16/39
15 敵、現れる 船上の対決
そして、十日が過ぎた。
どうにか仕事にも慣れてきた。
いい感じに日に焼け、心なしか二の腕も逞しくなってきたような、気がする。
最近ではあきらめ半分もあり、文句も減ってきた。
仕事にもいくぶん余裕ができてきたのか、こうして休憩の合間に釣りを楽しむことも覚えた。
「いやー今日も大漁だったな」
「働くって素晴らしいですね」
「おいらこの仕事、好きっス」
「天職かも……」
船の縁で釣り竿を握っているイェンのすぐ脇で、四人組がそんな会話を交わしていた。 かまってほしいのか、うざいくらいに何度もちらちらと横目でこちらを見ているが、当然のごとく無視だ。
「お、新入り。かかったようだぞ」
頭が船縁から身を乗り出して、海に漂う浮きの反応を確認する。
「わかってるよ。側に寄ってくんなって」
大きくしなった竿をイェンはぐいっと手前に引っ張った。
「おお、でかいぞ!」
そこへ、他の船乗り連中もいっせいに、わらわらと集まってきた。
「こりゃ、大物かもしれないぜ」
「絶対、手え離すんじゃねえぞ」
「わかってるって」
イェンは、ぎりっと歯を食いしばる。
竿のそりとかなりの手応えに、獲物はそうとうでかいと予想する。
「もっと腰をいれろ!」
「そう! 腰だ腰っ!」
「腰をぐいぐいっと!」
「竿だ。竿も立てろ!」
「おまえの竿さばきを見せつけろ!」
周りでは、船乗り連中がこぶしをあげてイェンを応援する。
「おう、まかせろ。俺様、腰使いには自信があるからな」
得意顔で足を踏ん張り、両手に力を込める。
「それにしても、お魚さん、見えてこないっスね」
「よし! 俺も手伝うぜ。おまえらも手をかせ!」
イェンの左右から二人づつ、四人組が手を貸してくる。が、連帯感も何もあったものではなく、右だ左だと竿を振り回し、それにつられてイェンも身体を左右によろめかせる。
「てめえら、押すな。てか、離れろ!」
「手前に思いっきり引っ張るんですよ」
「違うっ! 少し釣り糸を緩めるんだ」
「押すなって言ってんだろうがよっ!」
「だから魚を泳がせて疲れさせるっス」
「無理にひっぱたら……」
「だから押すなって言って……うわっ」
「わー!」
そして、そのまま五人は絡み合いもつれ合って、真っ逆さまに海へと落ちてしまった。
◇
浜辺では。
「イヴンくんも、ずいぶんと魚を扱うのが上手になったもんだのう」
「あらまあ、ほんとだねえ」
「のみこみが早いんだね。それに、よく頑張っちょるし」
「若いのに偉いもんじゃ」
文句一つこぼさず、素直に仕事を教わり、率先して重いものを運んだりと、よく働くイヴンはすっかりと浜辺で働くお姉さまたちの人気者であった。
そんなお姉さまたちに褒められたのがよっぽど嬉しいのか、イヴンはかなりご機嫌だ。
手際よく魚を二枚におろして丁寧に内蔵を取り出し、水洗いをしてきれいに汚れを取りのぞく。
単調な作業だが、数が多いから大変だ。
そこへ、ヤドカリ号が港に入ってくるのを目にしたイヴンは目を輝かせた。
「あ、ヤドカリ号が戻ってきたみたい。僕、ちょっとお出迎えに行ってもいいですか?」
「ああ、いいよ。行っておいで」
「もうすぐ、仕事も終わるし、今日はそのまま帰ってええよ」
「ありがとうございます。それじゃあ、また明日」
仕事仲間のお姉さまたちにぺこりと頭を下げ、港に駆けつけたイヴンは、ずぶ濡れ状態のイェンの姿を見て目を丸くする。
「イェン、どうしたの? 何があったの?」
「海に落ちたんだよ!」
