安田峰俊氏のSEALDs論評が話題だ。
氏の意見は、乱暴に言えば次のようにまとめられると思う。
・SEALDsには違和感を覚える。
・それは彼らに組織性と戦略性と思想性が欠如しているからだ
・それは彼らに組織性と戦略性と思想性が欠如しているからだ
・1989年の天安門、2014年の雨傘革命など、失敗した運動は常にこれらの問題を抱えている。
・反面、成功した運動(台湾のヒマワリ学連)は、これらの特徴を保持して運動を展開している。
・SEALDs運動が失敗した原因は、ここにあるだろう。
なるほど、確か成功した運動と失敗した運動を比較検討するのは有益な行為だろう。
しかし、たった3ケースの事例(しかも近年のものばかり)を比較検討しただけで「失敗の本質はこれだ」と断言するのは、自分にはあまりにも早計に思えてしまう。
氏の主張──政治運動には強力な組織性と戦略性が必要だ──は、決して新しいものではない。いやむしろ使い古され、ある意味では失敗を証明した主張とすら言える。
55年前の1960年、日本には今日とほぼ同等の経緯から
「政治運動には強力な組織性と戦略性が必要だ」
という思想に目覚めた一群の集団がいた。
「政治運動には強力な組織性と戦略性が必要だ」
という思想に目覚めた一群の集団がいた。
彼らはSEALs的大衆運動から始動し、組織的指揮系統を最重要視する党派に合流し、最後には血の惨劇を起こして表舞台から消えた。
本稿では50年代・60年代安保闘争の歴史を紐解くことで、今日の情勢をより明確にすることを目的としたい。
【1960年 ブント】
ブントとはドイツ語でBund、つまり「同盟」を指す言葉だ。
ちなみに音楽の「バンド」もこれが語源である。要するに「仲間」みたいな意味の言葉なんだと思って欲しい。
ブントは、学生主体の大規模な社会主義運動組織としては世界初と言われている組織である。
それまでは、各国の社会主義運動は各国の共産党によって率いられてきたわけだが、1956年のスターリン批判以降、「共産党(旧左翼)には任せていられない」ということで雨後の竹の子のようにポンポンと新組織(新左翼)が登場しはじめた。
ブント(正確には共産主義者同盟)もそのひとつであり、50年代後半においては共産党と並び立つ大勢力として存在していた。
ブントの特徴は【組織性のゆるさ】だ。
それまでの共産党は、「思想的基礎(綱領)」と「組織的基礎(ピラミッド型の官僚組織)」と「戦略性(中央の運動指導)を持つピラミッド型の組織だった。
しかし、ブントは「組織づくりは大衆闘争のなかでしかありえない」というテーゼを打ち出し、それらの特徴をあえて脱ぎ去り、中央集権的組織を持たない、リゾーム型の組織として歴史の表舞台に登場したのである。
ブントの勢いは凄まじかった。
ブントはそれまでの左翼組織のような明確で教条的なドグマは展開せず、良く言えば理念的、悪く言えばふわっとした、一般層にも受け入れやすい主張を展開した。
勢力の拡大は急速で、58年の結成からわずか1年あまりで数万人に膨れ上がり、普段政治にあまり興味を持たない層までも取り込み、その様は「倍々ゲーム」とまで称された。
そしてブントにとっての試練の時が訪れる。
1960年、岸内閣による「安保条約」の強行採決だ。
「ブントのすべてをぶちこんで戦う」と宣言した通り、ブントはその動員力をふんだんに発揮し、安保闘争を闘った。
国会は何万というデモ隊に包囲され、連日連夜デモは続き、時には国会議事堂の正門を突き破り、国会構内にまで突撃することもあった。
しかし、このブントの闘いも岸内閣の強行採決によって呆気無く敗北を喫する。
デモは、強行採決に対し無力だった。
デモは、強行採決に対し無力だった。
強行採決直前、ブントの書記長であった生田浩二は、
『畜生、畜生、このエネルギーが!このエネルギーが、どうにも出来ない!ブントも駄目だ!』
と数万人のデモ隊の中で絶叫したと言われている。
【革共同の時代】
ブントは敗れた。
強力な党組織を持たない大衆主導の運動は、失敗した。
であるなら、中央集権的な党の指揮系統こそが運動に必要なのだという考えに行き着くのは極めて自然である。
革共同はブントとは対照的に、ピラミッド型の指揮系統による強い組織性と戦略性を持った組織だ。
ブント解体後、革共同は大いに拡大した。
ブントから多数の構成員を吸収することで規模の拡大に成功。カリスマ的指導者であった黒田寛一を中心に、社会主義革命を担う「前衛党」たるべく組織的で戦略的な組織を急速に拡大させていった。
「ブントの轍は踏むまい」
革共同の誰もがそう思っていたはずだ。
そして、その通りに革共同は成長を続けた。しばらくの、間は。
そして、その通りに革共同は成長を続けた。しばらくの、間は。
1963年、運動方針の対立から、革共同から黒田派が分裂。いわゆる「革マル派」である。黒田らはその後革共同からは独立し、独自の運動を展開することになる。
