒人だ、でも、単純に「能力が低いから」会社の面接に落ちちゃった。
この黒人が「黒人の差別反対主義者」たちとつるんで、会社に押し寄せたのです。
「差別だ!」
「差別に決まってる!!」
現在、アメリカ社会では、こうした行き過ぎた「平等主義」のために、会社では「黒人枠」「アジア人枠」「ゲイ枠」などをはじめとした
「マイノリティ枠」
という「枠」が存在し、アメリカ映画でも白人ばかりが出てたりすると、散々な文句を言われたりするので、かなりバランスを取ったキャスティングをしなければいけなくなってきていたりします。
こうした連中のことを「ノイジーマイノリティ(ただうるさいだけの少数派)」と言います。
キング牧師をはじめとした差別反対主義者たちは、心から差別をなくしたかっただけでした。しかし、「正論」を唱える人間には「それにまとわりついて、正論を利用するだけのバカ」が必ず湧き出てくるのです。
彼らは暴れたいだけだし、自分のイライラをぶつけたいだけだったりします。その根拠として「全く自分は被害者じゃない」点などが挙げられますが「イライラをぶつけたいだけ」なので「とにかく強引で言葉が乱暴」「全く論理的ではない」ことが特徴です。
私が取り上げたMBSテレビの山中アナなどは、ツイートが適切であったかどうかで言えば、まぁ…あのツイート自体は全然必要なかったりします。なので、冷静に
「この写真は被災者の方が残念な思いをされるかもしれないですね。こっそり削除しておかれたらいかがでしょう?老婆心ながらご進言です」
など「あくまで冷静に」コメントするなら全く問題ないわけです。しかし、彼に対してネット上で沸き上がったコメントって、こんな感じな訳です。
すごいでしょ?
「死ね」
「アホ」
「クズ!」
彼らは非常に声が大きい。だって、自分のイライラをぶつけているだけなので、声のデカさだけはヤクザ並みです。しかし、もはや『論理』が破たんしているわけです。だって、もともと高尚な理念などない人間たちなので。
『論理の破たん』の観点から言うと、多く寄せられたコメントの中でも
「マスメディアが多すぎなんだよ!」
「災害の時くらい、報道規制して迷惑にならないようにNHKだけにしろよ!」
という、読んでいるだけで頭の痛くなるバカコメントも多数ありますよね。これも同じです。結局、批判を言いたいから「被災地は困ってるんだぁぁぁぁ!」という「弱者の味方的立ち位置」を「利用」して
程度の低い「文句」を言っているにすぎません。
こんなコメントも「じゃあどうするの?」という当たり前のことを少し考えれば無理やりなことくらい、分かるものです。
憲法21条、どうすんのって。
「報道の自由」はどうするのって。
もし、「災害の時は『報道を規制できる』っていう法律が通ったことを考えてください。批判するのであれば、その批判対象が「本当に通った時」のことをちゃんと考るべきなのです。
そんな規制は「法規制」をしなければ無理な訳ですけれど「災害時、非常時に報道を自由に規制できるように」なったら、時の政権に思い切り利用されまくって終わりです。そんな法律、通るわけないでしょうが。論じるにも値しません。
■■■■■■■■■
「ノイジーマイノリティ」かどうかを正確に見極めるコツがあります。簡単です。次の2点だけを抑えればいいんです。
・「怒り」をもって発言するのは、正常な人間性を持つ場合…よほどの「被害当事者」のみです。
・そうでない人は「冷静に指摘」すれば済む話です。
なんで、関係ないくせにガーガー言ってんだって話。要は…「当事者でもないのにやたら強い口調でガーガー言ってる人たち」はみんな「ノイジーマイノリティ」だと判断してください。ネット上には多いの、なんのって。
話を最初の質問に戻しますが、
「長谷川はどんなエビデンスを取ったんだ?」とか
「どんなデータをもとに言ってんだ!」
とか言ってる人たち、「ノイジーマイノリティ」ってのは、かいつまんで言うと『クレーマー』のことを言うんです。「論理的じゃないですよ」って言ってるだけです。
ちょっときついことを言わせていただきますが、どう見ても冷静じゃない、必死に苦情を入れまくってる人たちって…「そもそも正常じゃない」んです。
そんな人たち、面と向かって相対したら、皆さんは相手にしますか?しないでしょ?
