「爆笑問題のススメ」のリアクション(1)
先月オンエアされた「爆笑問題のススメ;プチクリのススメ」について、いろんな人が語ってくれてますよ。
まずトメコのgo for サイコロジ→で
洋服が好き,だから自分の服を楽しく真剣にコーディネートする。その時点でその人は自分自身の「スタイリスト」。彼氏のスタイリストにも,子どもができたら子どものスタイリストにも,なる。たくさんの人が認めはじめたら,エレクトーンの発表会で,お母様たちの代表として洋服合わせをする係になれるかもしれない。もっとうまくいけば,プロになれるかもしれない。
アクセサリーがすき,だからビーズを買い集めて,色んなアクセサリーを作る。そのうちだれかに「それ素敵!!」って言われるかもしれないし,もしかしたら「材料費払うから作って!!」って言われるかもしれない。
お料理だって,歌だって,こうやって文章を書くことだって,写真を撮ることだって,「プチクリエイト」。才能の始まりなんだ。
トメコはそれを「多重役割」とか,「生活領域の分散」とか心理学っぽく呼ぶけれども,さすが岡田さん,うまい言葉を考えてくれますね~。
心理学用語は思いつかなかったなぁ。さすが専門家です。
「プチ・スタイリスト」「プチ・アクセサリー作家」に関してはまさにそのとおり。
「材料費払うから」とまで言われたら、プチクリとして充分一人前でしょう。
続いてはprotectionでの発言、
私もお仕事何をされてるんですか?と聞かれると困る事があります。
今は一応、お洋服や帽子を作ったりして生活してる・・・。
でも、これだけで一人で食べていける訳ではないし。
これからはプチクリエーターです。って言おうかな?
言って下さい!言っていいです!
すっごく楽しそうにプチクリされている様子が日記からもうかがえます。
「正しいプチクリ」だなぁ・・・
サッカーのある幸せでは、ブログ作家についての発言がありました。
本物のクリエイターではなくて、プチ・クリエイターについて、「爆笑問題のススメ」で取り上げてました。何だか、Blogを書いている身にとっては、納得する話のような、痛いところを突かれたような。
「痛いところ」というのはいい表現ですよねぇ。たしかにブログ書く、という行為は自分でも説明できない、なんだか心の奥底にある「表現したい」「吐き出したい」という欲求に衝かれてやってる気がします。
たとえば僕がこのブログをはじめた理由だって、同じです。もちろん「新刊の宣伝になればいいな」と思うのは事実ですけど、絶対にそれだけじゃない「なにか」があるんですよ。その「なにか」がない限り、誰もブログなんかやらないと思うなぁ。
次はメーヂャでの以下の発言が気になりました。
このまえ、別番組に「いつまでたっても芽が出ない妻と子を抱えるお笑いアマチュア」に対して、ダウンタウンの才能を目にしてコンビを解散した、というエピソードを引いて島田紳助が、「これだけやって芽が出ないのは、お笑いは無理。諦めろ」と切り捨てたのとは、対照的。島田紳助の意見は、むしろ社会的な常識を代表しているが、古い常識とも言える。岡田の言うように、「プチクリはアルバイトで生きていく」のだ。世代の違いで、対蹠的な立場が浮き彫りになっている気がする。
う~ん、僕の中では対称的ではないんですよね。つまり紳助さんが言ってるのは「お笑い芸人としてプロで喰っていくのに足りる表現力がない。だからプロ芸人はあきらめろ」ということだと思います。でも、そう言われた彼らだって「お笑いを好きだ」という気持ちまで捨てさせることはできない。「別の表現方法を見つけたほうがいい」とアドバイスはできるし、「プロになるだけが人生じゃない」ということもできるけど、「気持ちを捨てろ」とは言えないし、言うべきじゃない。
少なくとも僕はそう考えて「プチクリ」を書きました。きっと紳助さんは過酷なプロ芸人の世界をいっぱい見ているので、あえてきつい言い方で「お笑い芸人で喰っていきたい!」と思ってる後輩の目を覚まそうとしたんだろうなぁ。
ぐりぐりぐりぐりぐriでは自分の才能マップを書いた上での評価が面白かった。
「分かること」
メール、絵、RPG、建築、本、パソコン、お笑い、ジャズ、邦楽の歌詞、洋酒、野菜、肉、文芸系の実技、面白いこと、疲れないこと
「分からないこと」
会話、旅行、幸福、遊び、勉強、運動、恋愛、洋楽、ドラマ、感動、映画、お金、英語、魅力的になること、米、パン、麺類、魚、日本の酒、実技、歴史、楽しいこと、疲れること
こんなところかな。こうして見ると、面白いことと疲れないことはわかることが多いんだけど、楽しいことと疲れることってのはよくわからないのが全体的に多いな~。他は趣味嗜好で分かれてるかな。
てか分からないことが多すぎるなマジで。苦手とは違うんだよな、あくまでも「分からない」ことなんだけど、分からないって・・・才能がないってことだからなんか・・・会話も遊びも勉強も恋も才能がナイッテコトノカァー!!!!うおぉいいい!!!あぁ、でも実際その通りだしなorz
あぁ、いますごいへこんだ
これから一生それらを楽しめることはないってことジャマイカ('A`)・・・
え?なんでへこむんだろう?「会話も遊びも勉強も恋も才能がない」ということは「好きじゃない」ということでしょう?だったら「一生それらを楽しめない」ではなくて「一生そんな好きでもないことにわずらわせず嬉しい」ではないの?違うのかな?
