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いやいやいや。
なんか単純な考え方しかできんやつが多いなー。
そもそもmessyって運営サイゾーだぞ?!
中でもヒポポ照子は毎度毎度……。
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たとえば角野卓造に「今日は幸楽お休みですか?」と聞いて角野卓造が「角野卓造じゃねーよ」と答えたら?
これが面白いんですよね。
なぜかといえば「角野卓造じゃねーよ」は容姿を差別するだけのの笑いじゃない。
さらにゴッドタンでは熟女系セクシー女優石橋ゆう子さんが「みひろよ~」と言い、当然みひろに似ていないので「みひろじゃないだろ!」とツッコまれ「みひろじゃ、ないわよ~」と笑いに変える光景もある。
「容姿の笑い」ってのはそこにいるだけで笑われるものを指す。
しかしハリセン近藤は容姿だけで笑いになるほどひどいわけでもない。
そもそも差別的に容姿を笑わせるんならブサイクであればあるほどお笑いの才能があるってことになるんですが?
つか、近藤春菜ってそんなにひどかったっけ???
そもそもテレビに差別で容姿が笑われるような人は出ない。
それは笑えない。
お笑い芸人は、笑えるんじゃなく笑わせる。
似てるようで全く違う。
だからこそ笑いに変える技量が必要なわけで。
そもそもシュレックにしろ「シュレックだよ」と言っているわけではなく「シュレックじゃねーよ」と否定している。
この否定(ツッコミ)が笑いになる。
単純に「見た目」だとすれば否定しようが肯定しようが笑いになるのでは?
なぜ否定のときにだけ笑いになると?
笑いというのは振幅(©桂枝雀)ですが、ハリセン春菜の場合、
「今日は幸楽お休みですか?」(ボケ)
「角野卓造じゃねーよ」(ツッコミ)
というボケツッコミの構造ができあがってる。
ところがこれが複雑なのは、「今日は幸楽お休みですか?」という遠回しな匂わせにも関わらず敏感に察した春菜が「角野卓造じゃねーよ」とツッコミを入れる。
つまり否定している本人が一番察しがいい。
かなり歪んだ構造になってる。
最近では、どれだけ遠い例えをしてもハリセン春菜がついてこれるか?(ツッコミを入れられるのか?)という笑いになっていたりもする。
もう既に「角野卓造~」は、吉本新喜劇的な予定調和の笑いであって、容姿がーポリコネがーなんて何周前なんだか。
それをコンテクストがわからない相手にやってる加藤のセンスの無さってだけなんだが。
同じ「セルフツッコミ」による笑いは必ずしも差別的な構造を持ってるとは限らない。
否定できるほど笑いの構造が解ってるならブログに書けばいいのにねぇ。
渡辺直美が面白いのは
表現力やダンスを賞賛されることはあっても、「デブのアジア人なのに、ビヨンセを気取っている」ことをバカにして笑うようなノリが、現在のアメリカでは薄れているそうだ。
春菜の芸を見ても笑わなかったアリアナが、CM中に伝えた言葉に考えさせられる
つか、このヒポポ照子の書き方の方がよほど差別的だと思うが?
「デブのアジア人なのに」
「バカにして笑う」
だとかさ。
いかにもサイゾーって感じ。
azanaerunawano5to4.hatenablog.com
渡辺直美に関しては、もう書いたのでこっちでどうぞ。
渡辺直美が面白いのは、太っていることじゃなく当て振りの面白さ。
そもそも海外のスタンダップコメディでどぎつい差別ネタを披露して日本人が引きまくる(つか、差別的なネタをやられると笑えない人が多い)。
笑いってのは案外センシティブ。
ハリセン春菜は、容姿をウリにお笑いとして登ってきたわけじゃなくツッコミの上手さであそこまで来た。
容姿を売りにして笑いにするのはボケのやることなんだし、アメリカの若い娘が日本にやってきて日本のボケツッコミが理解できるわけもなくネタにマジレスしただけの話を、よくぞここまでポリコネポリコネ言うための道具にできるもんだと感心するわ。
ジャパニーズバラエティ番組で新曲の宣伝に挑戦するフレディ・マーキュリー pic.twitter.com/ylUms3zn0v
— けいん (@kain1234567) 2016年3月30日
この前のフレディー・マーキュリーの熱湯コマーシャルが「いじめだ」と言われたのと同じ。
スーパージョッキーやダチョウ倶楽部というコンテクストが必要な笑い。
知らなければ、単にフレディー・マーキュリーが熱い湯に落とされてるだけ(海外からすれば、フレディー・マーキュリーという歌手のコンテクストだけがある)。
上島竜兵のマネをやってるからこそ面白いんだよ、あれは。