2016-04-22

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どのように書くのが良いか、判断が付かなかったので幾つかの小見出しごとに纏める形とした。

寂しさを覚えたきっかけの一つとして、職場の人が「家で倒れて家族発見され搬送」というイベントを聞いたことも影響しているのかもしれない。発見が早く一命は取り留めた。

さて自分が今、倒れた場合一体どうなるのだろう。誰にも発見されず朽ち果て悪臭を振りまいて大家に多大な迷惑を掛けて死んでいくのだろうか。

補足:深夜のテンションで書いたもの全般として言い訳めいていて、やはり一度に書き上げないと書けないものはあるらしい。

隣の芝生なんて知りたくもなかった

隣の芝生が青いことは誰もが知っている。

ではその芝は青、蒼、碧のどの「あおい」だろう。ホームセンターで買ってきた人工芝だろうか。毎日丹念に手入れされた天然芝だろうか。自分の芝生と比べ、どれほど価値が有るものなのか。

いや隣の芝生がどれほど美しくても「うちはうち、余所余所」という全国区で通用する常套句がある。気にする必要などない。

だけど足下の「うちの芝生」を見たとき、そこは芝生どころかペンペン草の一つも生えない荒野しかなかった。

自分自分だけの本物の芝生を持ち、手入れし育ててきたと信じていたのにそこには何も無かった。

何の足跡も残さず、生命の息吹すら感じさせない荒野には何も無く、恐らく今後も何も生まれない。

そしてそんな荒野を目指す少女達などいるはずもなかった。

二次元は甘い夢も、希望も見せてくれる。二次元は決して裏切らない。裏切るのはいつも人間だ。

ただ消費するだけで、後に何も残せなかった自分こそが裏切っていた。

風俗はお前の幼稚園じゃない

童貞風俗いけの流れはいわゆる様式美である

セックスしたい」って言ってる人に風俗行けと言うのは「空を飛びたい」と言ってる人に飛行機乗れと言うほど夢のないアドバイスだって昔誰かが言ってた。

(これの笑いどころは「性交渉したいと言うのは空を飛ぶことに喩えられる(ほど非現実的である)」という部分だと思う)

様式美言及するのも野暮かもしれないが、その指し示すところは「拗らせすぎ」ということなのだろう。

では童貞であることは一体何を拗らせているのだろうか。異性に対する自信の無さと同性に対する劣等感を拗らせるので、それを解消すれば異性に対して自信を持ち、同性に対して優越感を抱けるのだろうか。人の心理とはそれほど単純な加減算だったのだろうか。

普通」の人にはきっと、それができる。居心地の悪さを覚えつつ俎に載せられた鮪の如く天井を見上げ、シミの数でも数えてるうちに終えるのだろう。そして、何も分かってないのに何か分かったようなつもりで「思ったほどじゃなかった」みたいなことを書いて失笑を買い、昨日まで嘆いていた自分を棚に上げて「さっさと風俗いってこい」としたり顔で誰かに語るのだ。

お前は童貞卒業したんじゃなくて中退しただけだぞ、中退者が何を偉そうにと言ったところで永遠留年生に発言権などありはしない。

そんな、虚飾のために性交要求するクソ童貞相手をさせられる嬢はどんな気持ちなのだろう。

相手は血の通った人間だ、画面の向こうのヒロインじゃない。思考をすれば感情もある。

恋人関係ですら共同作業、乃至は高度な精神・肉体上のコミュケーションという行為を、自分のような通常のコミュニケーションすら儘ならない、もはや存在害悪しか言いようのない爆弾を掴まされる相手がいたとすればあまりに不幸で不憫だ。

プロとして対価を得る以上、表情にはおくびにも出さず相応の役務提供というビジネスに徹してくれるのかもしれないが、その前にまず自分脆弱精神が持ちそうにない。

万一、上手くいったとしても自分はきっと、嫌な思いをさせたのではないだろうか、今日のことを一生の汚点と感じたのではないだろうかと疑うことをやめられまい。

それは全力で仕事をこなそうとする相手に対する最大の侮辱に他ならない。客になる資格すら持ち合わせていなかった。

思えば自分は、中島敦山月記が好きだった。李徴が虎に変じた理由を語る言葉は諳んじられるほどに読んだことを覚えている。

己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。(略) 己の場合、この尊大羞恥心猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。