ネットで顔が見えないからって、そんな人たちを「正常な人間」だと判断する必要はないんです。相手にしなきゃいいだけ。
ネットがずいぶん普及しています。私は今こそ、日本人はこれらをちゃんと理解しておくべきだと思っています。
なので、先日の公式チャンネルでも少しお話ししましたが「ノイジーマイノリティ」ってなんだ?というお話をします。
まず、百聞は一見に如かずと言いますから、私は前々回のコラムで、あえて下記のように記し、私のコラムのコメント欄にも、いわゆる「ノイジーマイノリティ」が来るように刺激させていただきました。
「本州の遠くから、テレビを見ながらマスコミ批判をしていれば満足する下品なノイジーマイノリティに言いたい」(「本気論・本音論」~MBS山中アナはそこまで非難されるほどなのだろうかより~)
彼ら(ノイジーマイノリティ)はバカにされることがとても嫌いです。なのであえて「下品な」という言葉を付け加えて挑発しておきました。
普段は、私のコラムを読みに来る方々はすでに「かなりのリテラシー」を持ってくる方がほとんどになっています。好意的な意見もありますが、少なくとも批判であっても私のコラム読者は『論理的に』反論・批判される方が大半です。
しかし、そのままだと実際に見ていただけないので少し挑発したわけですね。結果はご覧いただければわかる通りで…
あっという間に、こんな程度の低いコメント欄に早変わりです。これらの声の多数は「単に騒げればいいだけ」の連中です。なので前回のコラムで記した通りで私はこのバカたちを「キライ」です。
さて、では「ノイジーマイノリティ」ってなんだって話を書きますね。
■■■■■■■■■
矢口さんを起用したCMで私は下記コラムを書きました。
■日清はノイジーマイノリティの声を真に受けるバカ会社だということが証明された件
このコラムに対して
「長谷川は、「マイノリティ(少数派)」と言うが、オマエは何の調査を行ったんだ?何をもって「少数派」と決めつけるのだ?矢口に対してはみんな怒ってるんだ!」
というコメントを頂戴したのです。
おおぉ・・これはなかなか…と、結構勉強になりました。なるほど、そんな意見もあるのかって。何にも知らないと、こういう発想になるんだな~って。
解説します。
「ノイジーマイノリティ」って言葉は、そもそもアメリカで生まれました。
日本人には理解できないかも知れないけれど、アメリカや世界中では、ほんの100年前まで、本当に「白人は誰よりも美しく、優秀で、白人以外は人間じゃあない、ただのサルと奴隷だ」という価値観が『普通』でした。
いや、現代の日本人が知らないのは分かります。全くふざけた価値観ですよね。でも、本当にそうだったんです。アメリカの農場では、アフリカから引きずってこられた黒人の奴隷たちが懸命に働かされて、アジアのイエローモンキーなんて、電車でも同じ車両になんて乗ることは許されなかった。
本当にそうだったんです。
現地民だったインディアンを駆逐した白人たちは、世界中でイエローモンキーやブラックたちを奴隷にして、女はレイプして性のはけ口にし、男は首と足に重りをつけ、本国に「輸送」して奴隷として「売って」いました。それがこの世界の、本当にあった「歪んだ歴史」なのです。
結果…アメリカでは「白人社会」が形成されていました。
白人以外の…ブラックやイエローモンキーなどは「少数派=マイノリティ」でした。
しかし、かの有名なキング牧師をはじめとした「差別をなくそう!」という運動が起き始めました。どれだけ迫害されても、どれだけの人間が殺されても、負けずに「マイノリティ(少数民族)」は戦いました。
しかし、多くの人々の理解を得始め、差別はやはりよくないのではないか?という意見がアメリカ国内に認められ始めると、今度は…その
「正論=差別をなくそう」
を「利用する輩(やから)」が生まれ始めたのです。
キング牧師をはじめとした「差別をなくそう」という運動の基盤は「ちゃんと正しいことを言おう」「くじけずに差別的な表現をなくすように提言していこう」というものだったのですが(こういう運動と動きを「ポリティカルコレクトネス」と言います)、それらの運動を「利用」して、自分たちの思い通りにならないことを「口うるさく」批判する人間たちが出始めたのです。
自分が黒人だ、でも、単純に「能力が低いから」会社の面接に落ちちゃった。
この黒人が「黒人の差別反対主義者」たちとつるんで、会社に押し寄せたのです。
「差別だ!」
「差別に決まってる!!」
現在、アメリカ社会では、こうした行き過ぎた「平等主義」のために、会社では「黒人枠」「アジア人枠」「ゲイ枠」などをはじめとした
「マイノリティ枠」
という「枠」が存在し、アメリカ映画でも白人ばかりが出てたりすると、散々な文句を言われたりするので、かなりバランスを取ったキャスティングをしなければいけなくなってきていたりします。
こうした連中のことを「ノイジーマイノリティ(ただうるさいだけの少数派)」と言います。
キング牧師をはじめとした差別反対主義者たちは、心から差別をなくしたかっただけでした。しかし、「正論」を唱える人間には「それにまとわりついて、正論を利用するだけのバカ」が必ず湧き出てくるのです。
彼らは暴れたいだけだし、自分のイライラをぶつけたいだけだったりします。その根拠として「全く自分は被害者じゃない」点などが挙げられますが「イライラをぶつけたいだけ」なので「とにかく強引で言葉が乱暴」「全く論理的ではない」ことが特徴です。
私が取り上げたMBSテレビの山中アナなどは、ツイートが適切であったかどうかで言えば、まぁ…あのツイート自体は全然必要なかったりします。なので、冷静に
「この写真は被災者の方が残念な思いをされるかもしれないですね。こっそり削除しておかれたらいかがでしょう?老婆心ながらご進言です」
など「あくまで冷静に」コメントするなら全く問題ないわけです。しかし、彼に対してネット上で沸き上がったコメントって、こんな感じな訳です。
すごいでしょ?
