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【プロ野球】

元ロッテ監督の山本功児さん死去

2016年4月24日 紙面から

開幕戦で勝利した黒木知宏(左)とウイニングボールを手に握手するロッテ・山本功児監督=2001年3月、西武ドームで

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 プロ野球の巨人、ロッテでプレーし、ロッテで監督を務めた山本功児さんが23日午後、肝臓がんのため、北九州市内の自宅で死去した。息子の山本武白志内野手(18)が育成選手として所属するDeNAが発表した。64歳だった。兵庫県出身。通夜は25日午後6時から、葬儀・告別式は26日午前9時半から、いずれも横浜市青葉区あざみ野南1の2の6、シティホール江田で。喪主は妻・美砂子(みさこ)さん。

 山本さんは、兵庫・三田学園高から法大に進み、本田技研鈴鹿(現ホンダ鈴鹿)を経て1976年にドラフト5位で巨人入り。84年にロッテに移籍し一塁に定着すると打率3割1厘を記録し、翌年も2割9分3厘。この2年間はゴールデングラブ賞にも選出された。88年限りで現役引退。通算成績は1217試合で打率2割7分7厘、64本塁打、369打点。オールスターゲームにも2度出場した。

 引退後の89年からはロッテで打撃コーチや2軍監督などを歴任し、99〜2003年は監督を務めた。指揮官として5年間で通算勝率4割7分9厘と優勝争いに絡むことがなかったが、退任2年後の05年、心血を注いだ福浦、サブローら主力がバレンタイン監督の下で日本一を達成。巨人でも1、2軍でコーチを務めた。

 

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