時計が深夜2時を指している。
こんな時間に起きている連中が常道を歩んでいるはずがない。
辺りはしんと静まり返っていて、世界に自分だけ取り残されているかのようだ。
もちろん、近場のコンビニに行けば店員が居て、今頃ぞくぞくと運ばれてくるダンボール箱たちを相手にしているのだろう。
別に特別なことじゃない。けど、子供の頃思い描いていた普通の人生とはちょっと違う。
そういう生き方を知ることができるのが、大人になるということなのかもしれない。
ふと見上げると2時5分。この視界にあるのはモニターと時計、机と本棚、見ることの無くなったテレビ。
語らなければ知られることもない景色。絶景でも雄大でもない、ごく普通の団地の一部屋。
しかし人生とは不思議なもので、こんな他愛無い景色を、こんな他愛無い文章をここまで読んでしまう奇特な人は知ることになる。
何を話そうというわけでもなく、頭の中に浮かび上がってくる思考を文章として排出しているにすぎない。
他人が読める場所に書くのだから、少し罪悪感もある。これほど用に立たない文章もあるまい。
それでも、たまにはいいではないかと自分を甘やかしつつタイピングを続ける。
少し集中が切れて、再び顔を上げる。2時12分あたりか。
案外ろくでもないことに時間を使っているのだなと思う。自分の人生なのに、他人事のような感想である。
別に何の足しにもならないだろう。これで文章がうまくなるなどと、そんな期待を抱いてはいけない。
校正につぐ校正を経て、初めて文筆の力は深まっていくというものだ。
名だたる漫画家が数多のボツ話を持っていることは偶然ではあるまい。
しかし自分にはそんな気概はないようだ。否定されるというのは、やはり気持ちのいいものではない。
できれば安楽に生きていたい。自分の好きな目にあって死にたい。
だが、失敗が嫌いかといわれるとそうでもない。
きっと失敗しないことが約束された人生はつまらないものだろう。
すべて見通しが立って、後は流れるだけの人生というのは、自分には刺激が足りないようだ。
少々喉が渇いてきた。この部屋を出て、ちょっと廊下をまたいでダイニングの冷蔵庫を覗けば、冷やしてあるお茶にありつける。
横着してペットボトルだけで飲むこともあるが、口は付けたくないので空中から注ぎ込む形になる。
これがたまに失敗して、あごやのどにかかって服を濡らすこともある。
ふむ。やはりコップに注ぐべきか。
決心が固まったので、茶を取りにいくとしよう。