「死ね」
「アホ」
「クズ!」
彼らは非常に声が大きい。だって、自分のイライラをぶつけているだけなので、声のデカさだけはヤクザ並みです。しかし、もはや『論理』が破たんしているわけです。だって、もともと高尚な理念などない人間たちなので。
『論理の破たん』の観点から言うと、多く寄せられたコメントの中でも
「マスメディアが多すぎなんだよ!」
「災害の時くらい、報道規制して迷惑にならないようにNHKだけにしろよ!」
という、読んでいるだけで頭の痛くなるバカコメントも多数ありますよね。これも同じです。結局、批判を言いたいから「被災地は困ってるんだぁぁぁぁ!」という「弱者の味方的立ち位置」を「利用」して
程度の低い「文句」を言っているにすぎません。
こんなコメントも「じゃあどうするの?」という当たり前のことを少し考えれば無理やりなことくらい、分かるものです。
憲法21条、どうすんのって。
「報道の自由」はどうするのって。
もし、「災害の時は『報道を規制できる』っていう法律が通ったことを考えてください。批判するのであれば、その批判対象が「本当に通った時」のことをちゃんと考るべきなのです。
そんな規制は「法規制」をしなければ無理な訳ですけれど「災害時、非常時に報道を自由に規制できるように」なったら、時の政権に思い切り利用されまくって終わりです。そんな法律、通るわけないでしょうが。論じるにも値しません。
■■■■■■■■■
「ノイジーマイノリティ」かどうかを正確に見極めるコツがあります。簡単です。次の2点だけを抑えればいいんです。
・「怒り」をもって発言するのは、正常な人間性を持つ場合…よほどの「被害当事者」のみです。
・そうでない人は「冷静に指摘」すれば済む話です。
なんで、関係ないくせにガーガー言ってんだって話。要は…「当事者でもないのにやたら強い口調でガーガー言ってる人たち」はみんな「ノイジーマイノリティ」だと判断してください。ネット上には多いの、なんのって。
話を最初の質問に戻しますが、
「長谷川はどんなエビデンスを取ったんだ?」とか
「どんなデータをもとに言ってんだ!」
とか言ってる人たち、「ノイジーマイノリティ」ってのは、かいつまんで言うと『クレーマー』のことを言うんです。「論理的じゃないですよ」って言ってるだけです。
ちょっときついことを言わせていただきますが、どう見ても冷静じゃない、必死に苦情を入れまくってる人たちって…「そもそも正常じゃない」んです。
そんな人たち、面と向かって相対したら、皆さんは相手にしますか?しないでしょ?
ネットで顔が見えないからって、そんな人たちを「正常な人間」だと判断する必要はないんです。相手にしなきゃいいだけ。
ネットがずいぶん普及しています。私は今こそ、日本人はこれらをちゃんと理解しておくべきだと思っています。
コメント
コメント一覧
マスコミのNHK以外は株式会社で利益、視聴率狙いがあるので、被災者の方々よりテレビの前で見ている人のウケ狙いなんですよね?
これは長谷川さんがずっと仰っている事だと思います。
放送する方は利益、視聴率を狙っている訳ですから、どのメディアを選択して我々が見るのか、が重要だと思います。
それがメディアリテラシーなんじゃないかなと
判断して私は局や番組を選択しています。
報道の在り方なんて報道する側の自由なんです。
我々が見なければ自然になくなるのでは?
被災者を慮ることを怠ったから非難されているんですよ
両立できるはずなのに、手を抜いているからです
自浄作用は皆無のようですし、問題の本質すら見えていない
だから、もう被災地へ行くなと言われてしまうんですね
マスコミの人達も被害に遭ってないですよね?
ネットの影響が大きくなるにつれ、マスコミの人達も報道の自由を盾に大声で叫んでいるように考えられます。 この事に関しては、長谷川さんはどのように思いますか?
マスコミ側の意見を聞かせてください。
あと、異常だと断言しておりましたが、異常と正常の判断を何をもって判断したのでしょうか?線引きをは?
しかし、報道の自由を守るためにもメディア自身がもっと抑制的になるべきではないですかね。もちろん、権力チェックは徹底的にやるべきですが。それこそ、報道の自由が規制されるような大義名分を作らせない為にも抑制的な姿勢が大事では?まあ、NHKだけなんてのは、大本営発表になってしまうからダメだけど、ある程度絞る工夫はあってもいいんじゃないですかね。
権力の暴走をチェックするのがメディアだとすれば、メディアの暴走をチェックするのは一般の我々であるべきかと。
今回スタッフが食料を現地調達した。
現地での食事の内容を公表した。
この二点ですでにアウトです。
自演隊や医療スタッフは食料等持参し、食事は現地の方に見えないようとっています。現地で体力を失うことは自分自身が現地での重荷になることを避けるため食事は必須であり我慢することは避けてなんらかの形でエネルギー補給すべきです。我慢して足元がふらついて怪我などされたら迷惑ですから。しかし現地にある食料燃料は消費せず持ち込みです。特に急性期で燃料食料水がなければ撤退を検討すべきです。
何度か災害現場に行きましたが当たり前のことです。マスコミはそれができた上で救命復興に貢献できる報道を被災者に配慮したうえで行うべきです。
今回の件はマスコミに対する不信感や嫌悪感が国民の中に広がっていると思いますよ。
マスコミはマスコミで反省する点はたくさんあると思います。
震災での対応の仕方の延長戦上で起こったことだと思います。
コメント面だけでなく同時に今回のマスコミの対応等もきちんと客観的な指摘もほしかったですね。
何が凄いって、今後長谷川さんのブログへのコメントに、怒り爆発のあからさまなノイジーマイノリティは、もう来ないんじゃないですか?
いや、あっぱれ。
私も常々ネットでのノイジーマイノリティが無くなればいいと思っていましたが、こんな排除方法があったなんて、目からウロコ!
