まず、2ちゃんのE235系スレのひとつに、以下の内容の書き込みがあった。
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【INTEROS】E235系 9.1編成目【欠陥電車】©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/rail/1459430395/265
265 : 名無し野電車区2016/04/23(土) 13:33:34.70 ID:HDEzOPgE
秋元康の歌詞を「女性蔑視」と批判したら、 AKB運営から「名誉毀損及び侮辱罪」「記事を削除せよ」の恫喝メールがw [無断転載禁止]©2ch.net
http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/akb/1461382563/
先日、当サイトで、HKT新曲の歌詞が女性蔑視であるというネットの声を受けて、
秋元康の歌詞にある女性差別思想を分析、批判する記事を掲載したところ、
AKB運営会社であるAKS 法務部から、「名誉毀損及び侮辱罪が成立する」「即刻、記事を削除せよ」
というメールが送りつけられてきたのだ。
歌詞に対する正当な論評に対して、「名誉毀損」「侮辱罪」とは、呆れて物も言えない。
本当ならこんなもの無視するところだが、読者のみなさんに秋元康の思想の本質、
そして批評行為を問答無用で黙らせようとするAKSの言論弾圧体質を改めて知ってもらうために、
記事というかたちで回答しようと思う。
http://lite-ra.com/2016/04/post-2181.html
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なかなかAKSもめちゃくちゃやけど、AKSに対して挑発的な記事なんやなあと思うて読んだら、この記事はAKSはメンバーの女性としての人権をないがしろにしている事実をけっこう糾弾しとる。
しかもそれが事実である上、それでも警察や司法をグルにして勝てるという勝算がAKSにあるからこそ、こんなめちゃくちゃな理論で、刑法も民法も一緒くたにした傲岸不遜なことが書いて来れるんやろ。
ただ、ジャーナリズムは往々にして権力に屈してまう。
リテラもどこまで報道の自由を守れるか疑わしいし、全文コピペする。
まさかリテラが私を訴えたりせんやろし。
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AKB運営のメディアへの強引な圧力についてはこれまでもさまざまな話を聞いていたが、まさかここまで傲岸不遜だとは思わなかった。
先日、当サイトで、HKT48の最新シングル「74億分の1の君へ」に収録されているカップリング曲「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞が女性蔑視であるというネットの声を受けて、秋元康の歌詞にある女性差別思想を分析、批判する記事を掲載したところ、AKB運営会社であるAKS 法務部から、「名誉毀損及び侮辱罪が成立する」「即刻、記事を削除せよ」というメールが送りつけられてきたのだ。
歌詞に対する正当な論評に対して、「名誉毀損」「侮辱罪」とは、呆れて物も言えない。本当ならこんなもの無視するところだが、読者のみなさんに秋元康の思想の本質、そして批評行為を問答無用で黙らせようとするAKSの言論弾圧体質を改めて知ってもらうために、記事というかたちで回答しようと思う。
AKS 法務部からの抗議メールはまず、〈1.本件記事の概要〉として、こう書いている。
〈貴社は、自ら運営するデジタルメディアサイト「リテラ」において、2016年4月13日、「HKT新曲の歌詞が女性蔑視だと大炎上・・・『女の子はバカでいい』と書く秋元康のグロテスクな思想は昔から」の見出しの下、当該歌詞が女性を著しく侮辱しているとの印象を読み手に与え、当該楽曲を誹謗中傷するにとどまらず、その他AKB48グループが歌唱する楽曲についても、「女性蔑視的な思想とセクハラ表現の集大成」などと記載し、もって、AKBグループのメンバー及び通告会社を逆に侮辱する記事(以下、「本件記事」といいます。)を配信されています。
しかし、当該歌詞は、女優ディアナ・アグロンに憧れる架空の女の子のお話しであり、特定の女性像を推奨する内容ではなく、差別的な意図は全くありませんし、その他貴社が指摘される楽曲の歌詞についても同様に、女性蔑視やセクハラの意図は全くありません。〉
ようするに、HKT48の新曲「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞は「女性蔑視」などでない、そして本サイトの記事は「楽曲への誹謗中傷」「余談偏見に満ちた論評」(原文ママ)だというのだ。
だったら、問題の歌詞を改めて抜き出すので読んでほしい。
