そもそも「男はこうであるから〜である」とか、「女はそういう考え方をするものだ」みたいなあれって、なんでなくならないんだろうか。
フェミニズムがどうとかこうとかいう以前に、そういうこと言ってる人はその最大化した括りがおかしいってことにいつになったら気がつくんだろうか?
女々しいって言葉があるけど、あれが悪い意味で使われてる時点で、正直そういうのはなかなかなくならないんだと思う。か、「女はそういう考え方をするものだ」みたいなあれって、なんでなくならないんだろうか。
そもそも女と書いて「め」と読むこの単語は、「女性」を表す単語だったが、言語由来辞典によれば次第に蔑称として使われるようになったのだそうだ。
女々しいは、「女」を表す「め」を重ね形容詞化した語。
主に、ふるまいなどが女性のようであることをいった言葉だが、次第に「柔弱である」「未練がましい」の意味を表すようになった。「め(女)」という語は、古くは女性一般を意味していたが、平安時代以降、女性一般を表す語として「をんな(女)」が使われるようになり、「め(女)」は女性の蔑称として用いられるようになった。
「女々しい」のように「女」を形容詞化した言葉に「女らしい」があるが、「女らしい」が「女々しい」と全く正反対の評価をした形容であることも、「め(女)」という語の待遇度が低下したことによるものである。
1億総活躍社会、大いに結構。だが、「女性が活躍できる社会」を強調すればするほど、日本はそういう部分で遅れている国ですと声高に主張しているように思えてならない。
女性が男性に比べて体力的に不利なのは、生物学的に仕方ないとしても、柔弱であるとか未練がましいというのを女性の特徴のように当てはめて使われる、この「女々しい」という言葉は極めて侮蔑的であるし、男性優位の国の表現であるように思えてならない。
男らしい、女らしい、そういう表現は本当に必要なんだろうか?
たしかにそういうものを武器にしている人もいるだろう。だが、そういう一部の人間のやっていることを最大化してすべての男女に当てはめるのは無理があると思う。
例えばトイレやお風呂など「区別」は必要だが、能力が同一でも男性しか昇進しないとか就けない職種(生物学的理由がある場合は別)があるのは、やはり時代遅れだと感じる。
相撲に関しては神事なので迂闊に発言は出来ないが、すくなくとも会社の役職なんかは男女の区別なく開放されるべきだと思う。ウチの会社も含めて。幹部社員に女性いないもんね、ウチ。曲がりなりにも大企業なのに。
というわけで、寝る前にふと変なことを思いついて上げてしまったエントリだが、時間も時間なんで、そんなに読まれること無く闇に消えていくことだろう。
薬を飲んでから書いたエントリなんで、なにかおかしなことを行っているかもしれないが、時間がもう遅いので大して校正せずにアップしてしまった。
何が言いたかったんだろう。
もう寝よう。