向上する努力も「普通」になる努力もしなかった結果、至ったのがこの内心に相応しい「魔法使い」だ。

童貞は結果に過ぎない。醜く拗らせたのはこの内心だ。

先の話にしても、本心相手を気遣ってるのではなく自分が詰られることへの恐怖でしかない。

そもそも最低限度の礼儀としてまず病院行け(頭じゃなくて下半身の)。

世間の「普通」とわたしの「普通」はきっと違う

ただ、「普通」を装っていたかった。

「『周りと上手く話せない』って言うと『普通に喋れば』『普通でいいんだよ』って返してくるひといるじゃないですか。あれ、不愉快ですよね。大嫌いです。」

「『喋る』って声を発する行為ですから、生まれつき備わっていて『できて当たり前』と思ってる人がいるんですよ。音を出すのと、考えてものを喋るのでは、天と地ほどの差があるのですが。」

「そもそも『普通』ってなんですか。私とあなたでは『普通』の基準が違うと理解してほしいわけです。大多数の人には備わっているのかもしれませんが、私には最初からそれが無いんです。」

「生まれつき肺が悪くて苦しんでる相手に『普通に息すればいいんだよ』と言ってるようなものです。『呼吸する器官の不全』は苦労が認められて『考えて喋る器官の不全』は、なぜ苦労が認められないのか不思議です」

社会には有形無形の「普通」が溢れている。

自分はせめて人に迷惑不快をかけない程度に隠れオタでいることで無難な「普通」を装おうとしたつもりだったが、ふと周りを見回せば、社会で言う「普通」は自分がそれまで歯牙にも掛けないレベルのことを要求していた。

逆に言うと、それほどまでに周りを見ていなかった。

三次元比較できるのは知っている人だけの特権

自分にとって現実女性とは、きっと"顔の無い月"だった。顔を認識できないまではないにしても、夜空に浮かぶ月程度にしか思っていなかった。遠く離れた地上から見上げるだけで、手を伸ばそうなど思うはずが無い。

知らないことに対しては調べ、学ぶしか無いが、それらは得てして実態乖離する。

その乖離とはどれ程のものなのか、個人差はあるのか、何も知らなければ何もわからない。

わらないことは恐怖だが、わかろうとする努力は酷く面倒臭い

また誰かを分かろうとすることは自分を知られるということでもある。これもまた恐怖でしかない。

そんな一切の恐怖から逃げていた自分が、現実に於ける喪失感に耐えられるとは到底思えないしこれから乗り越えられる事も無いだろう。

しかしそれでもきっと、対人関係経験値は凡そ人類全般に対して有効ではないのか。

「あの時ああしたらよかった」「次はこうしよう」という知見を得られるのではないのか。

セーブデータの使い回しは一作品の中でしかできないが、経験値はきっといつか何かで使い回せるのではないのか。

自分には縁のなかった、そんな経験値を得られた人を堪らなく羨んでしまうのは何故なのか。

きっと自分は、どんな形であれ本物と呼べる何かを欲していたのだと思う。だけどそんなラノベ主人公みたいなことは高校生の内にすませていたんだよ、普通人達は。

結婚は正しいのか/理想を抱いて溺死しろ

これは何故そう読み取られたのか不思議しかなかった。

しろ結婚理想を抱いていたのはその前段で、それこそエロゲEDの如くハッピーエンドでゴール的なもので、それは自分とは全く異なるステージ人達がするものだと認識していた。

しかしそれはおかしい。幾ら何でも、誰もが恋愛結婚であるはずが無い。

なんせ複数相談所がビジネスとして成立しているのだ。

中にはそれを切っ掛けとして大なり小なりの恋愛感情を抱く人もいるのだろうが、様々な制約から互いに妥協と打算の果てに判を押す人も多いのではないのか。

結婚生活とは日常のことだ。自分私的領域を見せ、さら自分相手私的領域を見せられる覚悟が求められる。

それは一体どれ程のストレスなのだろう。好きであればまだ良いが、大して好きでもないが他に候補もいないので打算と妥協を重ね渋々了承したならそれこそ不満は募る。

就職活動ですら、内定が出ても「まだ他にもっと良いところが」などと無い物ねだりを重ねるというのに。

そんな数多のストレスと不満を抱え込みながらも、生活のため、世間体のため、ATMのためと互いに折り合いを付けた闘技場が家庭なのだろう。一体これのどこに幸せがあるというのか。