〈難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい 二足歩行が楽だし ふわり軽く風船みたいに生きたいんだ〉
〈女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい〉
〈テストの点以上瞳の大きさが気になる どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない スカートをひらひらとさせてグリーのように〉
〈女の子は恋が仕事よ ママになるまで子供でいい それよりも大事なことは そう スベスベのお肌を保つことでしょう?〉
〈人は見た目が肝心 だってだって 内面は見えない 可愛いは正義よ〉
どうだろう。これ、昨年、鹿児島県知事の伊藤祐一郎氏が「女子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」と発言して批判が殺到する事態となったケースと、全く同じではないか。いや、県知事でなくても、この歌詞にあるような価値観、つまり「女は難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい」などと発言すれば、世の中では確実にセクハラ発言認定されるだろう。
なぜ、これが「女性蔑視でない」などということになるのか、こちらが聞きたいくらいである。どうもAKSは、何が女性差別なのか、わかっていないようなので、教えてあげよう。
1979年に国連で採択された女性差別撤廃条約では、第一条で「女性差別」を、《「女子に対する差別」とは、性に基づく区別、排除又は制限であつて、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するもの》としている。
つまり、「女は難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい」をはじめとする秋元康の歌詞の価値観は、文化的、社会的につくられた性別役割を押し付けるものであり、立派なジェンダーハラスメント、女性差別なのだ。
しかも、AKS法務部は言うに事欠いて、〈当該歌詞は、女優ディアナ・アグロンに憧れる架空の女の子のお話し〉だとしている。
あのね、「アインシュタインよりディアナ・アグロン」が今、一番批判されているのがここなのだよ。
言うまでもないが、ディアナ・アグロンというのはアメリカの人気ドラマ「グリー」でクインを演じた女優。この曲の歌詞の中にはたしかに〈スカートをひらひらとさせてグリーのように〉というくだりがあり、「グリー」のクインに憧れる女の子の一人称で、歌詞はつくられているようだ。
しかし、実は「グリー」でディアナ・アグロンが演じたクインも、そしてディアナ・アグロン自身も、「女は難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい」という秋元康の歌詞とはまったくかけ離れた存在だ。
そもそも「グリー」が数多あるアメリカの青春学園ドラマと一線を画す高い人気と評価を得た大きな理由は、それまでドラマで描かれることがほとんどなかったマイノリティたちをメインキャラクターとして正面から描いたことにある。
ゲイカップルの両親に育てられる生徒、吃音のふりをするアジア系の生徒、脊髄を損傷し車椅子に乗る生徒、アフリカ系の生徒、ゲイの生徒……。差別といじめの対象だった生徒たちが様々な困難を乗り越えながら、廃部寸前のグリークラブ(合唱部)を立て直し、大会での優勝を目指す。いわば、秋元の〈人は見た目が肝心 だってだって 内面は見えない〉という歌詞とは真逆の価値観を示しているドラマなのだ。
そして、ディアナ・アグロン演じる美人のチアリーダー、敵役のクインも、けっして「可愛いだけ」の存在では終わらない。もともと成績優秀ではあるが、「どうせこの田舎町を出られない」というあきらめから、容姿にこだわり、恋愛とスクールカーストの勝者になることだけを目指していた彼女は、好きでもない男の子どもを妊娠。しかし、グリークラブで人間的に成長したクインは、出産に向き合い、その体験をエッセイに書き、そして、最後はそのエッセイが高い評価を得て、名門のイェール大学に進学する。
「グリー」のクインは「可愛いだけで頭空っぽの女の子」から脱却していく存在として描かれており、これまた、秋元康の歌詞とは180度正反対だ。
HKTの新曲はこのように、女性蔑視というだけでなく、素晴らしいドラマをまったくちがう内容に歪めているために、「グリー」ファンや「グリー」のメッセージに共感する人たちの怒りを買っているのだ。ところが、秋元もAKSも、そのことをまったく自覚していないらしい。
こういうと、彼らは、歌詞が「グリー」のクインでなく、女優、ディアナ・アグロンに憧れている女の子の話だと言い張るかもしれない。
しかし、前述したように、彼女自身もまた、秋元の歌詞とは正反対だ。ディアナが女優活動の一方で社会問題に真剣に取り組んでいること、そしてジェンダーに対する高い意識をもっていることは、ニュースサイトの「messy」が具体的に指摘している。
