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王子様と落ちこぼれ魔道士 作者:雪歌
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16 倒れたイェン

 黒衣の陰湿魔道士が消えたと同時に、荒れていた海も嘘のように静まった。
 嵐の余波もなく、海面は透き通る青さ。
 舵機室は破壊されたが、かんじんの舵は無事だった。
 破損したヤドカリ号修理のため、急遽、船は港へと引き返すことになった。予定よりも早すぎる船の到着に、浜辺にいたイヴンとお姉さまたちが、何があったのかという様子で港に駆けつけてきた。

「イェン!」

 耳に届いたイヴンの声に視線をさまよわせ、その姿を探し求める。
 ひどく慌てた顔で人混みをかきわけ走ってくる、小さな少年の姿を見つけると、両脇で身体を支えていた四人組を払いのけ、頼りない足取りでイヴンの元へと近づいていく。
 イヴンが手を広げ、力一杯抱きついてきた。
 傷の痛みに一瞬顔をゆがめたが、いつもと変わらない、元気なイヴンの姿を確認して、安心の笑みをこぼす。

「無事だったか? 何も変わったことはなかったか?」

「何も……何もないよ。それよりその傷は何? 血がたくさん……ねえ、どうしたの? 何があったの?」

 矢継ぎ早に質問を投げかけてくるイヴンに、イェンは心配するな、と笑って目の前の少年の小さな頭をくしゃりとなでる。

「たいしたことじゃねえよ。おまえが無事なら、それで……」

 いい、と声を落としてイェンはその場に膝をつく。

 ヤドカリ号も他の船員も、バカ四人も全員無事のようだな。
 俺の目の前で誰一人、怪我人などだしたくねえしな。
 よかった。
 なら、そろそろいいな……。

 イェンがふっと肩の力を抜いたその瞬間、ヤドカリ号が傾き始めた。

「おい見ろ、ヤドカリ号が!」

「あと少し港に戻るのが遅かったら……」

「ああ、大変なことになってたな……」

「全員ここにいるな! 船に取り残されている者はいないな!」

 親方の声に、船員たちは顔を青ざめさせながらもおう! と答える。

「イェン!」

 膝をついたまま、イェンはイヴンの身体に倒れ込む。
 耳元で聞こえるはずのイヴンの声が、徐々に遠くなっていく気がした。

 ああ、悪い……意識が……。

「大丈夫か!」

「大変です!」

「新入りが!」

「倒れた……」

 側ではイヴンの腕の中でぐったりとするイェンを見下ろし、四人組がおろおろと慌てふためいている。
 倒れたイェンをしっかりと受け止め、イヴンは回りを見渡し大声で叫ぶ。

「誰か、誰かお医者様を呼んで! お願い早く!」

「おい、新入りに何があったんだ?」

「わからねえ。気づいたらひどい怪我を負っていたんだ」

 船員たちもイェンの身に何が起きたのかさっぱりわからないと、首を傾げている。

「とにかく、医者を呼んでこよう」

「急げ!」

「しかし、その人も魔道士様では?」

 親方が訝しんで疑問を投げる。
 魔道士なら自分で治癒や回復術をかけて傷を治すのは容易いだろうと。
 普通ならそうであろう。
 だが……。

「イェンは回復系の魔術が使えないんだ!」

 その場にいた者はそろって顔を見合わせた。
 魔道士のくせにそんなことがあるのかと。

「なら〝灯〟から回復魔術が使える魔道士様を呼んで」

「違う! 普通のお医者様だよ。魔道士じゃなくて、普通の医者じゃなきゃ、イェンはだめなんだ!」

 途切れていく意識の中で、イヴンの悲痛な声が耳に届く。


 ◇・◇・◇・◇


 誰かが側で泣いている。
 悲しそうな声で。
 ゆっくりと目を開けたイェンは、泣き声がする方へと顔を傾ける。
 ベッドの脇の椅子に座り、肩を震わせツェツイが泣いていた。
 どうして、エレレザレレからずっと遠い、ディナガウスにいるはずのツェツイがここにいるのか。わざわざ、誰かがこのことを彼女に知らせたのか。

 いったい誰だよ、よけいなことしやがって。
 こいつを泣かせてしまったじゃねえか。
 ツェツイ……。
 頼むから泣くな。

「おまえ……」

 目覚めたイェンに気づいたツェツイは、椅子から立ち上がり身を乗り出した。

「お師匠様!」

「何、泣いてんだ」

「だって、お師匠様……お師匠様が……っ!」

「ずっと泣いてたのか? 目が真っ赤だぞ」

 肩を震わせツェツイはしゃくりあげる。

「泣くこと、ないだろ」

「怪我をして、誰がこんなひどい真似をしたんですか!」

「ツェツイ」

「この傷、魔術で傷つけられたものですよね? 魔術で人を攻撃することは〝灯〟では禁止されています。なのに……いったい、誰なんですか? あたし、お師匠様を傷つけた人、絶対に許しません!」

