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ゆるく生きる

社会のレールから外れた者なりの生き方を模索する

雇われて働くことは思考停止なのかもしれない

しばらくブログから離れていた。というよりもネットから離れていたという方が正しいかもしれない。毎日が忙しく過ぎていっていた。

 

毎朝気が進まないなぁと思いつつ起き、風呂と食事を済ませ、満員とは呼べないがそこそこ混んでいる電車に乗り、会社へと向かう。

 

仕事には少しずつ慣れてきた。近々辞めるかもしれないという前任者は週3で来るので、その人がいる時はその人の意向と指示に従いつつ進める。その人が来ない2日は自分の裁量でやりつつ、分からないことがあれば忙しそうにしている上役の人に指示を仰ぐ。仕事、という面だけを見ると自分の裁量で進められる前任者がいない日の方がやりやすいが、人間関係という面で見ると前任者とは歳が近いせいか職場で最も気が合うので、いない日は寂しかったりする。できれば辞めないで欲しいと時々思う。

 

昼の休憩は各自の都合のいい時に取ることになっているので、たまに人と一緒に食べ、たまに一人で食べる。大人数が苦手なので、「お昼行く人~~?」で4人以上集まりそうな空気を察知したら慎んで辞退する。一人になりたい日の昼には公園やカフェに行って読書をする。

 

定時になれば、その日中に終わらせなければならない仕事が残っていない限り、そそくさと退散する。周りはわりと残業をしているようなので、体力があるんだなぁと思いつつも、明日のためにと帰路につく。満員とは呼べないがそこそこ混んでいる電車に乗って帰る。

 

家に付けば一日のほとんどが終わっている。ご飯を食べ、ゴロゴロしていたら寝る時間になってしまう。明日のためにと布団に入る。

 

こんな風に毎日を過ごしていると、一日なんてあっという間に過ぎてしまう。実際、ニートだったのに仕事を始めてからのこの一ヶ月は本当にあっという間だった。きっと一年だってあっという間に過ぎてしまうんだろう。

 

元々人生において「これをしなければ」と考えていることは何もないので、こういう惰性で続く生活に甘んじることには特に抵抗がない。こんな風に毎日を過ごしていればお金だって勝手に入ってくるので、毎月の生活費に頭を悩ませることもない。安心して惰性に甘んじることができるのだ。

 

でも、だ。こんな生活は思考停止ではないだろうか、とふと思ってしまう。毎日のように電車に揺られ、毎週末の休日をありがたがり、毎月口座にはお金が振り込まれる。気楽で安全な生活だ。でも、本当にこのままでいいのだろうか?