30年間手放せなかった「むかし・あけぼの」は、平安の世界へ誘う道しるべ
『むかし・あけぼの 小説枕草子』 (田辺聖子 著)
私の手許には三十年前、角川文庫から出た初版本の『むかし・あけぼの』が帯つきのままで残っている。昔の家計簿とスケジュール帳をさかのぼって調べてみると、昭和六十一年七月二十五日に京都の本屋で購入していることがわかった。
あのころ、氷室冴子先生の『蕨(わらび)ヶ丘(おか)物語』『雑居時代』を原作にした作品の評判が良く、編集部と相談して次は平安ものをやってみようということになった。のちに手がけることになる『なんて素敵にジャパネスク』にも惹かれたが、『とりかえばや物語』を下敷きにした『ざ・ちぇんじ!』のほうが構成がおもしろく、漫画にしやすいと考えた。ところが、知識も資料もないまま始めたので、すぐに八方ふさがり。これでは連載が持たないからと、あわてて京都へ三泊四日の取材旅行に出かけたのである。そのときふらりと入った本屋で手にしたのがこの『むかし・あけぼの』の上巻だった。たちまち読み切って、東京にもどるとすぐ下巻を購入。若くて、読書スピードが速かったとはいえ、よほどおもしろくなかったらこれだけのボリュームを一気に読み通すことはできない。
久しぶりにページを開いたら、桜の綾の直衣(のうし)で表は白、裏は赤とか、赤紫の指貫(さしぬき)はどうのこうのと、衣装のところに集中的にチェックが入れてある。こういう部分を参考にしながら、必死に漫画を描いていたらしい。
春はあけぼの、木の花は、遠くて近きものは……。中学校で習っただけなのに、今でも『枕草子』の代表的な箇所をそらんじることができる。文章は歯切れが良くて明快。清少納言は暮らしに追われて見過ごしがちな自然のなかの一瞬の輝きや、身の回りの小さな出来事を鮮やかに切り取ってみせた。彼女ほど研ぎ澄まされた感受性は持っていなくても、『枕草子』には「その感じわかる!」「それがいいたかったの」と共感することがいっぱいある。子供がいたずらしているのに、母親が甘やかしてちゃんと叱らないのが腹立たしい、というエピソードに拍手喝采を送った女性もたくさんいると思う。
「鳥は、虫は、笛は?」「夜まさりするものは何?」。この物語には清少納言がふと心に浮かんだあれこれを紙片に書き留める様子がいきいきと描かれている。それは自分と同じような美意識を持つ人たちとの、機知に富んだ会話から生まれることもあれば、子供が遊びに行ったあとの静かな家で、ゆっくりと髪を洗い、ひとりの時間を楽しむうちに、「心ときめきするもの」と言葉があふれ出すこともあった。『枕草子』は実際こんなふうに書かれたのではないだろうか。『むかし・あけぼの』を読むとそんな気がしてくる。そして、多くの人が彼女の文章に共感し、能筆家がそれを書き写し、時を超えて広まったおかげで、千年後の今まで読み継がれてきたのである。