熊本で震度7を観測した14日の地震から1週間がたった。避難者は今も9万人にのぼる。

 「収まったように見えても、活発な状況は続いている」と、気象庁は警戒を呼びかける。いつまで、避難生活が続くのか。被災者の不安は切実だろう。

 予断は許さないが、過去の震災経験を振り返れば、避難生活の推移と教訓を学ぶことができる。起こりうる展開を先取りして長期化に備えたい。

 避難所生活はどのくらい続いたのか。04年の新潟県中越地震ではピーク時に10万人が避難した。2週間で3分の1になり、2カ月でゼロになった。東日本大震災で最初に仮設住宅ができたのは発生から3週間後だ。

 熊本県は20日に作業チームを発足させ、住まいの確保に乗り出した。住環境の整備は何より大切であり、急いでほしい。

 避難所生活が2週目に入る頃から、被災者の要望も変わる。食事が同じものの繰り返しでは体調が崩れ、衛生状態の悪化から感染症の恐れも高まる。ストレスがたまり、被災者同士のトラブルも起きやすくなる。

 こうした問題で過去の例が教える最善策は、被災者自らが結束し立ち上がることだ。緩やかな自治組織をつくり、避難所の運営にあたる。阪神大震災では発生後2週間までに半数の指定避難先で「自治会」ができた。

 ボランティアの受け入れなどをする総務係、役所からの連絡を伝える情報係、在庫を管理する物資係……。輪番を組んで役割を決め、会合を重ねることで一体感も生まれる。

 東日本大震災では、避難所運営に積極的にかかわる人物がいるところほど全体がうまく機能し、仮設住宅に移った後もスムーズに進むケースが見られた。

 今回、たとえば熊本県西原村では、地元の消防団がこうした機能を果たしているようだ。学校の先生や住民会長、元公務員など、多くの人材が力を合わせ、行政任せでない、きめ細かな生活改善に努めたい。

 ひとまとめに「避難所」と言っても、熊本市の中心部と中山間地では、年齢層や直面する課題も異なるだろう。地域の実情にあった形が大事だ。

 行政はこれまで通り被災者支援を続けつつ、住民に任せられることは任せる方向を強め、その分、物資の配給や医療体制など広域を見渡した総合調整能力を高めることが求められる。

 現地ではボランティアの受け入れ態勢も整いつつある。被災者らの自助努力を支え励ますように、外からの支援活動が有効に働くよう工夫を望みたい。