益城町ルポ 壊れた街、募る不安 「前震」から1週間

倒壊した家屋で、荷物の整理に追われる人たち=20日午後4時35分、熊本県益城町
倒壊した家屋で、荷物の整理に追われる人たち=20日午後4時35分、熊本県益城町
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地震後、地割れ跡からわき出る水を使って、食器を洗う女性=20日午後3時24分、熊本県益城町
地震後、地割れ跡からわき出る水を使って、食器を洗う女性=20日午後3時24分、熊本県益城町
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 熊本地震の「前震」から21日で1週間を迎える熊本県益城町。熊本市の東に隣接するのどかなベッドタウンは、震度7の激震に2度も襲われ、押しつぶされた民家や切り裂かれた道路が至る所に残されたままだ。20人の命が奪われ、半数の世帯が被災した最大の震源地。余震におびえる住民には、家を追われた喪失感、避難生活の疲れ、今後への不安が見える。未曽有の揺れに見舞われた現地の今を歩いた。 (熊本地震取材班)

 20日、町の朝は早かった。役場の給水車に並ぶ人、支援物資を求める人、家財道具を片付ける人。近くで重機がごう音を響かせ、倒れた家を取り壊していく。土ぼこりが舞い、木材のにおいが漂う。

 下層部がつぶれて何階建てか分からないビル、めくれ上がった道路、原形をとどめない家々が激震を物語る。周囲を走るのは陸上自衛隊の車両。「まるで戦場だ」。驚きが湧いた。

 1階がつぶれた家で片付けをしていた親子に声を掛けた。山崎和枝さん(84)となおみさん(54)。「ドーンという音で突き上げられ、ガラスが粉々になった」と振り返るなおみさんは足を10センチも切った。和枝さんは「80年生きてきて初めて。どうして…」と涙を拭く。「怖くて、ここには住めない」と声をそろえた。

 町で全半壊した住宅は約5400戸。上下水道も復旧のめどは立っておらず、町の担当者は「町の3分の2は断水しているのではないか。長期化するかもしれない」と目を伏せた。

   ■    ■

 避難先も環境は厳しい。人口約3万4千人の町で、今も約1万1260人、実に3人に1人が避難生活を送る。避難所は雑魚寝で、肺血栓塞栓(そくせん)症(エコノミークラス症候群)の恐れがある車中泊も少なくない。

 避難所の一つを訪ねた。畳や毛布が敷かれ、足の踏み場もないほど人が身を寄せる。ドアは開いているのに空気はよどんでいるようだ。身を寄せていた女性(60)に声を掛けると、表情がさえない。「父の足が弱っているんですよ」

 父親(84)は避難後、1人で外のトイレに行けなくなった。夜中に立つと他の避難者を起こすため、室内で容器に用を足す。「父がかわいそう。このまま歩けなくなったらどうしよう」。女性は目を潤ませた。

 長引く避難生活で、19日には町全体で6人が体調不良を訴えて救急搬送された。19日夜には土砂崩れの恐れがある地区に避難勧告が出され、避難者は増える可能性がある。

 苦況に追い打ちを掛けるように、県内では地震後、壊れた家を狙う空き巣被害などの通報が続く。県警によると、町内だけで5件。巡回活動をする町消防団の本田寛団長(47)は「自分も被災したが、許せない。自分たちで守りたい」と話す。

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 一方、つらい境遇を支える輪も広がりつつある。被災地では自主的な炊き出しや避難所のトイレ清掃、空き巣を防ぐ防犯パトロールの動きが出ている。

 約800人が避難する町総合体育館。18日から仲間4人と仮設トイレを清掃する吉村サチヨさん(75)は、汚れを点検しながら気丈に言った。「家はぺちゃんこに倒れたけど、大変なのはみんな一緒。何かやっていた方が気も晴れる」

 午後7時、町保健福祉センターを防犯パトロール隊が出発した。「私のアパートの住民も現金を盗まれた。誰かが動かないと」。発起人の会社員森永博之さん(60)はそう言って、薄暗い街に繰り出した。

 木造の古い家が並ぶ福富地区を歩く。水田が広がる集落は、間もなく田植えの時期だ。農機具が入る小屋が傾き、次男宅も倒壊した農業宮本茂さん(70)も苗の仕込みに入る。「こんな被害があったけど、故郷を離れるわけにはいかない。助け合い、早く生活を取り戻す」。青々とした苗が揺れる初夏を思い浮かべた。

=2016/04/21付 西日本新聞朝刊=

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