いちいち聞かなくても見りゃわかるだろう、とイェンは目を吊り上げ怒鳴り返す。
「そんなに怒らなくても……」
「なーに、気にするな。ちょっと、仕事に息づまって神経質になってるだけだ」
そこへ、やはりずぶ濡れの四人組が現れた。
「お、おまえらがそれを言うか!」
その場に膝をついたイェンはイヴンに抱きつき、もうイヤだ、と泣き言をこぼす。
「俺、泳げないのに……死ぬかと思った」
「ええ! イェンって泳げなかったの?」
「ワルサラに海はねえだろ! おまえは泳げるのか? 泳いだことあるのか!」
「何むきになってるの? 僕はワルサラ湖で、ヨアン義兄さんに泳ぎを教えてもらったから、少しは」
イヴンのその言葉に、衝撃をうけるイェン。
おまえにできてこの俺にできないことがあるとは……という、まさにそんな表情であった。
「俺……もう耐えられないこの仕事。こいつらも大っ嫌いだ」
こいつらと言って、イェンは側に立っている四人組を指さす。
「通行券ができるまでの我慢だから。ね?」
お腹に顔をうずめてくるイェンの頭をなで、イヴンはなだめ言い聞かせるのであった。
◇・◇・◇・◇
今日も大漁だ。
船縁にひじをつき、イェンは煙草の煙を雲一つない青空に向かってふかした。
休憩時間、仕事の後の一服は格別にうまい。
仕事もまあ、それなりに順調だ。
思っていたよりも楽しく思えてきたし、それにやりがいもある。
最近では、荷揚げ作業も任されるようになった。
足下には、たった今網から捕ったばかりの青光り色の魚が、びちびちと元気に飛び跳ねている。大振りで、脂もよくのっていそうだ。
間違いなくよい値がつくだろう。そう思うと何だか嬉しい。
ふと、イェンは眉をひそめ、ゆっくりと肩越しに後ろを振り返る。
背後に突き刺さるような視線を感じたからだ。
振り返った視線の先、反対側の船縁に立つ黒い魔道士装束の姿。
目深にかぶったフードに隠された顔。
「誰あんた?」
くわえ煙草のまま目をすがめ、イェンは相手の方へと向き直り船縁に両ひじをついて寄りかかる。
「勝手に船乗ったら親方に怒られるぜ」
「相変わらずですね」
静かな声音はまだ若い男のものだ。
イェンは口の端を上げ、おかしそうに笑う。
「相変わらずって、俺あんたのこと全然、知らねえんだけど」
とぼけた素振りを装い、こいつか、とイェンは確信する。
いつかは現れるだろうと思っていた。
パンプーヤの剣を狙う首謀者が。
目の前の魔道士はその首謀者の命令で動いている手の者だろう。
フードで素顔は見えないが、知った者ではない。だが、相手はこちらのことをよく知っているとでもいう口振りだ。
イェンはくわえていた煙草を強く噛む。
二人の魔道士の間に張りつめた空気が流れる。
身動ぎもせず、瞬きも忘れ、互いに相手の出方をうかがい立ちつくす。
「おーい、新入り。休憩時間は終わりだぞ」
こんな時に、とイェンは目の前の魔道士から視線をそらさず、舌打ちをした。
やって来たおなじみ四人組が、船縁に立つ魔道士を指さして、あー、おまえ! と叫ぶ。
「あなたたち、生きていたのですか……」
相手の魔道士の静かな声色に、かすかな驚きがにじんでいた。
「何? おまえらの知り合い? 勝手に知らない奴船に乗せたら親方に叱られるぞ」
「知り合いでも何でもない! こいつなんだ!」
「何とかの剣を盗めって言ってきた奴ですよ!」
「おいらたちを崖の上から突き落としたっス!」
「性格が陰湿……」
「へえ」
イェンは挑戦的な目遣いで相手を見る。
