日本に渡るフィリピーナたちの今 <下川裕治のどこへと訊かれて>
バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏。60歳を過ぎた今でも旅を続ける下川氏が、世界の空港を通して見た国と人と時代。下川版「世界の空港・駅から」第1回はフィリピンのマニラから。
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捨て身の誘惑──。マニラのニノイ・アキノ国際空港で日本に向かう便を待つ。いつも浮かんでくる言葉だ。
日本のフィリピンパブで働くために日本に渡る女性たち。10年ほど前まで、その数は年間8万人を超えていた。彼女らがいつも、日本行き飛行機の一画を占めていた。スーツ姿にきっちりメーク。漂う化粧品のにおい。人生の夢を賭けた出陣式のようだった……。
夢? それは日本人男性との結婚だった。自分や親が貧困から脱出するサクセスストーリーだ。貧困を背負った誘惑は強い。日本の男たちは、この覚悟の前ではひ弱だった。
彼女たちが手にしていたのは興業ビザだった。このビザは歌手やダンサー、スポーツ選手に発給される。本来、接客行為は許されていなかったが、フィリピンパブでは、マイクも握るが接客もするという拡大解釈が定着していった。
フィリピンパブは1980年代後半から急増した。当時、フィリピンの海外雇用庁の大臣にインタビューをしたことがあった。大臣は「同伴」を問題視していた。水商売用語の同伴。興行ビザの許容範囲についての話だ。
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