同サイトのパプリカ氏の記事によると(リンク)、ディアナは2014年の国際ユース・デー(世界の子供及び若者の人権保護と社会参画を呼び掛ける日)にグローバル・シチズンシップ大使としてこんなスピーチを行ったという。
「28歳にして思うのが、私はとてもラッキーだったということです。私は初等、中等教育にアクセスできる国で育ちました。私はスポーツを楽しみ、希望の進路を追い求めることができました。私はリプロダクティヴ・ヘルスケアにアクセスして、自分が決断した時に子供をもち家族生活をスタートする時期を選ぶことができます。そしてゲイとレズビアンの友人たちは同性婚の権利を全米で獲得しました」
「しかし世界における18億人もの若者たちはそれほど恵まれてはいません。
世界には大人への移行期に、ジェンダー間の平等、教育機会の獲得、公共医療に関する乗り越えがたい困難に直面する多くの若者が存在します」
ディアナのいう「リプロダクティヴ・ヘルスケア」とは女性の自己決定権にもとづいた性と生殖に関する健康管理のこと。彼女は、教育の機会が奪われ、自分の性に関する行動を自己決定できない女性が世界中に数多くいることを憂えているのだ。
AKS法務部は、「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞が〈女優ディアナ・アグロンに憧れる架空の女の子のお話し〉だというが、実際の歌詞の中身は、ディアナ・アグロンの主張とは真逆。〈女の子は恋が仕事よ ママになるまで子供でいい〉など、完全に女性の「リプロダクティヴ・ヘルスライツ」を否定する内容なのである。
こんな歌詞に勝手に名前を使われたと知ったら、ディアナ・アグロンはどう思うだろう。名誉毀損は本サイトではなく、ディアナの名前を本人の意志と逆の意味で使った秋元康とAKS法務部のほうではないか。
いずれにしても、この女性蔑視的な歌詞は、「グリー」やディアナとはなんの関係もなく、秋元康の思想の表れであることは明らかだ。だからこそ、当サイトは秋元のこれまでの歌詞を改めて再検証し、性別役割を押し付けるその女性蔑視的な価値観が「昔から」であることを、具体的な歌詞をあげつつ指摘した。
ところが、信じられないことに、AKS法務部はこれが名誉毀損にあたるから、即刻、削除せよ、と通告してきたのだ。抗議メールはこう続いている。
〈2.貴社の記事のスタイル
本件記事は、インターネット上の匿名によるSNS等への投稿等の論評を引用したうえ、匿名の無責任な心ない発言を世間一般の見方であると受け取られるような形で公に発表するとともに、余談偏見に満ちた論評であると言わざるを得ません。
なお、引用記事の摘示及びそれを前提とした論評に名誉毀損及び侮辱罪が成立することはご存じの通りです(最判平成9年9月9日、東高平成4年11月17日、東地平成11年7月19日)。
3.結論
通告会社は貴社に対し、即刻、本件記事を削除するともに、今後、AKB48グループに関する無責任な誹謗中傷記事の配信を差し控えて頂くよう求めます。
いかなるご対応をされるか、大至急、ご連絡くださるよう御願い申し上げます。〉
ちなみに、AKS法務部が〈名誉毀損及び侮辱罪が成立する〉根拠として、もっともらしくあげている〈最判平成9年9月9日、東高平成4年11月17日、東地平成11年7月19日〉という判例だが、ひとつめは、妻に対する殺人容疑で逮捕された三浦和義被告(当時)に対して「極悪人、死刑よ」という知人女性の証言を掲載した「夕刊フジ」が名誉毀損だとされた最高裁判決。ふたつめは、同じく三浦被告に対して、「死刑」の予想をした刑法学者のコメントを紹介した「東京スポーツ」の記事が名誉毀損にあたると判断された東京高裁判決。そして3つめは、変死した東村山市議の夫の「妻は創価学会に殺された」という証言を掲載した「週刊現代」記事が名誉毀損だとされた東京地裁判決。いずれも、本サイトの記事とはなんの共通性もない。
たとえば、これらの判例に出てくる記事では前提となる事実の証明がなかったため、名誉毀損とされたが、本サイトの場合は、秋元康がこの歌詞を書いたという明らかな事実の前提がある。また、AKSは〈匿名の無責任な心ない発言を世間一般の見方であると受け取られるような形で公に発表〉というが、本サイトはネットの発言をただ紹介して、そちらに責任を転嫁したわけではない。独自に歌詞を分析して、「女性蔑視」だと指摘しているのだ。これはあくまで正当な論評、批評だ。
ようするに、AKSは記事を削除させるために、なんの関係もない判例をはったりでもちだして、ただの論評を「名誉毀損」「侮辱罪」だと脅しているだけなのである。
他のメディアはそれで黙らせることができたのかもしれないが、本サイトがこんな「言論の自由」を踏みにじるような要求を呑むはずがない。もし、AKSが名誉毀損訴訟を起こすというなら、堂々と受けて立つつもりだ。そして、公の法廷で積極的に秋元康の歌詞を検証し、それが女性差別、女性蔑視であることを、裁判所に認めさせたいと考えている。