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コメント
はじめまして。
岡田斗司夫さんのことを書いて、まさかご本人からTBを頂くとは思ってもみなかったので、
びっくりです(笑)。
私、吉祥寺在住で、岡田さんのお仕事場(?)の前もよく散歩のときに通りがかります。
記事の中で「対照的」として取り上げたのは、「Kissイヤ」という番組です。
奥さんが「お笑いを取るか、家庭を取るか、どっちかはっきりして」と決断を迫り、彼はお笑い芸人の道をきっぱりあきらめました(もともと風漫才だったので、きっぱりお笑いからいっさい手を引いてしまったと思います)。でも、岡田さんの場合は「プロとしての才能がなくても、自分の好きなことを追究するのが才能だ」とおっしゃっているように思えたのです(誤解かもしれませんが)。
プチクリから考えることは、二つあります。
①生計の為の仕事をしながら才能を追究できることは素晴らしいことだとは思いますが、(私もプチクリのようなものですし)、
今後、日本が向かう「下流社会」時代でも、このプチクリの可能性を追求できるのだろうか、ということ。また、生計を立てる仕事は一生続けられる保証はどこにもない。40になっても、50になってもアルバイト+プチクリ、でやっていけるのか。お笑い芸人は、「このまま続けると将来設計ができない」と妻にせまられたのだと思います。
②プロでなくても、自分を誇れるのか、ということ。自分の趣味を「才能」として追究できるのは、たしかに「楽しい」。だけど、人から「あなた何している人?」と聞かれ、自分の表現が「プロでない」ことを引け目に感じずにすむものだろうか?ということです。
以上、長々と失礼しました。
(ご迷惑でしたら削除してくださいね。)
投稿: yuta | 2005年11月21日 (月) 20時27分
毎日の楽しみが増えました!冨樫状態になってもいいので長く続けて欲しい。
投稿: ショウヤ | 2005年11月21日 (月) 22時06分
はじめまして、protectionのアイと申します。
TBありがとうございました!漫画夜話でも拝見している岡田さん!ビックリで嬉しかったです!!
私の周りにはプチクリエーターさんがたくさんいます。
が、”手作り作家さん”などと呼ばれています。
なんだかしっくりこないと思ってました。
プチクリエーター!!これです!
これからはどんどんプチクリエーター使っていきます!
投稿: ai | 2005年11月22日 (火) 00時03分
>yutaさん
>お笑い芸人は、「このまま続けると将来設計ができない」と妻にせまられたのだと思います。
バイトしながらお笑い芸人を続ければいいだけでは?「生活のために表現を捨てたら、なんのために生きてるかわかんないじゃないですか。少なくとも僕はそう思います。だから「50になってもアルバイト+プチクリ」で全然OKです。
>プロでなくても、自分を誇れるのか、ということ
プロでなくても誇れるし、プロだからといって誇れるとは限りません。お料理上手の主婦は、ファミレスのコックに比べて自分を誇ってはいけないのでしょうか?
>ショウヤさん
「富樫状態」(笑)
僕はいまの「HUNTER×HUNTER」連載状況に満足していますよ。
>aiさん
「プチクリ」って便利な言葉だと思います。
どんどん使ってくださいね。
投稿: 岡田斗司夫 | 2005年11月22日 (火) 01時15分
ぶしつけな意見でしたのに、丁寧にコメント返していただいて、ありがとうございました。
岡田さんの考えていらっしゃることが、よくわかったように思いました。
「プチクリ」の刊行、楽しみにしています。(実は私も、マンガ夜話のファンです。)
投稿: yuta | 2005年11月22日 (火) 02時15分
爆笑問題のススメを観て興味が沸き買っちゃいました。ホントに面白かったです。実は、結構『プチクリ』じゃん!と才能マップや人生を振り返って思いました。
投稿: Caftaric Acid | 2006年1月29日 (日) 19時03分