のっぽに陰湿と言われた魔道士は、右手に握られた杖をかまえ呪文の詠唱を始めた。
『吹き荒れよ風
暴君となりて
烈風をおこせ』
「おいおい、話し合いもなくいきなり攻撃? っていうか、あんまりヤバいことは勘弁してくれよな。このヤドカリ号、あんまし丈夫にできてねえんだから」
「何、悠長なこと言ってやがる」
「そうですよ! 絶体絶命です」
「詠唱を止めないとヤバいっス」
「あいつ、強い……」
何があったか知らないが、あの陰湿魔道士に怖い思いをさせられたのだろう四人組は顔色を失い、身を寄せ合い脅えていた。
相手の呪文の詠唱を待つこと数十秒。
その間にイェンは軽く指を三度鳴らした。
黒衣の魔道士が大きく杖を振り上げる。
突如、穏やかだった海に波が立ち始めた。
空は変わらず青く晴れ渡っているのに、海面だけは嵐のごとく荒れ出した。
船乗り連中はこの不可思議な状況に戸惑いつつも、それでも大急ぎで港に戻る準備で機敏に走り回っている。
船が大きく揺れ、大波が甲板を洗っていく。
流されてはたまらんと四人組は固まって帆柱にしがみついた。
しぶく逆波を頭からかぶったイェンの煙草の火が、じゅっと音をたてて消えた。
イェンは肩をすくめ、さらに足下に視線を落として切ないため息をつく。
捕ったばかりの魚が波にさらわれ流されてしまった。
今日の収穫はすべてだいなしだ。
さらに風が強さを増し、激しく荒れる波が船体を大きくうねらせる。
魔道士が再び杖を振り上げた。
『研ぎ澄ませ刃の風
吹きすさべ烈風よ
切り刻め彼の者を』
突きつけた杖の先端から、真っ直ぐにイェンめがけて風の攻撃を放つ。
片足を一歩引いて身体をずらし、イェンはぎりぎりのところで敵の攻撃をかわす。
標的を見失った風の刃は舵機室にあたり、壁を砕いた。
イェンは顔をわずかに傾け、くわえていた煙草をふっと吹き飛ばして敵を見据える。
「人様に向けてそんな危ねえ技、放つな。規則違反だろ」
「あいにく、私は〝灯〟の人間ではありません」
〝灯〟の者ではないから、規則に従う理由はないと。
さらに、二度三度と風の攻撃がイェンを狙う。
イェンは悲鳴を上げ、大きく揺れ動く甲板の上を器用に逃げ回った。
「あにきぃー、新入りの危機みたいですよ」
「同じ魔道士でもこんなに実力が違うとは」
「見てて何か痛々しいっス。情けないっス」
「このままじゃ……」
船が横波を受けて大きく傾く。
「あわわわわーっ!」
頭の手が帆柱から離れ、腹這いの状態で甲板の上をずるずると滑っていく。このままでは荒海に投げ出されあわや海のもくず。いや、それよりも悪い状況が頭の身に降りかかろうとしていた。
魔道士の放った攻撃が頭めがけて飛んできたのだ。
小さな舌打ち一つ、イェンは滑ってくる頭の身体を受け止め、おおいかぶさり抱え込む。
無数の風の刃がイェンの背中、肩、両腕を切り刻む。
イェンは苦痛の声をもらした。
「兄きぃ!」
「新入り!」
「ひどい!」
頭はそろりと顔を上げた。
「あ、あんた……もしかして、俺のことを助けてくれたのか」
目を丸くする頭に苦笑いを返し、イェンはその場に膝をつく。
風の刃で切り刻まれた傷から、流れる血が甲板の上を赤く染めた。が、その血も流れ込む海水できれいに洗われる。
「さすがのあなたも杖がなければ不利なのでは? 持っているのでしょう杖を? その杖を使って本気で私と戦いなさい」
執拗に黒衣の魔道士は杖を使えと繰り返す。
さらに魔道士は静かな声で続けた。