今後はより一層快適にコメント欄まで読めそうです(笑)
最後に一つ。
マスコミ叩いてる人の多くは、、、別に直接マスコミに嫌な事された経験なんてないんでしょうね。
ただの予測ですが、なんかそんな気がします。
誰かを叩きたいだけな気がします。
なんか不憫に思えます。
それを「マイノリティ」、「少数派」と呼んでしまうのは理解できません。
意見や思想は肌の色と違い簡単には少数派、多数派などと決めることはできないと思います。
「一部の」と「少数派」が混同されてしまっているのではないでしょうか。
100人中100人が同じ意見でも「一部の人」は「ノイジー」ですが、「マイノリティ」ではありません。
黒人の例では「マイノリティ」が正論でしたし、「冷静に指摘すれば済む」と書かれているので
少数派=間違っている、という認識をお持ちでないことは明らかですが、
CMに関するコラムではいきなり「私も大多数の皆さんと同じ感想です。」と書かれるなど、
少し恣意的な面があるのではと思ってしまいます。
それとどなたかが仰ってますが、「報道の自由」とやらは、特段保証されてませんよね。
もちろんおわかりかと思いますが、表現の自由と報道の自由はまた別個のものだと思います。
周りの目を気にしすぎる日本人が「誰がどう言おうと私はこれが許せない!」と批判する勇気はない気もして。
私の周りだけかもしれませんが、実名を出して身元がわかるFacebookでは、批判が無いわけではないですが、1人目ではない事が多いのです。
たとえば長谷川さんが書いたブログをシェアした上で「私も同感」と仲間を見つけてはじめて不特定多数に発信しているのです。
「みんな言ってるもんね!」
っていう「仲間」が好きですよね。
いじめも1対1ではなく複数人の「仲間」を作ってはじめて動きます。
これが匿名だと、途端に変わる気がします。発信源の自分の意見が受け入れられなくても、逆にバッシングされても匿名だか痛みがすくない。
すべてが実名になると困ることももちろんありますし、私もそうですがここに書くコメントが実名だったら書き込みません。
周りの目を気にしすぎる日本人だからこそ大事な声も出にくくなるんじゃないかと思いますが、匿名なことが日本人の悪いところを引き出してしまってるのではないかと思います。
堀江さんやひろゆきさんも実名を推奨してましたよね。
実名だと悪い声は減る。でも必要な声も減る。
「批判するやつは実名をだせ!」とは思いますがそこを縛るのは複雑です。
そんな私もここには実名では書いてませんし。
長谷川さんのブログや公式チャンネルをみて大変勉強になってます。ありがとうございます。
子供を持つ親として大事な知識だなと思いました。
とはいえ「その言い方は、、」とか「その考えは、、」という事はあります。でもそれでいいんですよね?
いろいろ知った上で自分はどう思うのかっていうのが大事なのかな、、、と最近思いました。
支離滅裂で、、、すみません。
どうすれば日本のSNSって平和になるんでしょう>_<
長谷川さんはそれでもやはり論じるに値しないとお思いですか?今のテレビ局は、長谷川さんの様に伝える事に関してちゃんと覚悟と責任を持ってる人達ばかりではないと思います。
それらがメディアの中で少数だとしても、彼らが自由に動き回れる状況を放置しておくのは良くないと思います。もちろんまずは身内の中でしっかり教育をしてもらいたいですが、東日本から5年しか経っていない今の時期に、また震災報道でメディアが批判されるのであれば、要らないという考え方もそりゃ出てきちゃいますよね。
この批判は、決してノイジーマイノリティだけではないですよ。
メディアに関わると言うのは人間性もなにも棄ててしまわないといけない業界なんですね
ただのマスコミ批判とノイジーマイノリティの区別は難しいと思います
現実的にすべて対応するのは不可能だとしても胡散臭さがある業界なのは確かです
素朴な疑問としてマスコミ各社は他のマスコミを批判、取材することはタブーなんでしょうか?
また、誤報や偏向報道などについて特集などして欲しいかと
ようは生まれてこの方、テレビでそのような放送を見たことがないので
なんとも疑問なのです。偏向報道など見て調子に乗っている感じがして怒りを感じるのです。
当方、沖縄に住んでいる県外出身者なのですが、こちらはほんとに報道をしない自由というか県内ぐるみのなぁなぁというか自浄作用がない中で、権力を監視する感じのない報道に洗脳めいた強制力を感じます。
というかオスプレイが沖縄から熊本に行っているのですが。。。
沖縄ローカル放送のニュースでやらないし。お前ら24時間定点カメラで普天間監視しているのになぜ流さん。。。(笑)
・取材NGエリアでの撮影
・女子トイレ盗撮
・避難所の駐車場、マスコミ車両で占領
・被災地でのマスコミ関係者の食料買占め
・宿泊施設総取りと強引なキャンセル
・倒壊寸前家屋の倒壊映像待ちカメラクルー
一部マスコミの悪意ある行動があったとも感じられますし、全てが真実なのかも疑問です。真実が知りたいです。
日本は自然災害の多い国です。台風、爆弾低気圧、洪水、崖崩れ、地震...などなど。
今後も大きな災害がいつやってくるか?誰もわかりません。
災害が起きた場合、マスコミ情報は必要不可欠であり、マスコミがいなければ復興もあり得ません。
ノイジーマイノリティは断じて許せませんが、一部マスコミの悪意ある行為が事実だとすれば、それも許せません。
ネット社会になったから以前は広まっていなかったマスコミの取材のふるまい方が拡散しやすくなり、多くの人の目につくようになった結果でしょう。
今回の地震にしても本当に各報道局が現地入りしてこぞって放送する必要は本当にあるんでしょうか。ちゃんと被災地に配慮した取材の仕方をしているんでしょうか。
それこそあなたが否定したNHKだけ取材に行けばいいというのは、被災地に配慮した報道をする上では決して間違いではないのでは?