そのためには、ジェンダー研究者や女性の人権を守る活動家にも協力してもらい、勝手に名前を使われたディアナ・アグロン本人にも、証人出廷か陳述書のオファーを出すつもりだ。
もちろん、その際には本サイトで、法廷レポートを連載していくこともお約束しよう。読者の皆さんには、今後の動きに、ぜひ、注目していただきたい。
(編集部)
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この騒動の元になった記事も、さすがAKSが脅迫してくるだけあって、なかなか言い当てている。
アキブータンとオムツバカの関係もしっかり書き、日本政府のいう「女性活躍」に踏み込んでいるところもいい。
元記事も全文コピペしよう。
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HKT新曲の歌詞が女性蔑視だと大炎上…「女の子はバカでいい」と書く秋元康のグロテスクな思想は昔から
【この記事のキーワード】新田 樹, 秋元康 2016.04.13
http://lite-ra.com/2016/04/post-2157.html
今月13日に発売されたHKT48のシングル「74億分の1の君へ」に収録されているカップリング曲「アインシュタインよりディアナ・アグロン」の歌詞が「女性蔑視である」として現在批判が殺到している。
秋元康の歌詞が女性蔑視? 何をいまさら……、と思ったが、実際に歌詞を見てみれば、2016年にリリースされる楽曲とは到底思えない、とんでもなく時代錯誤かつ女性蔑視的な驚くべき内容であることが分かる。以下にいくつか印象的なフレーズを引いてみたい。
〈難しいことは何も考えない 頭からっぽでいい 二足歩行が楽だし ふわり軽く風船みたいに生きたいんだ〉
〈女の子は可愛くなきゃね 学生時代はおバカでいい〉
〈テストの点以上瞳の大きさが気になる どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない スカートをひらひらとさせてグリーのように〉
〈世の中のジョーシキ 何も知らなくてもメイク上手ならいい ニュースなんか興味ないし たいていのこと誰かに助けてもらえばいい〉
〈女の子は恋が仕事よ ママになるまで子供でいい それよりも大事なことは そう スベスベのお肌を保つことでしょう?〉
〈人は見た目が肝心 だってだって 内面は見えない 可愛いは正義よ〉
こんなものを歌わされるメンバーもたまったものではないだろうが、YouTubeでこの曲のミュージックビデオが公開されると、Twitterでは当然のように歌詞の内容に異議を申し立てるコメントが殺到した。
〈「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない」これが呪いの言葉だってことが分からないのか。これまでどれだけの女性が足をとられ、矯められ、煮え湯を飲まされてきたか。2016年にもなってこんな戯言聞かされて冷静でいろったって無理だよ。〉
〈もはや暴力でしょこの曲は。〉
〈しかしオッサンが女の子達に「難しいことは考えなくていい、頭空っぽのほうがいい、可愛くなきゃ愛されない」みたいな歌詞を歌わせるって、どれだけおぞましい抑圧かわかるだろ…。「オッサンに都合がいいだけのバカで可愛いお人形になれ」ってか、なにこの洗脳ソング…。〉
ちなみに、曲タイトルにある「ディアナ・アグロン」とは、アメリカの大ヒットドラマシリーズ「glee」で美人チアリーダーのクイン・ファブレー役を演じた女優の名前。今回炎上の発端となったのは、ディアナ・アグロンや「glee」の名を出しながら、女性差別・同性愛差別・人種差別・障がい者差別などの問題を丁寧に描いた「glee」とは完全に真逆の「女の子はバカで可愛い方がいい」というメッセージを出したことにgleek(「glee」ファンの通称)が怒りをあらわにしたことにあるのだが、AKB48グループのファン以外には知られていないので今まで炎上案件になっていないだけで、同グループのディスコグラフィーを掘っていくと、実はこういった類の楽曲はゴロゴロ転がっている。
たとえば、07年に発表された「涙売りの少女」。その内容は、〈大事なもの失くして行く その不安に怯えて 派手な化粧 仮面つける16の夏〉〈まるでマッチ売りの少女 私には何もなくて 売るものが見つからない 頬伝う涙買ってください〉と、援助交際に走る少女を下世話な週刊誌のように露悪的に描いたものだ。
