(C)柴田英里
美醜をテーマにした漫画は、楳図かずお『洗礼』『赤んぼ少女』や萩尾望都『イグアナの娘』、岡崎京子『ヘルタースケルター』などをはじめ、数多くあります。最近では、松浦だるま『累』、あいだ夏波『圏外プリンセス』などが話題になっています。
「美醜」というのは、差別や格差として解釈されやすく、ポリティカル・コレクトネス的にも扱いづらい問題であり、ゆえに「みんな違ってみんな良い(いかなる時も美醜については触れるな)」というタブー領域にもなりやすいものです。今回は、宝島社の「このマンガがすごい!2016 オンナ編」で第5位にランクインした、川端志季『宇宙を駆けるよだか』(集英社)について、ネタバレアリで言及したいと思います。
『宇宙を駆けるよだか』は、少女向けマンガ雑誌の「別冊マーガレット」で2014年10月号~2015年12月号に連載された作品です。あらすじを簡単に説明すると、かわいくて素直な性格で多くの人から愛される主人公・小日向あゆみは、彼氏との初デートに向かう途中、醜い容姿で性格が悪く友人もいないクラスメイト・海根然子(うみねぜんこ)の自殺を目撃したことによって、身体が然子と入れ替わってしまいます。
あゆみと然子の入れ替わりは然子が仕組んだもので、然子は己の容姿への不満と、あゆみの恋人の水本公史郎(みずもとこうしろう)こと“しろちゃん”への想いによってあゆみと入れ替わることを実行したのです。然子になったあゆみは身体の入れ替わりを誰にも信じてもらえないばかりか、あゆみと入れ替わった然子に「今まで散々幸せな人生送ってきたんだから ちょっと苦しみなよ」と言い放たれます。然子は美しい容姿のあゆみとして生きていくことを目論んでいるのです。
然子と入れ替わってしまったあゆみは、他者から悪意を向けられる存在となってしまいましたが、イケメンで性格も良い友人・火賀俊平(かがしゅんぺい)だけが、2人の入れ替わりに気付きます。然子の身体になったあゆみを支えながら、入れ替わった身体を元に戻す方法を探し、「どんな姿でもあゆみが好きだ」と告白する火賀。他方で元々あゆみの恋人であったしろちゃんは、火賀より先にあゆみと然子の入れ替わりに気付けなかったことを悔いながら、あゆみの身体になった然子と付き合い続けます。醜女になっても、ヒロイン・あゆみはモテモテのままなのです。
この物語では主要登場人物4人のうち、容姿が醜い然子以外はみんな容姿も性格も良く、コミュニケーション能力も高いです。とりわけ美形の小日向あゆみと火賀俊平に至っては、容姿が良く誰からも愛されているという恵まれた環境にいる(いた)ために、「自分と他者を比べたことがない」「自分が他者を拒絶しなければ他者も自分を拒絶することはないと信じて疑わない」ような、鈍感さと想像力のなさを持ち合わせています。スクールカーストの頂点ゆえに「スクールカーストがある」ということそのものに気付いていない、然子と入れ替わるまで、醜い容姿の然子のことなど「視界に入っていなかった」くらいに、残酷で善良な人たちです。
あゆみの恋人であった水本公史郎(しろちゃん)は、醜い容姿ではないものの、容姿ランキングをつけるならば火賀よりは下に位置づけられる顔面レベルです。しろちゃんは「勉強もスポーツも火賀より出来るのに、人は自分より容姿の良い火賀のまわりにより多く集まる」と、美醜による格差を実感していたことから、あゆみと入れ替わった然子に共感することもありますが、やはり火賀と同じ、「どんな姿でもあゆみが好き」という、「見た目よりも中身」を重視する人物です。
「見た目よりも中身」「外見より内面」、それに「盗んだもの(身体)は持ち主に返すべき」という彼らの主張は、一見とても“正論”ですが、「すれ違いざまに他人にブスって言われる」「肩がぶつかっただけでバイ菌呼ばわりされる」など、他者から悪意を投げつけられ続け、自分を責めながら生きてきた然子にとっては、ぬるい“キレイごと”でしかないでしょう。その証拠に、しろちゃんの前で完璧なあゆみになることが出来た(=かねてより、あゆみの表情や仕草をよく観察していた)然子と対照的に、あゆみや火賀は事件が起きるまで「然子のことなど視界に入っていなかった」のですから。