NHKさんはこういった非常時にも誰もが平等に見れるようお金を取って、スクランブルをかけずに放送しているという話ですし、NHKの取材映像を各局が共有できるような体制をつくれなもんでしょうか。
以前の弁当の記事にしたって、2,3日で食料は尽きますとありますが、そうであれば多少離れた場所をベースにして毎日食料を持ち込んでいくとか、なくなるタイミングで交代要員を送るとかやりようはいくらでもあるでしょう。
情報を伝えるために何をやってもいいわけじゃない。
ところで「ノイジーマイノリティ」という語句自体はおそらく和製英語でしょう。
もちろん、英語でも使われますが、文章の中で「…うるさ型の少数派/少数民族の人々は…」という文脈上で現れるくらいで、あまり一般的ではないかと。
同様にクレーマーという語句も英語ではcomplainerと表現するかと思います。
さて、本題ですが、残念ながら「ノイジーマイノリティ」は日本の政治や政策を方向づけている大きなパワーです。この場合、別名「利益団体」です。日本全体としては欲していないが、彼らの望む方向に持って行くのがこれらの利益団体で、例えば金融、農業・畜産業界、一部のマスコミ、など挙げればキリがありません。いざというときに少数意見を、声を大にして訴え、日本の政治政策を左右します。
要は「ノイジーマイノリティ」という厄介な存在は歴史的にも根が深く、社会的には害である場合が少なくありません。その視点から言うと、ブログの「些細な」悪意をもったコメントというのは、本来は大きな問題ではないはずですが、結果更新をやめるほどの圧力になりうるのは問題です。先の日清食品のCMでも、過剰に受け止めて「悪貨が良貨を駆逐」する事態になりかねない問題です。
「ノイジーマイノリティ」問題は全ての人々が毅然と立ち向かわなくてはならない、大きな社会的課題です。
もしかしてマスコミが正義の代弁者だ!とでも思われてるんですか?
マスコミが公平で中立で一般市民の味方な訳無いじゃないですか。
マスコミの主な収入源は広告費!つまりスポンサーたる企業のCMを流すのが仕事です。
スポンサーが黒と言えば全て黒。白と言えば全て白なんです。まぁ流石にそこまで単純じゃないと思いますが…
一般市民がいくら騒ぎたてようとマスコミは何とも思いませんよ。ちょっと視聴率に影響出そうぐらいに思うだけでしょう。
謝罪もスポンサーには誠心誠意しっかりしてるでしょう。離れられたら死活問題ですからね。だから他はおざなりなんですよ。多少クレームがあったとしてもすぐに収まりますからね。
犯罪を犯してる訳でもないしマナーとかモラルの問題なんてすぐに止むでしょ?
ちょっと前のベッキーさんとか乙武さんの話題とか完全に無かった事になってるじゃないですか。
それに対してなぜ報道しないんだ!って声は聞こえないんですがどうしてでしょうか?
所詮飽き易くて醒め易いんだからイチイチがたがた言わなくても良いのにと思います。
報道の自由ですか。合わせて報道しない自由もですよね。マスコミ得意の二枚舌さすがです。
自由と言う権利は行使して責任は取らない。自分達に不都合な事は一切報道しない。その横の繋がりも被災地支援にぜひ役立て欲しいぐらいに鉄壁です。憧れます。
具体的には、
> 「マスメディアが多すぎなんだよ!」
> 「災害の時くらい、報道規制して迷惑にならないようにNHKだけにしろよ!」
の部分に、
> 憲法21条、どうすんのって。
> 「報道の自由」はどうするのって。
と返されてるところです。
憲法21条が保障してるのは、表現の自由であって「報道の自由」とは書いていません。
被災地の救済を優先するために報道の一元化・共同取材のみの規制をかけることが果たして憲法21条が定める表現の自由を侵害するものかどうかは議論の余地があるように思います。
公共の福祉を優先するために、という論法もあり得るかもしれません。
少なくとも私なんかは「論じるにも値しません」と切り捨てられる話ではないと思いますね。
共同取材(代表取材)をする話から
> 「災害時、非常時に報道を自由に規制できるように」
も、論理が飛躍しすぎていると感じますし。
ちょっと乱暴すぎませんか?
ところで、マスメディアへの不信、これはわかる気がします。たとえば、集団安全保障法に対して、多くの人、とくに年配者が反対してますよね。なんでこんな世界の常識から外れた現象が起きたかというと、マスメディアの責任が大きいと思っているのです。先の対戦で日本は悲惨極まりない結末を迎えました。あまりにも苦しみが大きかったので、強い反省をしたのです。そもそも戦争の始まりは軍部の暴走が始まりです。だから、戦争は国内から始まるものだとおもっている人が多い。国内の理屈と外部要因、それぞれ戦争の原因になることぐらい、考えれば当たり前のことですが。そして、そういう思考を定着させてきたのが、主に新聞社だと推測してます。憲法にしても同じです。私が子どもの頃は、自衛隊の存在も許さない人が大勢いました。それは、マスメディアが戦争は日本が仕掛けるものだ、外部から侵略はないと思わせてきたからだと思っています。
長谷川さんは拡散してほしい記事ほど下品に、そして過激な口調で書かれているように見受けられます。
これはノイジーマイノリティを媒体にするために、戦略的におこなっているのですか?
だとしたら、この手法はどのようにして身につけたのでしょうか。
「日清はノイジーマイノリティの声を真に受けるバカ会社だということが証明された件 」の記事の「ノイジーマイノリティー」はCMを見せられる当事者でありますが、この件はマスコミで一般的に使われている「不謹慎狩り」あるいは単なる「クレーマー」馬鹿と表現した方が良いと思います。何らかの意図を感じますが。
まあ日清さんはCM中止騒動のおかげで却ってPRになったようで商品バカ売れらしいですが
ノイジーマジョリティー利用しての戦略だったのかな?