 眉根を寄せ、珍しく語気を荒らげるツェツイの頬にイェンは手を添え首を振る。
 おまえが許さないなんて、そんな言葉は口にするなとたしなめるように。

「誰でもねえよ。俺は大丈夫だから。それに、このくらいの傷、たいしたことじゃない。回りが大げさに騒いでいるだけだ」

 ツェツイは下唇を噛んで上目遣いにじっとイェンを見る。

「何だよその目は。嘘なんか言ってねえよ。その証拠にもう起き上がれるぞ」

 ほら、と言ってイェンは半身を起こしベッドの背もたれに寄りかかった。
 傷口に、ずきりと鋭い痛みが走る。けれど、ツェツイを安心させるために、そんな痛みなどまるでないかのように振る舞い、表情にもださなかった。

「そうだ、おまえの好きそうな店を見つけたぞ。高台にあって、窓から海が見えるいい感じの店だ。今から行ってみるか? ずいぶんと心配させちまったみたいだからな。お詫びにおまえの好きなもん何でも腹一杯食わせてやる。だから、もう泣くな」

「お師匠様……」

 しかし、ツェツイは大きく頭を振る。

「絶対に安静です、ってお医者様が言っていました。動いちゃだめって」

 言って、ツェツイはまたぽろぽろと涙をこぼす。
 イェンはやれやれといったていで、ツェツイの腕をつかんで自分の胸に引き寄せた。
 小さな身体が肩口に倒れてくる。

「ほら、泣きやめ。久しぶりに見たおまえの顔が泣き顔じゃ俺もつらいだろ」

「だめです! あたしが寄りかかったら、お師匠様の傷が」

 身を引こうとしたツェツイの頭に手を回し、さらに抱き寄せる。

「おまえ程度が寄りかかったところで、どうってことねえよ」

 そう言いながらも、イェンは痛みに顔をしかめた。だが、その顔はツェツイには見えない。傷の痛みよりも、ツェツイを泣かせてしまったという心の痛みの方がつらかった。
 すっぽりとイェンの腕の中におさまったツェツイは、腕に抱かれて緊張しているのか、それとも、傷にさわらないようにとただじっとしているのか硬直したまま動かない。
 イェンは静かにまぶたを閉ざして、あやすように優しくツェツイの頭をなでる。ツェツイの髪から甘く優しい香りが立ちのぼってきた。
 やがて、ツェツイのすすり泣く声と震えがとまる。

「少しは落ち着いたか?」

「はい……」

 ツェツイの目の縁にたまった涙を人差しの背で拭う。大粒の涙が指を濡らした。

「なら、ディナガウスに戻れ」

 戻れと言われてツェツイは怒ったような顔をする。

「どうしてですか!」

 ツェツイはいやです、と首を振る。

「おまえにはやることがあるだろ。学校はどうした? 医術の勉強は? 俺のことにかまっている暇なんかないはずだ」

「学校も医術のお勉強も〝灯〟に行くのも、しばらくお休みします。そんなことよりも、あたしはお師匠様の方が大切です」

「だめだ」

「いやです。帰りません! せめて、お師匠様の怪我が治るまで側にいさせてください。あたしはまだ何もお役にたてないかもしれないけれど、だけど、お師匠様の看病くらいはできます。お願いです」

 一度こうと決めたらツェツイは意外に頑固だ。それは三年前、ツェツイが故郷を、そして、何より師匠であるイェンの側を離れ、魔術大国ディナガウスに行く行かないでもめたことでよく知っている。

「ツェツイ」

「絶対に……」

 いやです、と言いかけたツェツイにの唇にイェンは人差し指をあてた。
 それ以上もう何も言うな、というように。
 口をつぐんでしまったツェツイの目から、あらたな涙がこぼれ落ちる。
 どうして? と、ツェツイの茶色の瞳が悲しげに揺れた。
 一瞬、胸がとくりと鳴ったのは気のせいか。

「そんな顔するな」

 イェンはふっと微笑んでツェツイのあごに指先を添える。

「お師匠様……」

 イェンのまぶたがゆっくりと落ちる。
 驚きに目を見開くツェツイの頬に、イェンは唇を近づけて、いく──


 そこで、イェンは目を覚ました。
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