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arto総研

私は芸術が好きなだけ

可能性を広げるにはどうすべきか

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どうも、Toshiroです。お読みいただきありがとうございます。今回は「可能性を広げるためにはどうすべきか」というテーマで書いていきたいと思います。

 人間は自分を固定化しがち

私自身もそうなので人のことをとやかく言えないのですが、人間は自分を固定化しがちです。

例えば、サラリーマンの人は「私はサラリーマンです」と固定化しますし、主婦の人は「私は主婦です」と固定化します。

そして、固定化を行うとどうなるかというと、それに関することしか認識することが出来なくなります。

よく夫婦喧嘩なんかでありますが、奥さんが旦那さんに「そこのコショウ取って」と言うと旦那さんが「そこってどこだよ」、奥さん「そこよ!目の前にあるでしょ?見えないの?」なんてやり取りがあります。

奥さんは冗談というか半ば非難のつもりで「見えないの?」と言っていると思うのですが、本当に旦那さんは見えていません。認識出来ていません。それが例え視界に入るところであっても認識することは出来ません。

主婦という立場にあると、家庭のことを気にする必要がありますので、料理の際に必要となる調味料などに敏感に反応することが出来るのですが、仕事を重要とする旦那さんにとっては家庭のことはあまり重要ではないので(というと語弊がありますが・・・)、コショウのような些細なもの(あくまでも旦那さんにとって)は認識することが非常に困難なのです。

ちょっと話が飛んでしまいますが、人は何かの役割を与えられたり獲得するとそれになりきろうとします。いくつか例を挙げましょう。

スタンフォード監獄実験という有名な実験があります。実験の概要はこんな感じです。

新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明された。

引用:スタンフォード監獄実験 - Wikipedia

内容についての説明はここでは避けますが、役割を与えられるとその役割になるというのがよくわかる事例です。

それからアマラとカマラ - Wikipedia 。これも有名だと思いますが、狼に育てられた2人の少女のお話です。狼に育てられた故、自分は狼なんだ、と思い込み、歩くときは4足歩行、食事は手を使わずに口で食べる、というような状態です。真実性については議論があるようですが、興味深い例ですね。

他にはシモーヌ・ド・ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という発言も有名です。この言葉の解釈等には色々な議論があるとは思いますが、女は「女」という概念の元に教育されるから女になる、ということです。

例を挙げればキリがないのですが、人が何らかの役割を得るとそれになっていくというのがよくわかると思います。多くの人は何らかの結果として役割が発生すると考えるのですが、実はそうではなく、役割を得た後にそれになろうとするのです。

これを踏まえたうえでサラリーマンについて考えてみましょう。

「私はサラリーマン(被雇用者)です」というセルフイメージを持っている人がいるとします。この人は経営者のような雇用者になることはないでしょう。

なぜなら「私はサラリーマンだ」と思い込むと、その人は良きサラリーマンになろうとするからです。何らかのスキルを身に付けるにしても、良きサラリーマンになるためのスキルを身に付けようとします。雇用者になるための知識、スキルを身に付けることはありません。

また冒頭でも書きましたが、人は重要なことしか認識出来ません。サラリーマンにとって重要なことは良いサラリーマンになることなので経営者側になるための情報を得ることが出来ません。そもそも経営者になるという発想が出来ません。

 「私はサラリーマンです」という人は一生サラリーマンです。独立して自由を得るというようなことにはなりません。

このように自分を固定化することで、その人はそれになろうとします。なので固定化することは可能性をなくすことに繋がります。

(今はサラリーマンを例にしましたが、サラリーマンが悪いわけではありません。あくまでも可能性という問題の例として使っただけです。誤解しないでね)

可能性を広げるために

それでやっと本題の可能性を広げるには、ということになるのですが、結論から言うと「固定化を外す、固定化をしない」ことが重要です。

その具体的な方法としては、今までにやったことがないことや興味のないものに取り組んでみる、ということです。

私たちは過去今までにやってきたことを根拠に物事の正当性を判断しようとします。なので今までにやったことのないことや興味のなかったものを無意識的に否定しようとします。その否定してしまう部分をやってみよう、ということです。

例えば今まで醤油ラーメンしか食べたことがない人が塩ラーメンを食べるような感じです。今まで醤油が最強だと思ってたけど塩も悪くないな、とか、やっぱり醤油が最強だわ、みたいに何かしらの発見や気づきがあるはずです。

被雇用者の場合は一度雇用者の視点を経験してみると何か発見があるでしょう。いきなり大きなことをしなくても、格安のスーパーで50円くらいで缶ジュースを買って友達に50円以上で販売して1円でも利益を出してみるとか面白いかもしれません。売れなかったら冷やしてみるとか、お菓子を付けてみるとか工夫すると何か見えてくるものがあるでしょう。

そのようなものを出来る限り多く経験すると、今まで自分がやってきたことはちっぽけなことだったんだな、というようなことが分かってきます。ソクラテスの無知の知じゃないですが、そのような感覚になってきます。

こうなってくるとしめたもので、今まで重要と感じていたことがあまり重要ではないということが分かってきます。「私はサラリーマンです」が「サラリーマンでなくてもいいのでは?」というようになり固定化をつぶすことが出来ます。

 

今回もお読みいただきありがとうございました。

Toshiroでした。それでは、また。