さて関西テレビ割り込みは良くないことだと思います、とは書かれていましたが
それを擁護するための仙台放送の虚偽ツイートには一切触れられていませんね?
辛坊次郎氏が「災害時に一番ダメなのは偽情報」と仰っておられましたが
サイレントマジョリティーではないであろう、こちらへのご批判は無しですか?
規制なんてものは彼らにとっては安っぽい正義感を燃え上がらせる燃料でしかないんですよ。
むしろ、規制を緩めて新規参入を促すほうがより正常化に効果が高い。
何故いま日本の大手マスコミが腐っているのか。
それは彼らが公共の電波を寡占する利権集団だからで、
この状態を打破するには規制緩和のほうが有効なんじゃないでしょうか。
彼らは二言目には「自主規制」といいますが、こんなのまやかしですよ。
自主規制ができるってことは裏を返せばカルテルもできるんです。
そして、実はその状態のほうが権力側にとっても都合がいいんですよ。
最初から、苦情を利用した炎上商法をするつもりでは無かったのだろうかと疑いたくなる。
矢口さんの所属してるアップフロントは、モーニング娘。ハロプロ、ももちなどなど
クリーンでポジティブなイメージ作りに重点を置いているように見える。
他のアイドルグループよりも、嫌悪感が抱かれづらい演出に重点を置いているように見える。
みんなで、踊らされたんじゃ無いですか?( ̄。 ̄;)
それから、クレームっぽい発言でなくても、コメントを見るとその人のお里が知れるということは多々あって、見る人が見れば気持ち悪いコメントというのは結構ある気がします。ネット上のほとんどのコメントはその程度で(ここも全く例外ではないと思いますが)、大抵の場合コメントしただけで、何というか男を下げてしまうと感じます(PC的にはアウト?どうでもいいですが)。
現代社会で生きていくために大切なのは、ネットとのうまい付き合い方ですね。バカみたいな書き込みをして溜飲を下げたり人に認められたいと思っている人はそれが出来ていないと思う。社会全体がそういう連中に振り回される状況はすぐにはというか当分変わらないと思いますが、個人レベルではできるだけネットに依存しないようにしようとしています。それがなかなか出来なくて困っています。空いた時間にtwitter,facebook,まとめサイト、youtubeと、気づけばかなりの時間が経っていたり。長谷川さんが何か香ばしい記事を更新しているかなとこのブログをチェックする、しかしそれこそ罠ですね笑
というわけでそもそもこういうところに書き込んでいる時点で私もちょっと最近やばいと思っています。
「記者クラブ」みたいな事をしてくださいって言ってるんです。
NHKあたりをメインにして連合を組んでくださいって言ってるんですよ、どこも同じ報道だからできますよね。
法律を変える前にやれることありますよね。
「じゃあどうやんの?」ですが、災害地でカメラぶち壊してクルー川に叩き込めば学習するんですかね?
その時を楽しみにしてます。
・・これカンですが・・今回報道側が被災者から怒られましたか?いえ、被災者の映像が同じようなものばかりでしたのでね・・結構荒っぽい地域ですからね・・
・・「被災者の生活、仕事の邪魔スンナ」がそんなに解んないかよ・・
「報道の都合なんぞ知ったことではない」も解んないですか?
「ノイジーマイノリティ」を釣り上げるための記事だとして、
言うべきことを言いませんでした。(避難所に十分食料が供給されている、オニギリ10円なんて話もある)
書いた本人(ブログ主)は誤解される事を狙いました。
誤解された様子をみてブログ主は大笑いしました・・と。
本人が知ってる状態での「情報の後出し」はリアルでは犯罪と同じ扱いです。
「過去に間違いをした」犯罪者と「何時やるか解らない」情報の後出しをする人
付き合うなら犯罪者ですね、被害はなさそうです。
知ったことでは無さそうですね。
一応聞きますが、マスコミの常識では「情報の後出し」は問題ないのですか?
情報の発信、報道の自由ですよね当然です
ただ、被災された方々に対し土足で踏み込んでいく姿勢はどうなのでしょうか?
wakaさん、良い所までは行ってます惜しいです
問題は、同業他社のマスコミの不祥事が特ダネにならない点なんですよ
マスコミがお互いを監視しあえば、被災地での問題行動も抑えられるはずなんですよ
でも、そんな事すると(無茶な)取材しにくくなるので
マスコミ各社は乗り気じゃないんでしょうけどね
やれやれ、人権侵害をものともしないマスコミさんの言い分は凄いですね。
11条や12条はどうなるんでしょうか?
そもそも一般的には、自由には責任が伴います。
そして他人を害しないことが絶対的な条件です。
(哲学的・文学的な自由とは分けてお考え下さい)
さて、その「報道の自由」という名の下に
どれだけの「他人への加害」があったと思いますか。
たった1つでも「他人への加害」があったならば
その自由は放棄しなければいけないのではないですか?
「あれは報道ではない!」とお考えなら
マスコミという隠れ蓑にした加害者を許してはいけないんです。
マスコミを名乗らせてはいけないのです。
それが誇りであり矜持であり自浄作用であるべきなのです。
実態はどうでしょうか?
