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キャリアの原点

Why Japanese business!? どうして僕がニッポンに テラスカイ グローバルアライアンス部長 ジェイソン・D・ダニエルソン氏

 

2016/4/21

「厚切りジェイソン」ことジェイソン・D・ダニエルソン氏

 お笑いタレントの「厚切りジェイソン」としても活躍するジェイソン・D・ダニエルソン氏。実は2015年春に株式公開した日本のクラウドサービス企業、テラスカイのグローバルアライアンス部長でもある。IT(情報技術)長者に憧れたアメリカ人青年はいかにして人生に目覚め、「2つの顔」を持つようになったのか。

 お笑いタレントの「厚切りジェイソン」としても活躍するジェイソン・D・ダニエルソン氏。実は2015年春に株式公開した日本のクラウドサービス企業、テラスカイのグローバルアライアンス部長でもある。IT(情報技術)長者に憧れたアメリカ人青年はいかにして人生に目覚め、「2つの顔」を持つようになったのか。

 僕はある時期まで、「出世する」ことばかり考えていました。お金も欲しかった。でも、途中から、お金とか肩書とかどうでもよくなりました。

 どうしてか。

 たぶん、いろいろなことを早く達成しすぎたんですよ。

 長年、頑張って、頑張って、必死になってやっと目標を達成できたのではなく、将来はこうなりたいと思う目標に向かって猛スピードで進んでいたら、あっという間に目標をクリアしちゃった。だから、なんだこんなもんか、と思いました。これが人生なのか、と。

 現在へと通じる原点がいつだったのかと言えば、その時。一度きりの人生を楽しもう、もっと大きなことを考えよう、と軌道修正しました。

■送り迎えの車内で宿題を終わらせる

 1986年、僕はアメリカのミシガン州で生まれました。子どもの頃から、性格はけっこう頑固だったらしい。両親に「これをやりなさい」「あれをやりなさい」と言われたら、すぐに反論するような子どもでした。

 「なぜ?」に納得できなかったら絶対にやりたくなかったし、ものごとを自分の意思で決めたいという気持ちは、小さい頃から強かったと思います。

 成績はわりとトップの方でした。けれど、時間はぜんぜんかけていません。自宅から小学校までは両親が車で送り迎えしてくれていたんですけれど、その間の15分間くらいで宿題をパーッと終わらせていました。

 それでも先生が「すごいね、ちゃんとできているね」って褒めるものだから、両親がある時、抗議したんです。

 「うちの子を褒めるのは、やめてください! 先生がすぐそうやって褒めるから、それ以上、やろうとしなくなるんです」

 その通りだな、と思いましたね。

 家でまったく勉強しないのになんでもできちゃう僕を見て、両親はもっとやれるはずだと思ったんでしょう。中学3年生の時に校長先生と相談して、「高校の内容をやらせてみようか」となりました。

 制度があったわけじゃないんです。飛び級したのは当時、学校でも僕1人だけ。

 そのまま同級生より1年早く、17歳でミシガン州立大学に進学しました。高校に通いながら大学の単位を取れるシステムはわりと普及していましたから、僕のような人間は珍しくなかった。アメリカの場合、高校卒業後、数年間働いて学費をためてから大学に入るケースも、珍しくないんです。学費がバカ高いからね。

 僕は両親に言われて、年間10万円だけ学費を負担しました。いくらかでも自分で払えば、その分、真面目に勉強するだろうという考え方だったと思います。

■大学でコンピューターサイエンスを学ぶ

 専攻したのはコンピューターサイエンス。アメリカでは当時、「ドットコムバブル」に乗り、一夜にして億万長者になる人たちが出てきていました。当時はまだビル・ゲイツくらいしか有名じゃなかったけれど、「社長になりたい」「お金が欲しい」というのは、高校生ぐらいの時から、漠然と思っていました。

 「類は友を呼ぶ」じゃないけれど、周りも似たような友だちは多かったね。その分、自分と違う考え方には、あまり接してこなかったかもしれない。

 IT系に進んだのは、父の影響もあったでしょう。

 父はもともとエンジニアです。車の窓を自動で上げ下げする「パワーウインドー」のプログラミングなどを手がけていました。だけど、僕が子どもの頃にリストラされて、たった一人で起業した。自宅の地下にいろんな機械やら、パソコンやら並べて、電気工学関係のコンサルティングをしていました。

 その頃、僕は父と一緒にカメラショーと呼ばれる展示会に出かけていき、必要な機材を買ったりもしていました。移動中の車内ではよく、ラジオのお笑い番組を聴いていました。それが、日本の漫才みたいに「ボケ」と「ツッコミ」があるお笑いだったんです。アメリカにも昔、あったんですよ、そういうスタイルのお笑いが。

 その時はまさか、自分が日本でコメディアンになるとは思っていませんでしたけれど。

■GEのリーダーシップ・トレーニングを受ける

 大学を卒業して最初に入ったのは米ゼネラル・エレクトリック(GE)グループです。GEには有名なリーダーシップ・トレーニングのプログラムがあり、そのプログラム生に合格すると、働きながら大学院の修士課程に通えて、学費も会社が負担してくれる。お給料ももらえるから、すごくもうかる。こんなに魅力的なことはない、と思いました。

 同じ年にプログラム生として入った同期が10人くらいいました。「誰が一番早く出世するか」の競争は、激しかったです。1年ごとに異なる実務課題が与えられ、それをローテーションでクリアしていく。2年目には、早くもマネジャーに昇格した人間もいました。

 プログラムが終わる年に、僕はイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の修士課程を修了しましたが、結局、それと同時に会社を辞めることになりました。

 なぜって? 日本語を使わせてくれなかったからです。

 日本語は大学時代、必修外国語で勉強しました。僕が通っていたミシガン州立大学は、たまたまアジアの言語に強くて、中国語か日本語のどちらを選ぶかとなった時、ITで栄えている国は日本だろうと思って、日本語を選んだ。

 アメリカにいる間、好きなことは何でも日本語でやりました。本を読むのも、ゲームをするのも、テレビを見るのも全部。インターネットで検索するにも、まずは日本語で調べていました。

 修士課程で学びながら、日本語検定1級も取りました。他の人たちと差異化するためにそうやって努力していたわけですが、会社はぜんぜん、それを使わせてくれようとはしなかった。

 「日本には現地法人があるから、日本のことは現地採用の人たちに任せればいい」と言われたんです。「だったら、日本語を生かせるところに行きます」と思い、僕は会社を辞めました。

 ジェイソン・D・ダニエルソン 1986年、米ミシガン州生まれ。飛び級でミシガン州立大学へ入学し、コンピューターサイエンスを学ぶ。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校へ進み、エンジニアリング学部コンピューターサイエンス学科修士課程修了。米国企業の日本法人支社長等を経て、2012年、テラスカイ入社。14年から「厚切りジェイソン」の名でお笑いタレントとしても活躍。著書に「日本のみなさんにお伝えしたい48のWhy」(ぴあ書籍)がある。

(ライター 曲沼美恵)

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