このツイートが、多くの歴史学者からバッシングを浴びている。「鎌倉時代から始まる伝統」とは貞永式目のことだが、これを立憲主義と称して安倍内閣と結びつけるのは、歴史学者のいうようにトンデモである。丸山眞男も山本七平も貞永式目を「世界的にも早い慣習法の先駆」として高く評価したが、それを「立憲主義」などとは呼ばなかった。
立憲主義の意味も知らないでデモで絶叫する向きも多いが、これは「個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限する」憲法の考え方(芦部信喜『憲法』第3版 p.13)である。しかし貞永式目には「個人」という概念がない。ここで紛争処理の当事者になるのは「家」である。もちろん「権利」も「自由」も出てこない。主な内容は、土地の相続や分配などのルールだ。
13世紀にできた貞永式目はマグナカルタとほぼ同時で、紛争を司法的に処理する制度は画期的だったが、それは当時の慣習法を記述しただけで、鎌倉幕府のローカルなルールだった。そして戦国時代に入ると、各大名ごとに分国法をつくるようになり、貞永式目は忘れられた。日本がコモンローの原型となる法を独自につくりながら、なぜそれが失われたのかが問題なのだ。
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