革共同はそれからもことあるごとに運動方針や党政治をめぐって内部闘争を繰り返し、革共同はいくつかの団体に四散五裂する。
それだけではなく、各団体は分裂後も運動方針や思想的差異から対立を続け、ついには直接的な対決──いわゆる内ゲバ──にまで発展していく。
特に有名なのは中核派と革マル派の内ゲバ合戦だろう。
「戦争」とまで呼ばれたそれは、双方100名近くの死者・数百名の負傷者を出す。
内ゲバの連発は運動から一般層の共感を失わせ、 その後社会主義運動は急速に勢いをなくしていく。
「戦争」とまで呼ばれたそれは、双方100名近くの死者・数百名の負傷者を出す。
内ゲバの連発は運動から一般層の共感を失わせ、 その後社会主義運動は急速に勢いをなくしていく。
【強力な組織の有無、それぞれの問題】
さて、ここまで読んでいただいた方には、僕が何を言いたいのかもううっすらお分かりだろう。
つまり、強固な組織が存在しても、また存在しなくても、それぞれに問題は起こりうるということだ。
つまり、強固な組織が存在しても、また存在しなくても、それぞれに問題は起こりうるということだ。
冒頭で挙げた安田峰俊氏は、学生運動の成功条件として
1:思想的基礎
2:組織的基礎
3:大衆的基礎
4:戦略と戦術
の4つを挙げた。
3.の「大衆的基礎」は運動の成功条件ではなく成功した運動の結果であるので除外するとしても、氏はSEALDs・雨傘革命・天安門運動(それら全てがブント的な大衆運動だった)の失敗から「政治運動成功の要は組織」と結論づけたらしい。
しかし歴史(それもたった50年前だ)を紐解けば、強固な思想的・組織的基礎と党による戦略を持っていた組織が如何に凄惨な末路を辿ったのかが見て取れる。
そもそもSEALDsの諸君が中央集権的な「組織」の存在をあまり快く思わないのも、60年代・70年代の日本の学生運動の血なまぐさい記憶が、彼らに中央集権的な組織行動を忌避させたからだろう。
「ヒマワリ学運」の成功だけを以って「組織性」の有効性を称揚するのはあまりに短絡的だ。
「ヒマワリ学運」の成功だけを以って「組織性」の有効性を称揚するのはあまりに短絡的だ。
「組織」が強固で戦略的であればあるほど、異なる意見を持つものは爪弾きにされ、分裂と内ゲバの危機が高まる。
「組織」があまり強力ではない雑多な成員が混ざった運動では、戦略的で組織的な行動は取れず、運動にキレが生まれない。
中央集権型、レジーム型、それぞれに一長一短があるということだ。
どちらかが絶対的に優れているということではなく、状況にあわせて、しかもバランスよく、どちらかの組織を運用しなければならないのだろう。
【なぜ日本の学生運動はうまくいかないのか】
じゃあSEALDsが、ブントが、雨傘革命が、うまく行かなかった理由はなんなんだ、
どうすれば良かったんだ、
そう思われると思う。
答えは「僕もわからない」だ。
もちろん日本の学生運動全てが失敗に終わったわけではない。
たとえば砂川闘争など、戦略目標を達成させた事例もある。
しかしブントやSEALDsは、少なくとも初期の戦略目標の達成という面では、失敗した。
もちろん「ここは、こうすればよかったのでは?」という個別の粗は見える。
しかし「こうすれば勝てた」「こうすれば強行採決を止められた」という戦略は、少なくとも僕には打ち出せない。
しかし「こうすれば勝てた」「こうすれば強行採決を止められた」という戦略は、少なくとも僕には打ち出せない。
なぜ失敗に終わるのか。
その答えは過去の事例・現在の事例・様々な研究と向き合い続け、考え続けることでしか得られないだろう。
その答えは過去の事例・現在の事例・様々な研究と向き合い続け、考え続けることでしか得られないだろう。
しかし、少なくともあまりにも歴史を知らない、短絡的すぎる評論で納得してはならない、と思う。
僕は安田峰俊氏の記事をだいぶ早い時期に読み、一笑に付した。
「組織性と戦略性で勝てるなら日共も新左翼も今頃世界帝国築いてるわアホか」というだけの感想だった。
「組織性と戦略性で勝てるなら日共も新左翼も今頃世界帝国築いてるわアホか」というだけの感想だった。
それがここまで評価され、「最も冷静で的確なSEALDs評論」とされていることに、薄ら寒さと、危機感を覚える。
たった50年前の日本の学生運動史がこうまで忘れ去られているなら、50年後の日本人も今の運動のことなど忘れているだろう。
過去を忘れれば、また同じことを繰り返す。
岸内閣の安保条約にデモで立ち向かい強行採決で敗れたブント
安倍内閣の安保法案にデモで立ち向かい強行採決で敗れたSEALDs
何も変わらない。喜劇的繰り返しという他ない。
それではいつまで経っても何の成長もない。
過去を学ばなければ、未来はないのだ。