「黄金伝説」展
2016年4月1日〜5月29日
愛知県美術館
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新貧乏物語第3部・非正規スパイラル (1)漂流
◆37歳、溶けない氷河期三月の夜の街は、まだビル風が冷たかった。原田純一さん(37)=仮名=は震える指先で、スマホの検索画面に打ち込んだ。「ネットカフェ難民」「支援」…。 手持ちの金は五千円を切っていた。財産といえば、数日分の着替えや歯ブラシを詰めたバッグ一つ。一泊千五百円を払って名古屋市内のネットカフェを泊まり歩く生活が、もう二カ月になろうとしていた。 三重県にある高校を卒業し、一浪して立命館大経営学部に合格。就職活動をしたのは二〇〇一年のことだ。前の年には大卒者の求人倍率が〇・九九倍(リクルートワークス研究所調べ)に落ち込み、学生は就職氷河期にのみ込まれていた。原田さんも徹夜で志望動機を書き、製造、金融、外食など、応募書類だけで百社に送った。 「内定出たか?」「いや」。同級生と顔を合わせるたびに交わした言葉。そして、「あと十年早く生まれたかったな」。求人倍率がピークだった一九九一年は二・八六倍。複数の内定をもらった学生自身が入社先を選べたバブル期の就活を、仲間の誰もがうらやんでいた。 原田さんが手にした内定は、関西でファミレスを展開する上場企業、ただ一社だった。「働けるだけましだ」と入社したが、待っていたのは月百時間ものサービス残業。家賃を引いた初任給の手取り十四万円は、二年目も、三年目になっても上がらない。 忙しさと疲労で家に帰ることさえつらくなり、店に止めた車で眠って出勤する日が増えた。その車も、食材の配送にマイカーを使うことを入社後に知り、八十万円を出して自腹で買った中古車だ。 そして六年目。ささいなミスで上司に激しくののしられ、自分の中で何かがぷつんと切れた。二十九歳で退職を決意したとき、三十人いた同期は三人に減っていた。 「人生を立て直す」。そう誓って踏み出した一歩が、故郷の三重県にあるホンダの期間工だった。二〇〇八年の春。非正規雇用でも寮で暮らしてお金をため、正社員の働き口を探そうと思っていた。 ところが、その年の秋にリーマン・ショックが起きた。年が明け、同僚たちと集められた会議室で、社員に「次の契約更新はできません」と告げられた。失業給付でしばらくしのぎ、次は愛知県でトヨタ車体の期間工になった。約三年で契約が満了すると、今度は豊田自動織機の期間工として働き始めた。 ネットカフェ生活に陥ったのは今年一月からだ。三社目の期間工も三年の満期が近づき、次の働き口を探すための書類を準備していて、運転免許証が失効していることに気がついた。就活に必要な身分証明書を失い、期間工の契約が切れて退寮になった途端、住む場所も失った。 最後に振り込まれた給料は約二十万円だったが、滞納していた住民税が引かれ、手元に来たのは十万円ほどだ。 「結局、自分が甘かったのでしょうか」。工場には正社員への登用試験があった。でも、同僚から「倍率、数十倍らしい」と聞いて、尻込みした。ファミレスの会社を辞めたころにもめた家族とは、絶縁状態が続いている。 やりきれなかった瞬間もある。期間工時代に再会した大学の同級生たちは正社員として働き続けていた。「子どもは幼稚園」「がんばって持ち家を買おうかな」−。そう話す姿にうつむいた。「いったん非正規に落ち込むと、これほど人生が違うのか」 ビル風に吹かれた三月の夜、原田さんはスマホの検索で困窮者支援団体を見つけ、自治体の生活支援を受けながら職探しができる自立支援施設に入所した。 「どうにかここで踏ん張らないと。マイナスからのスタートだけど」。たった一つのバッグには、面接用のスーツも入っている。 ◆「やむを得ず非正規」18% 正社員登用厳しく労働者全体のうち契約や派遣社員など非正規で働く人の割合は、二〇一四年に戦後で最も高い37・4%に達した。一九九〇年代のバブル崩壊後の就職氷河期や〇八年のリーマン・ショックによる人員削減などが響き、非正規から正社員への登用も厳しい状況が続いている。 大卒の求人倍率が一・〇〇を割った〇〇年の新卒者で、民間企業への就職を希望した学生は約四十一万二千三百人。これに対し約四十万七千八百人の求人があったが、少ない内定の奪い合いで職種や待遇などの条件が合わず、非正規の道を選んだ新卒者が多かったとみられている。 非正規で働きながら就活に再チャレンジする若者も多かったが、求人は飛躍的には改善されていない。総務省の調査では、一四年の非正規労働者数は全国で約千九百六十万人。うち、やむを得ず非正規で働いている「不本意非正規」は、五人に一人の割合に近い18・1%を占めた。 これとは別に厚生労働省が従業員五人以上の事業所などを対象に実施した一四年の調査によると、労働人口に占める非正規の割合が一九八七年の調査開始後、初めて四割を突破した。 事態を重視した厚労省は今年一月、「正社員転換・待遇改善実現プラン」を策定し、本年度からの五カ年計画でスタートさせた。「雇用の質を高め、将来に希望を持って働いてもらう」とし、非正規に占める不本意の割合を10%以下に抑える目標を掲げている。 ただ、識者の中には実効性を疑問視する声もある。プランには、非正規を正社員に登用した企業への「キャリアアップ助成金」の周知などが盛り込まれたが、龍谷大法学部の脇田滋教授(労働法)は「根本的な解決策にはなっていない。正社員化を促すための具体的な制度づくりを進めるべきだ」と国に求める。 一橋大経済研究所の小塩隆士教授(経済制度)は「雇用環境が上向いている今をチャンスと捉え、ゆがみをなくそうとする姿勢は評価できる」としつつ、「従来の取り組みから抜け出していない」と話した。 厚労省は一八年度にプランの達成状況を確認し、目標の見直しなどを検討する方針。各都道府県の労働局も地域別の改善計画をまとめており、各局のホームページで閲覧できる。 PR情報
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