自分がたった一つだけ羨むとしたらそれは、妥協と打算を幾層にも重ねても尚、赤の他人から身体を許されるという資格を得ていることだろう。

「結局やりたいだけじゃねーか風俗いけ」と要約されるとループになるのでより端的に言うと、恐らくBMI値でも年収でも自分の方が優位だろうと思っていた人が、よくよく考えてみたら人間的・社会的には遙か上のステージに立っていてその人生を謳歌していたことに気付いた時、煩悶と嫉妬を覚えてしまうのはそれほど不思議なことだろうか。何より風俗じゃあり得ない「子作り許可証」付きだ。

蒼色輪廻という作品で、童貞主人公ヒロイン罵倒される屈指の名シーンがある。

「キミがセックスをするためには、犯罪を犯すか金を払うかしなければならないんだ!現実を見るんだ、現実を!」

大丈夫、何事もできないのは自分が一番よく知っている。

オフ会でもやってろ

Twitterでよく話す人とでも恐らくリアルで会えばきっと何も言えないし、何より現実自分ネットワーク上の自分リンクされる苦痛に耐えられないと思う。

同じ趣味であれば共通話題もあるし居場所もできる、と思うことができるのはオタク特有連帯感に上手く馴染むことができる人だ。同じオタク同士ですら、自分は馴染むことができず苦痛を覚えてしまう。

大仰な言い方をすれば、自分他人と"空気"を共有することができない欠陥を抱えているのだろう。

「この言動は変じゃないだろうか」「今どう思われているだろうか」、"空気の読める"常人は気にもしないことなのだろう。

外に拠り所を求めるな

内側に何も無かったことに気付いてしまったとき咄嗟に外側を探してしまうのは一種生理現象ではなかろうか。

外にも内にも何も無く、新たに内を埋めることができたとしてもそれが失われるときは何れ必ず来てしまう。

この期に及んでも自動的ではなく他動的なのが人間のクズと言われればその通りだが、いつか自ら埋めることすらできなくなってしまうのではないか。

自分の芯とは何だったんだろう。何か一つでも、人より優れ、勝るものが有っただろうか。

「誰にだって一つぐらい取り柄がある」、それは「空気だって窒素酸素アルゴン以外の構成物がある」と言っているに等しい。あるかないかもわからない程度のものが、芯となり得るはずもない。

もし仮にネコを飼ったところで、人間相手もできない格下を気まぐれなネコが主と認めてくれるのだろうか。

いやそれ以前に、世話をするというコミュニケーションが取れるのか。

半端物だこっちくんな

半端物としてどうせ双方から嫌われるなら、エルフ人間の双方から忌避されるハーフエルフ美少女に生まれキモオタサークルクラッシュしまくって承認欲求を満たす人生を送りたかった。

抱き枕

なぜこの文脈抱き枕なのか不思議でならないが、在りし日のアルケミストのふにふに抱き枕の頃から購入はしていた。

が、その大きさゆえに常用することはなく、押し入れの邪魔者となっていたのでめでたく処分された。

ショップ特典抱き枕カバーも含めれば数百枚以上はあったと思うが、やはり売却処分された。

ところで抱き枕の温もりとは、自分の体温のことなのでは。

創作やっとけ

エロゲレビューblogTwitterに書いたりしてきたがそんなことを言われたのは初めてだ。

「模写500枚やればそれなりに上手くなる」みたいなスレ年末に見て「せめて自給自足してみよう」と年明けから1日1枚ペースで描こうとしたら1/3から始まって1/6で止まっていたことを思いだした。

継続は力なり、しか継続することにも多大な力を要求される。

これから努力しろ

努力とは一体何だろう。

努力とは結果よりもその過程が実は本質であり、適切なコーチいるからこそ努力理想的な結果に結びつくのではないか。

努力をしてこなかった自分が言うのは烏滸がましいにも程があるが。

別に抜きゲーやってないわけじゃないよ

しろシナリオゲー寄り、特定ライター特定ブランド買いな方。

抜きゲはliquidのとか、かぐやだと瀬里奈とか。

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