努力したい人、努力しない人、努力出来ない人
個人的見解からするに、この三者の中では努力したい人が最も不幸せになる確率が高い。
努力したいと思うのは、現状に満足していないからである。
不平だらけの人生だからこそ、変化させたいと望む。
そのため努力をしようとするが、なんやかんやで頑張ることを放棄しダラダラしてしまう。
当然だが、環境は今までと同じく悪い。
それどころか、努力が出来なかった自分に失望するから、気分的には以前より最低だ。
努力したいのに、努力しない。
環境は悪化し続ける。
すると酷い無気力感に苛まれてしまう。
自分の人生をコントロール出来ない、これほどの不幸はない。
このように、努力したい人の夢や希望は砕け、不幸せが固定してしまうのだ。
努力しないことによる幸せも存在する
そして残りの二者、努力しない人と努力出来ない人は、努力を必要としない素晴らしい人生を送っている。
こうした人々の表情は豊かだ。
安いスパゲティ屋さんでも、嬉しそうに麺を啜ってる。
尊敬すべき人々である。
ちなみに、こうしたお店に努力したい人を投入すると、一気に空気が悪くなってしまう。
「低俗な輩だ。皿が汚れてるじゃねぇか。汚いヌルいガサい、なんだねこの店は! おれに金がありゃ……こんな民度の低い、人間ならざる者が経営している穀潰しの店は打ち砕いてやるのに……。努力してのし上がるから見てろ!」
このように、努力したい人は敵愾心たっぷりであり、いつ危害を加えてくるか分からない危うい存在なのだ。
であるから努力したい人を見つけたら、
「君には無理だ」「仮に努力してどうなる? 思うほど実現出来ることは少ないぞ?」「君より優秀な人間が努力した末に貧乏になった」「お前がどんなに頑張って成果を上げようと、俺が人生を賭けてお前を不幸に陥れるから無駄だぞ」
苦々しい顔で、真っ暗な未来を想像させてあげよう。
努力したいと思った時点で、大概の人間は痛い目を見る
デブはだいたいデブのままだし、リバウンドにより、デブはデブとして更なる飛躍を遂げるだけだ。
本気で努力する人間は、意識的に努力するよりも前に頑張ることが出来ている。
努力とは恵まれた者の特権であり、その他の者が努力しようなんてのは甘い。
どうせ辞めてしまう努力は最初からしないでおこう
それよりも努力出来る者に寄生するべきだ。
誰が誰に寄生することはイケマセン、などといった法律はない。
今日から僕たちは、ハリガネムシだ。