09年発表の「口移しのチョコレート」もひどい。阿木耀子にしろ、阿久悠にしろ、松本隆にしろ、つんく♂にしろ、アイドルソングの優秀な書き手は、歌詞のなかでどこか「性」を感じさせる暗喩を散りばめるのが上手く、その能力は職業作詞家として必須のスキルとも言える。だが、秋元の場合はメタファーではなく、露骨で、単なるセクハラだ。〈チョコレート 口移しして いつものキスじゃつまんないよ 強引にねじ込んで… チョコレート 舌で溶かして あなたの愛を舐めたいの 唇をはみ出して… ヤラシイ音を立てる〉──、これを歌わされるメンバーは、レコーディングブースのなかで何を思ったのかと、胸が痛くなってしまう。
また、まだ発売前なのであまり話題になっていないが、今月27日発売予定のNMB48のニューシングル「甘噛み姫」に収録されるカップリング曲「恋を急げ」の歌詞は、これまであげてきたような女性蔑視的な思想とセクハラ表現の集大成のような内容だ。
〈定期的に恋をしないとね 劣化していくよ 蜘蛛の巣ほら張ってるよ 食欲が性欲に勝ってるなんて なんか悲しいね このまま行ったら年とっていくだけ 急いで恋をしなくちゃ一人に慣れてしまうよ 女の子の賞味期限あっという間に過ぎちゃう〉(筆者聞き取り。リリース前のため歌詞カードの正式表記は不明)
定期的な恋を妨げているのはあんたらじゃないのかとツッコミを入れたくなるが、テン年代も半ばを過ぎて〈蜘蛛の巣ほら張ってるよ〉という歌詞表現が当たり前に通用すると思っているところに、なんともグロテスクなものを感じてしまう。
ただ、そもそも、「選抜総選挙」と称してメンバー同士を競い合わせ、それで女の子たちが苦しむ姿を見て楽しむ残酷ゲームを最大のコンテンツとしている時点で、AKB48というプロジェクト自体が「女性蔑視」的な構図をはらんだものとも言える。
また、彼の出世作のひとつであるおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」にも〈エッチをしたいけど 全てをあげてしまうのは もったいないから…あげない〉とか〈おばんになっちゃうその前に おいしいハートを…食べて〉といった、うんざりするような表現もある。
そう考えると、「女性蔑視」は秋元康という作家がもともと本質的にもっている思想であり、HKT新曲の炎上は、たまたまそれがダダ漏れになったにすぎないということなのだろう。
しかも、笑ってしまうのは、こんな人物が「女性活躍」などというお題目を叫んでいる安倍首相に最大のブレーンとして重用され、彼のプロデュースするアイドルたちがやたら政府の広告塔に起用されている事実だ。これだけをとっても、彼らが望んでいる「女性の活躍」がどんなものなのか、よくわかるというものではないか。
(新田 樹)
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・・・いや、ウラを返せば、「女性活躍」の実態を言い当てられた日本政府こそが、この記事をいちばん問題視しており、日本政府がAKSに対して、リテラに圧力をかける"汚れ役"になるように指示している可能性高いなあ。
報道の自由がどこまで守られるかわからないし、リテラも「大西、あいつだけは使ってはならない」と屈する可能性は高い。
しかし私はとにかく、AKSがリテラを訴えた場合、AKS(日本政府)の出方について経験を交えて記し、リテラを支援する用意がある。
報道は、革命のためのツールであり、正しいジャーナリズムがどこかで私と繋がってくれることと信じる。
コレ
韓国・麗水(ヨス)での列車脱線事故、原因はスピード超過と判明 4月22日13時40分 WoW!Korea
http://s.news.nifty.com/world/koreadetail/wowkorea-164851_1.htm
ようは速度照査型のATS-Pみたいなんが、この路線には入ってなかったってことやな。
もちろん、本来直線であるべきところ、用地買収が上手くいかず、急曲線になっとった問題はあるとのことやけど、ならばなおのことシステムで安全性を保証せな。
まあ韓国の予算上そんなシステム入れられんという事情あるんかもやけど。
だから、日本みたいに1人乗務ではなく2人乗務にしとるともいえるんやけどな。
2人乗っているからといって、1人が怠けとったら、2人乗っとる意味がない。
運転してない方も、自分ならばこう運転する、と思って、同様の緊張感で前方を監視してはじめて、2人乗っとる意味がある。
2人乗っているからといって、1人が怠けとったら、2人乗っても無駄、異なる安全手段により安全を担保したほうがいいとして、ATS-Pみたいなシステムを入れ、それとのトレードオフで1人乗務ではなくさせられてまう可能性が高い。
しかし1人乗務やと、トイレという大きな問題が出てくるよなあ。
生理現象で運転士の集中力が落ちたら危ない。
ローカル線の安全性とコストをどう考えるかは、重要な問題と思う。
私ならば、ローカル線ならば、1時間に1回休憩取れる体制にして1人乗務、急減速しなければ脱線するところではATS-Pみたいなのを入れるようにするのがいいと思う。
それが無理ならやっぱ2人必要ちゃう?
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