然子は、善良な彼らに強い言葉をぶつけます。
「この顔に生まれても同じこと言えんの?」
「主導権は常に外見が優れた人間にある あんたら美形は良いわよね キレイごと並べてればそれで正義になれるんだから」
「私はあの見た目だから何もかも上手くいかなかったの!」
「火賀も…小日向さんと同じ 生まれつき容姿に恵まれてるから私の苦しみなんてわからない」
肥満は各種疾病につながるから放置すべきでない。
返信痩身信仰はよくないけど「デブでもいいじゃん!多様性だよ!」はダメだと思う。
醜さは不健康のサインということもある。
言えるね
返信美醜で差別する方が当たり前じゃん。美も才能のひとつだからね。だからドラマの主演は美男美女が好まれる。だから美容整形が大繁盛する。
返信それが現実でしょ。いちいち理想語ったって本質を変えられることはないから、誰も救えないよ。
下にブスが美人の顔に硫酸かけてやりたいはずだ、みたいなコメントがあるけど
返信どっちかというと今の時代、ルッキズムより
エイジズムの方が根深いと思う
化粧とプチ整形文化で、ブスもよほどじゃない限り若ければ平均的に可愛いくなれるし
18歳の姪なんか福笑いみたいなスッピンしてるけど友達も彼氏もいて自信満々
ブス=ひねくれるとは言い切れない時代
他者からすごーく大切にされてきた故に
返信人を全く悪く思わない天使の様な人達稀にいるけど
天使同士でくっつきあうので
嫉妬も見下しもあって普通の下界の者には関係ないと思う
ブサメンやブスでも努力と練習での環境チェンジによって
他者への信頼や卑屈さを人並みレベルまで持っていくことは可能
ブサメン(素人)童貞社会人って学生時代の価値観を引きずってることが多いからなぁ
返信>そんなマイノリティに肯定されたからって人生は生きやすくならない
返信学生時代、ヤリチンになれるか
クラスの人気者になれるか、って意味では最重要なのかもしれないけど
最良の人と巡り会えるかどうか、の点で
これらの美点はあまり関係ないと思う女はマイノリティではないと思うんだけどなぁ
他人から大切にされることで形成される
返信コミュニケーション能力や愛嬌や素直さがあるとして
それのみが人間の良点とは男性にも女性にも思ったことがないから
美形=性格が良い論を聞くたびに
性格の良い悪いって何なんだろうと思ってしまう
済みません、忘れてましたwww
返信ドヤちゃん、朝から血圧高め
返信あと、名前欄
例えばだよ?
返信ここに或るブスがいるとしよう。
キジカナみたいなブスなの。
ブスなんで何をどう努力しようが「ブスのくせにw」の一言で回収されてしまう。
で、そのキジカナには憧れている男がいます、と。
超イケメンで超才能あって自己表現系の仕事でメジャーな存在で金持ちなの。
まあ要するに福山なんだ。
で、キジカナはその福山とセックスするのを妄想してオナニーするのだけが
唯一の楽園なんだ。なんつうかもう、すっごいゴツイ3点攻めバイブで膣と栗と肛門を
同時に刺激しながら福山にバックでやられるの妄想して、白目むきながら
イクという、そういう自慰をしていると。
ところがあるとき福山は女優と結婚してしまうわけだ。女優はたまたま
の偶然なんだけど吹石一恵に似てるんだ。
嫉妬に悶えるキジカナだが、あるとき神様の悪フザケで、吹石とキジカナは
入れ替わってしまうんだね。
で、吹石の外見をした中身キジカナの女が、キジカナの外見をした吹石を虐めるんです。
「ソドムの市」みたいにウンコ食わしたりとかして。
しかし、神様はもう一回悪フザケをして、二人を元に戻してしまう。
で、元に戻ったキジカナが吹石にアシッドアタックして
顔をメチャメチャにしてしまう。
ついでに、
呂后が威夫人にやったように手足を切断し、自殺できないように舌を切り、
便所に放り込んでやはり糞を喰わせ、
「人間豚」と称して見せ物にしたという。
ということで、柴田には、吹石一恵の画像にアシッドアタック被害者の画像を
