実体験を偽装しつつ多少のフィクションを入れてそれとなく読者を誘引してフィクションで笑かし、オチを付けるというものだ。
中身自体は普通の作品と同じくどんでん返しなどを含めた創作テクニックが使用される。
ところで筆者はこのうち増田文学の最大の特徴である実体験に見せかけた作り話、という側面が大嫌いだ。
あるいは実体験かもしれないという面白さは作者の面白さではなく、面白さに拍車をかけるためのものであって、それを力として錯覚するのは筋違いだ。
そして一握りの作者は時々自分の力を錯覚するコメントを残して悦に浸っている有様ですらある。
実体験かもしれないという仮定を剥がして純粋にフィクションとして面白いかどうかが力量だ。
ここにはバイラルの力量があるか否かという下らない尺度は含まれない。
バイラルの力量は残らない、忘れられる、消費されるの三段で構成される。
そんな意味で互助会ブーストが不正のなんだのと言っている話が散見されるのも、この実力のないバイラルな空気に感じる不条理なのだろう。
こないだブログ界隈の売れ方を自慢する阿呆に出会ったが、文法的に間違っているものを推進していたり、とにかく安く早く短く売れることを目標にしていて反吐が出そうだった。
それらも含めて自分の実力なきがしないでもない
脚色の力量は自分の範疇でのみ行われるもので、受け手のバイアスを使った環境闘法は姑息だって話なんだが。 そしてそう解釈できるように書いてるしな。別に全てに適用できるとは思...