今回も変わらず、「災害時のマスコミは被災者に良くないことをする」といった意見を目にします。
人間ですから、ミスが出るのは仕方ない。その通りだと思います。
では、その後のミス防止策はきちんと立てて、実行されて、
前回よりマシになっているのでしょうか。
謝ってまたやらかす、そんな愚かな人ばかりが
マスコミではないことを祈ります。
ノイジーマイノリティに関する理解はよくできました。
長谷川さんの指摘は、ごもっともです。
ただし、以下の点は腑に落ちないです。
釣りのためのエサは、「下品な」という表現というところだったんですね。
では、コメント欄で多くの方が指摘した山中アナのツイートに関しては、
「必要なかったりする」とだけの感想だと。
裸の写真載せちゃう自分好きのアナが、必要のないツイートをあげただけと。
随分と読者とのギャップがあるように感じました。
長谷川さんは、粛々とノイジーマイノリティの解説をしたかったんでしょうが、多くの方が「そこじゃない!」「山中アナ擁護の話は?」と感じているのでは?
下品な言葉使いにだけ反応したわけではないのは、コメント欄を読むと誰でも理解できます。
あれだけ多くの方が、良くも悪くも反応したのに完全スルーなんですか?
ノイジーマイノリティの話がひと段落したところで、改めて山中アナやその他のマスコミの対応など、多くの方が反応した内容に関して、長谷川さんの見解を記してはいかがですか?
ノイジーマイノリティは無視して当然ですが、ちゃんと大真面目にコメントした方々に対しては、やや不誠実なのでは?
以上、若輩者の進言でした。
そして前向きにひた向きに人生を生きろ!
ガンバレ熊本!ガンバレノイジーマイノリティ!
✳「長谷川さんやテレビ局は自分たちのことは棚にあげて、が多いんですよ。」
あと「NHKだけにしろよ」とまでは私は思いませんが、メディアは「生存権より知る権利が上だと思っている」とネットで批判されてますよ。
そのままの文章でしょう。
被災者の方も「他の地域の方は通常の報道で」と言っているんですから、ローテーション組むとか、撮影した映像は共有するとか、いくらでも出来そうですけどね。
熊本以外にも世の中にはニュースがたくさんあります。熊本以外のニュースを観ている人もいます。
皆さんが指摘しているのは「生存権より知る権利が上だと思っている」テレビ局と長谷川さんの思考回路そのものだと思いますけどね。
ただ、他の方のコメント読むと批判コメントを「ゲラゲラ笑いながら」読んだらしいですね。
長谷川さんが我々一般人とは違う思考回路で生きている、ということだけは分かりました。
伝わらないものを書くのも時間の無駄ですね。
『マスコミの報道を一つにすべきだ!』みたいな感じの意見にはずっと違和感を感じていました。
長谷川さんの仰る通り『報道の自由』もありますが、例えば地方ですとワンセグで限られたチャンネルしか入らない場所もあります。
私は徳島県に住んでいますがワンセグだと2局ぐらいしか入りません。
ですから報道を一つのチャンネルにすると本当に困ると思います。
大災害になってその2局でドラマやアニメをやられてたらたまんないですからね。
テレビの強みはタイムラグが殆どない部分だと思います。
よく色んな人が気楽にマスゴミと言いますが、まず多くに伝えないことには批判も対策も出来ない。ということを知ったほうがいいように思います。
失礼しました。
コメントされてる皆さんから 色々なこと、学ばせていただきました。
長谷川さん、貴方の挑発が きっかけになったからですね。
井上晴美さんのことも、そういうことだったのか、と知ることが出来ました。
憲法は 解釈 ひろいけど、報道にこそ、本当に 周りへの思い遣りを持った 行動を お願いしたいなぁ。
NHKのたけたん、本当は泣きたいのを こらえて、一生懸命 報道してますね。
私は 被災地の隣県にいます。余震は こちらにも きます。被災地の人手不足の支援に行きたいです。でも年老いて足腰不自由な両親を置いては、なかなか直ぐにかけつくことが出来なくて、被災地のみなさん、ごめんなさい。川内原発にもしものことがあったら、両親連れて逃げなきゃです。川内原発の近くに暮らしてます。かなり怖いです。
でも 必ず 被災地の支援に行きますからね。今は日奈久のちくわを食べて ます。
長谷川さん、このコメント欄を借りました。有難うございます。
長谷川さん、彼らは正常じゃないですよね。本当そう思います。
僕はこう考えます。
実生活で、仕事や人間関係も努力し充実してる人は、まず叩かない!諭すんですよ。気持ちに余裕があるし冷静だから。
むっきー君らは余裕がないです。実生活に。可哀想ですよね
ノイジーマイノリティを見分けるコツ、「よほどの『被害当事者』」よほどの…
ここがポイントかな?と理解しました。
不当な扱いはいけません。が、当事者であろうと怒りに任せた無理難題や過剰な要求は、自らが壁を作る事になりかねないと思っています。
当事者でないなら壁を作らない働きかけができるようになりたいですね。
公式チャンネルですが、1時間しか無いので早めに本題に入って頂けると嬉しいです。
かつては多くの人が、TVだから正しいんだ、と思っていたしマスコミは公平な報道をしていると信じていたんでしょう。日本人はマスコミに対する過剰な信頼感があったのだと思います(世界的にはこれが異常ですが)。ですがネットが普及して、「マスコミ報道おかしいじゃん」、「めちゃめちゃ偏ってるじゃん」、「都合の悪い情報には”報道しない自由”を行使しすぎだろ」と感じてしまったのです。
おそらく件のアナウンサーはそういう人が多くなってきたことを知らないんでしょう。