うまーく重ね合わせ、手足を切断され人豚と化した吹石のアイコラ画像を
作ってほしいです。
美術系ならフォトショもうまく使えるだろうし。
そういう画像、メッシーに来る女たちはみんな見たいはずだ。
絶対に見たいはずだ。
異論はいっさい認めない。
柴田が、「じゃあそういう画像作ってみますわー」
って言うなら、俺、フォトショのサブスクリプション代ぐらいは
出してもいいよ。
売れるんじゃない?その画像
雑誌でいうと、SMスナイパーとかが買うんじゃないかな。
この漫画は読んでないのですが、人の美醜の基準はどんどん移り変わっていくものだと私は考えています。(もちろん、その時代、状況によって好まれる美しさというのはなんとなくあるかとは思いますが。)
返信ゆえに、そもそも美しい醜いというラインを設定して人を判断すること自体にあまり意味がないと思います。
もしブスって言われて悩んでいる人がいたら、だから何?って感じで、気にする必要ないと思います。
その後整形に走るとかでもいい。
返信私も最後がハッピーエンドなのは納得いかない感じがします。
返信然子は容姿にも性格にも恵まれた人に囲まれて一瞬自分もその仲間に入れた気がして元の体に戻ってしまうんだけど、その後再び理不尽な思いをさせられて結局元のようなひねくれた考えに戻っていく。
って方がしっくりくる。
あと、「よだか」のネタバレで、最後、ブスは元の自分のブスい外見に、美人も元の美人な外見に戻ってハッピーエンドとあるが、それで終わると「バカヤロー金返せ!」って確かになるよね。ハッピーエンドと思いきや、最後の最後に、ブスに戻ったブスが、美人に戻った美人の顔にアシッドアタック(濃硫酸ブッカケ)して顔がぐちゃぐちゃになる的な展開だと僕は萌えるな。たぶんそれだとシババも萌えるんだと思う。想像するに、ブスが美人のもつ美しい顔をめちゃくちゃに破壊するときの快楽というのは、きっとすごいものだと思う。たとえそれで一生を棒に振ってもいいぐらいの。なんか、そういう犯罪やってくれるブス、たくさん現れませんかね?そういうブスがたくさん出てくると、日本はもっと良くなると思う。
返信記事もけっこうじっくり読んだし「よだか」の尼レビューも読んでみて、面白そうなマンガとは思ったが、このテーマ(ブスな女のひねくれと美しい女の残忍性の対比)だと、私は山田花子の「神の悪フザケ」が突出して面白いと思ってます。
返信なので、このマンガを読むと柴田氏同様「なんだツマンネー」と思ってしまうかもしれない。柴田氏が読みたいのは、美人に生まれ変わった元ブスが、姿形はブスだった自分になってしまった元美人を壮絶なまでにイジメ抜くところだったりするんじゃないかな。たとえば犬のウンコ食わせたり、学校でみんなの見ている前でオナニーさせたりとか。だって、美人はブスに「ほーら、ウンコ食えよーw」と言って良いと私は思いますんでね。ということで、この記事に対しては特にディスったりドヤったりする気は起きません。ご期待に沿えず申し訳ありません。
ぼくはクソブサメンのメンヘラだから、この漫画の話の展開に居心地の悪さ、もっと言えば腹立たしさは確かに感じるけど、でもハッピーエンドになるにはこれが現実的だと思う。
返信柴田さんの言う「正義や善悪やコミュニケーション能力とは異なる美」「醜い心の輝き」などというものを、美や輝きだと肯定的に捉える人は、それこそ柴田さんや、メンヘラに共感するメンヘラみたいな少数のフェティシズム持ちに限られるので、そんなマイノリティに肯定されたからって人生は生きやすくならない。
もう世間のルッキズムに抵抗することなく、自分が世間から評価されないことに無駄な希望を持つのもやめ、漫画みたいに孤独な人間が素敵なつながりを得て内面が変わってくなんて夢も見ないで、すべてに絶望して諦めたい。それに他の人たちも諦めてほしい、そうじゃないとぼくが諦める踏ん切りがつかないから。
ほ~ら始まった。揉めそうな事案が。
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