「あなたが現在ほどこしているすべての術を解除して、私との戦いに専念するのです。そうでなければ、この私には勝てませんよ」
へえ、とイェンは驚きの混じった声で魔道士を見る。
何かを言いかけようと口を開きかけるが、気が変わったのか口を閉ざす。代わりに、苦痛に顔をゆがめながらも、口許にいつもの軽い笑いを浮かべた。
「あんたと戦え? 戦う理由がわからねえな。それに、よく勘違いされるけど俺、こう見えて争い事は嫌いなんだよね」
「ならば、あの坊やをこちらに呼び寄せましょうか? あなたのその姿を見たらどんな顔をするでしょう? それともあなたの目の前で、あの坊やに苦痛を与えれば、あなたも本気を出す気になりますか?」
「あいつに何かしたら、おまえ、ただじゃおかねえぞ」
イェンは目を細めて敵の魔道士を睨み据える。
「それとも、あるいは……あなたの可愛いお弟子さんを呼んだ方が、もっと効果的でしょうか」
イェンの目がさらに凄みを増した。
「おまえ、本気で言ってるのか?」
敵の魔道士の答えはない。
目的を成し遂げるためならば、誰を巻き込んでもかまわないというのか。
イェンは静かにまなざしを落とす。
ふっと、脳裏を過ぎるのは、にこにこ笑う幼い少女の姿。
ツェツイ……。
そういえば、俺が国を出たことをおまえに伝えてなかったな。
会おうと思えばいつだって会える。おまえに何かあったら必ずすぐに駆けつける。だから、言う必要はないと思ったんだが。
元気でやってるだろうか。
イェンは血に濡れた自分の手のひらを見つめる。
こんな姿、おまえに見せられないな。
泣かれたくない。
イェンは緩やかに視線を上げた。
「あいつに指一本でも触れてみろ……即、おまえを潰してやる」
怒りをにじませた声だった。
魔道士はにやりと口許をゆがめ、再び詠唱を始めた。
どうやら敵は本気。
それも戦い慣れている。
人を傷つけることにためらいはない。
イヴンを、ましてやツェツイを巻き込むわけにはいかない。
絶対にだ。
「くそっ!」
やるしかねえのか。
いまいましげに吐き捨て、イェンは右手を高く空に向かってあげた。
が……。
「いかーん! その身体で動いてはいかーんっ!」
側にいた頭に、右手もろとも身体を押さえつけられ、のしかかられる。
「ばか、離せ、状況を読みとれ! ボケっ」
「いかんといったらいかんのだー!」
「痛いってんだろうが、野郎に乗っかられても嬉しくも何ともねえんだよ!」
魔道士の詠唱はまだ続いている。
イェンは身体の上におおいかぶさる頭を、足で蹴って押しのける。
魔道士の口の動きが止まった。
詠唱が完成したようだ。
敵の攻撃がこちらへと向けられた。
狙っているのは俺。
なのに、このままでは無関係な者まで巻き込んでしまう。
「させるかよっ!」
声を上げ、イェンは甲板にこぶしを叩きつけた。
直後、晴れた空に激しい稲光。
船をも振動させる雷鳴が轟き、稲妻が空を切り裂き黒衣の魔道士を直撃する。
しかし、すでに敵の姿はそこにはなく、落雷の衝撃で船縁から甲板にかけて大きな亀裂が走っただけであった。
『やはり、侮れないようですね』
意味ありげな言葉を残し、魔道士の気配は消えてしまった。
イェンは奥歯を噛み、手を強く握りしめた。
相手はまるでこちらの実力を計り、試している様子だった。
どうやら狙いはパンプーヤの剣だけではないらしい。
気づいているのか、とイェンは低く呟いた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。