今回の地震でも、救援物資集荷場にマスコミが居てスペース埋めた、ガソリンスタンドで横入りした、テレビ中継中に子供を追いやった、撮影禁止の場所で撮影していた、など批判されています。取材だからといって免罪符があるわけではありません。マスコミは特権階級ではありません。マスコミに不信感を持っていて、責めるためにミスを探している人が大勢いるのが現在です。今どきは多数のテレビ局が乗り込まなくても、いくらでも情報は入ります。昔ほど地上波TV局の価値はなくなっています。
みの氏の件も、普通に考えればみの氏が責任を取る必要はないでしょう。
ですが、マスコミはよく犯罪者、容疑者の実家に突撃取材して親に謝罪の言葉を言わせていたではありませんか。誰かが不祥事を起こした時、「親が責任を取る必要はない」などと言っていたような記憶はありません。生い立ちが、子供の時は、などと親の育て方の責任を示唆する報道も多いと感じます。みの氏も朝ズバなどでキツイことを言ってたのでしょう。つまり自分は犯罪者の親に責任を取らせていた、そのことを当然のように報道していた、のに自分がその立場になったら「責任を取る必要はない」と主張しても説得力はありません。だからみの氏に同情はできません。自業自得です。
なので そこに重点を置いてノイジーマイノリティ分からない人が多いなーと発信されても
長谷川さんから聞きたいのはそこじゃないんだよなー、と今回のブログとこの前の放送を聞きながら勝手にモヤモヤしています。
ノイジーマイノリティを問題にされてる長谷川さんと マスコミの報道の在り方を問題にしている私を含めてブログの読者で隔たりがあると感じました。
山中さんの件で初めてコメントしました。たくさんの他の方の
コメントも読みましたが、読んでいて「このかた落ち着いた
素敵な人だろうな」と思うコメントもありました。
長谷川さんのおっしゃる「面と向かってあって」、「みたい」
ほうの方々です。
色々勉強になりました。ありがとうございます。
今後も読ませてくださいね。
その後、TV拝見させていただきました。
私も、「アホバカ死ね」的なコメントには辟易しています。
山中アナの記事と歪んだ不謹慎狩りの記事のコメント量の差は、マスコミに対する溜まりに溜まった不信感が爆発したものではないでしょうか?
もちろん、それが山中アナ個人に向けられるべきものではないと思いますが。
「報道規制は憲法を改正しないと無理」という発言に関しまして、外から規制するのは無理かもしれませんがマスコミの方々が視聴率や自分達の都合を優先することなく被災者を第一に思って取材することが出来れば、可能ではないかと思います。
「伝える」ことは大義であり必要なことだと思いますが、今はそれを言い訳に秩序もモラルもなく好き放題やっているだけにしか見えないので視聴者が距離を置きちょっとしたことでも批判されるのだと思います。
SNSの普及により、昔なら出てこなかったマスコミの闇の部分があぶり出されるようになった現代においても、数字ばかりを追いかけ旧態依然とした取材を続けるマスコミ全体が、いつか取り返しのつかない状況になる前に自浄作用を持って業界全体で真剣に考えていただけることを願います。
ノイジーマイノリテイについては同意ですが
「マスメディアが多すぎなんだよ!」以下の見解は?ですね
世の中は変化してます、マスコミも時代の変化に対応しなくては?
そもそもマスコミの姿勢・行動にてこのような者が沸いてるのではないでしょうか?
マスコミの特ダネ精神、これは重要と思いますよ
情報の発信、報道の自由ですよね当然です
ただ、被災された方々に対し土足で踏み込んでいく姿勢はどうなのでしょうか?
マスコミ様は「配慮」という言葉を知らないのでしょうか?
震災の被害者は公人でも有名人でもありません「一般人」です、
しかも偶発的な出来事に巻き込まれた方々です
以前のブログにて王さんへ取材の案件見ましたが有名人だから許されるのであって
あれ、一般人に対しても長谷川さんは肯定するのでしょうか?
であれば長谷川さんも残念な側の人かと思ってしまいました
マスコミの行動を報道の自由などですり替えしている結論はどうなんでしょう
別の業界ですと、業界団体で自主規制など色々するもんですよ
マスコミには自浄機能がないから
また、おらおらマスコミ様だぜって感じがとうとう爆発したと私は見てます
今までは発信者はマスコミだけでしたから「汚い部分は隠しとうせた」
今は一般の方も発信できるから見えなかったものが見え始めた
そして、叩かれたと(クレーマーも出没)
それに対しクレーマーはって言っても解決しないと思いますがね
にしても煽った後の記事は早めにしていただくと助かります(笑)
なお前記事にクレームについて、ご意見コメントしましたので、一読頂ければと思います。
またポリティカル・コレクトレスについて、
キング牧師と共に活動されていたローザ・パークス女史も有名な方ですね!
あとノイジーマイノリティの有名な例として、
We are the world なんかが適当でしょうか?
差別撤退ではなく、チャリティ活動でしたが
色々な思惑が絡んでいたようです。
下品な「ノイジーマイノリティ」とやらが嫌いなのは分かりますし、それをくさす気持ちも理解できますけど
通常の批判まで同列で語っていたら、それこそ「ノイジーマイノリティ」とやらではないんでしょうかと、こう思いましたが
確かに報道の自由はありますが、マスコミの暴走は確かにあるかと思います。
TBSでしたっけ?取材禁止の場所で被災者を取材しようとして怒られたテレビ局。報道車が駐車場を取りすぎていたりでいい話を聞きません。目につきやすいだけかもしれませんが…。